化けた王女と無能なマスター
宮井くろすた
第1話 プロローグ
「――俺は……君のことが欲しいんだッ!」
森の中で出会った名も知らぬ若い男性の第一声――
それが、これだった。
客観的には恋物語のような場面が想起されるかもしれないが、当のメリア・セント・スティードは胸中で眉をひそめていた。それには明確な理由がある。何故なら、彼女は一国の王女だからだ。それに対して、目の前の男子は明らかに身分が低いと思われる。そもそも、声を掛けることすら畏れ多いはずなのだ。
それにも関わらず、なんと大胆な告白だろうか。呆気に取られていたが、相手はこちらの心情など全く気づかない様子で続けていた。
「君のことは噂で聞いてる。実際に会ったのはこれが初めてだけど、君のことを一目で気に入ったよ」
(……何を言ってるの、こいつ……)
メリアの猜疑心はさらに強くなっている。身の程をわきまえないだけでなく、さらに断片的な情報による想像だけで一方的な想いを募らせていたらしい。明らかに、彼女がもっとも毛嫌いする異性のタイプだった。
(……バカバカしい。こんなのさっさと煙に巻いて――)
と――
(………………うん……?)
そこまで考えて、やっと状況がおかしいことに気づいていた。
「君のその逞しい筋肉、その存在だけで他者を圧倒する巨躯、全てが完璧だ! こんな逸材は他にいない!」
これは――愛の告白などでは断じてないのだ。相手の口説き文句に齟齬が発生し始めたこともその証左だが、そもそも今の自分は普通の男性にとって、恋愛対象には絶対に成り得ないのだから。
そう――今の自分は、正に彼が口走った通りの存在だった。
身の丈は普通の人間の約二倍。口は左右に大きく裂け、全身の皮膚は病的なほどに赤黒い。どう見ても十代後半の若い女性ではなく、いわゆる魔の物だった。
トロル。その中でも上位種にあたるトロル・ロード――
それが――今のメリアの姿だった。
このような事態に陥った経緯は明白であり、それの解決が最重要事項なのだが、今はその問題をとりあえず後回しにする。目の前にいる男子の言動が判然としないため、その意図を探る必要があるからだ。その一言一句に耳を傾けていると、相手がさらに踏み込んできていた。
「だから、是非とも……俺の従僕になってほしい!」
(……は⁉)
その発言にメリアが当惑する中、目の前の男子は一旦視線を外す。
「……いや、そんな通俗的な関係を強いるなんて無粋だな」
小さな声で独白すると、改めてメリアの方に向き直っていた。
「修正しよう! 是非、俺の仲間になってくれ!」
そこまで聞いて――
(――!)
メリアはようやくある一つの可能性に気づいていた。それは相手の能力と立場に関することだ。
(こいつ……もしかして、モンストル・マスター……?)
この世には、魔の物を使役することができる魔獣使いがいる。その絶対数は少ないらしいが、それならばこの状況も説明できるのだ。
モンストル・マスターは自らが使役する魔獣を単独で説得することになる。要するに、相手の体力がなくなるまで友愛の精神を対象に向け続けるのだ。その果てにパートナーを獲得することが可能になる。対象に危害を加えることなどもってのほか。そのような行為で強引に従属させようとしても、敵愾心を煽るだけだった。
故に、彼も慈愛を秘めた瞳でメリアに手を差し出している。まさしく魔獣使いの心意気そのものだったが、ここでふと新たな疑念が生じていた。
(……だけど……?)
メリアは胸中で首を傾げる。その理由は二つあった。
一つは、相手からモンストル・マスター特有の波長を一切感じないことだ。書物で読んだだけの知識だが、彼らには魔獣を使役するための感応共鳴の能力があるらしい。説得の際にもその特殊な波長を常に出し続けるはずだが、彼からは言葉以外には何も感じ取れなかった。
もう一つは過去の事例。トロル系の魔獣は体力が非常に高いため、説得に成功した者は今までに誰一人としていないはずだ。上位種であるトロル・ロードともなれば、いうまでもない。また、モンストル・マスターの能力は経験がものをいうらしく、目の前の若い男子が選択するべき相手とは思えなかった。
だが、どう考えてもその目的以外に状況を説明することができない。整理をすると、自分の目の前にいるのは、無知で無能で無謀なただの阿呆だった。
メリアは思わず胸中でうな垂れる。
(……私が本物のトロルだったら、こいつ、既にこの世にいないんですけど……)
未だに輝かせた瞳を向けてくる相手を滑稽に思っていたが――
(……うん? でも、ちょっと待って……)
ふと、ここで閃く。
(……こいつに従ってるフリをすれば……色々と好都合なことがあるんじゃ……)
それは――妙案だった。確かに、自分にとって利が多い。今後は人間に敵視されることもなくなるし、人の都市にも容易に近づくことができるようになる。ここしばらくは今の状況に絶望するだけだったが、やっと小さな光明が見えてきていた。
メリアはその瞳に希望を宿らせ、相手を見据える。
「……ん?」
目の前の男子がその変化に小さな反応をする中、メリアはすぐに決断してゆっくりと近づいていた。
ただ、そこからどうしていいのか分からない。
(……マスターへの従属の意って……実際にどうするの? こんなのに膝を屈するのはさすがに……)
プライドが邪魔をして、なかなか行動に移れない。そんな挙動不審な態度をどう判断したのか、目の前の男子は急に顔を明るくしていた。
「……お……おお! もしかして、承諾してくれるのか⁉」
目の前のトロルが敵対行為を取らないため、そう認識したらしい。あまりにも不用心過ぎるが、メリアにとってはやはり好都合だった。
(ま、まぁ、そういうことかな。しばらく、この児戯に付き合ってあげましょうか)
今の彼女には発声が不能である。返答は動作で示すこともできるが、あからさま過ぎると正体が露見する恐れもあった。そのため、柔らかな空気感を出しながらさらに接近することで応答に代える。すると、相手にも意思が確かに伝わった様子だった。
「……よし、分かった。これで俺達は固い絆で結ばれた同士だ」
一方の男子は満足した様子で何度も頷いている。ただ、ここでふと人差し指を目の前でピンと伸ばしていた。
「そうだ。対外的な理由で、俺達の間には一つだけ取り決めが必要になるんだ」
(はい?)
メリアがその突飛な発言を怪訝に思っていると、相手は事情を簡素に語る。
「さっきは仲間と言ったが、街中では明確な従属関係を示さないといけない。他の住民達が不安に思うからな。だから、ポーズが必要なんだ。あまり難しいことじゃないし、深く考えなくていい」
(あ、ああ、そういうことね……)
すぐに納得していた。確かに、それは彼の言う通りだ。初めて相手に利発さを感じた気がしていた。
が――
「じゃあ、一度練習しとくぞ」
そう前置きをしてから、次の言動をした時のことだった。
「――お手!」
メリアは――
(……ッ⁉)
自分の中で、何かがプチンと切れる音を確かに聴いていた。同時に、無意識に自分の右手を頭上へと振りかざしている。次いで、無表情のまま全力で掌を指示された地点に振り下ろしていた。
一方の相手は――
「――のわあッ⁉」
ぎりぎりでその一撃を回避。トロルの掌は激しく大地を叩き、大量の砂塵を周囲に撒き散らしていた。
徐々に視界がクリアになってくる中、マスターはどこかしみじみと語る。
「……むう、猫のようにはいかないか。これはちょっと考えものだな」
(いや、それ犬だから……てゆーか、王女様にいったい何させんの……)
メリアが脱力しながら内心で独りごちる中、相手はすぐに気を取り直していた。
「まぁ、それは一先ず後回しだ。俺はエイド。よろしくな。じゃ、そろそろ行くぞ」
そう言いながら、すぐに踵を返して森の外へと勝手に進んでしまう。
(……もしかして……早まった……?)
メリアは思わずそう感じていたが、どちらにせよ今の自分に他の選択肢はなかった。気は進まないが、彼の背に続くしかない。とにかく、元の姿に戻るまでの辛抱だ。そう自分に言い聞かせると、二重の意味で重くなった足を一歩前に踏み出していた。
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