第17話 それぞれの好奇心

 それからの数日間――

 エイドは足しげくモンスター・バンクの施設に通っていた。その主な目的は、支配したと思い込んでいるトロル・ロードの体調管理と、身の回りの世話だ。本当は才能が全くないし、性格も変な方にねじ曲がっている。だが、その献身的な態度だけは、メリアも認めない訳にはいかなくなっていた。


(……こういうとこ、憎み切れないんだよね……)

 今も、檻の中へと無防備に侵入し、清掃作業をしている。完全にこちらを信用している証左だ。間違いなく、醜い姿となったこの自分に、愛情を注いでくれていた。


 ふと――

 例のアンデッドから受けた呪詛の解呪条件を思い出す。確かに、対象がこの若い男子であれば問題なかった。


 何を思ったのか、メリアは静かにその背後に近づく。しかし、直前になって相手が敏感な反応を見せていた。

「お? なんだ?」


 手を伸ばそうとした直前、振り返ってこちらを凝視する。それを見て、メリアは無言で後退していた。


 一つの方法として――

 強引に事に及ぶという手段がある。いくら愛情を注いでくれているといっても、今の自分に人間の女性を扱うような対応を求めることは、極めて困難だ。そのシーンを想像することもできない。ただ、相手の意思を力技で封じることができれば、なんとか形を整えることはできそうだった。


 もっとも、それにはプライドを捨てる必要が生じる。いくら今はただの怪物でも、心までは人間を捨てたくなかった。


 また、エイドは無闇に勘が鋭く、隙が全くない。先程の反応で即座に諦観したのは、既に何度か試しているからだ。それに、場所やタイミングもよく考慮しなければならない。今の状況で人間の姿に戻ったら、後々が大変だ。結論として、その手段は極めて限定的な場面でなければ実行不可能だった。


(……でも……)

 と、メリアは思う。こうなった当初からずっと考えていたが、まだ試していないことがある。だが、それには今しばらくの時が必要だ。幸いなことに、身の安全だけは確保できたので、あとは待つだけだった。暇すぎて死にそうだったが。


 そんな折、檻の外から両者に声が掛かる。

「ちょっといい?」

『?』

 同時に振り向くと、そこにはレイアがいつの間にか立ち尽くしていた。


「お客さんが来てるんだけど」

「お邪魔します」

 その背後から、フミルが顔を出す。

「なんだ、またお前じゃないか」


 エイドが脱力した様子で呟いていると、少女の方は携えていた小さな綿の袋を掲げて見せていた。

「そんなに邪険にしないで下さいよ。お土産も持ってきたんですから。メルちゃんと一緒に食べてください」


 中身はよく分からないが、それよりもエイドはその言い様が気になる。

「可愛らしく言うな。魔獣使いのパートナーっていうのは、もっとこう雄々しい存在なんだよ」

 力説していたが、一方のフミルは自身の見解に自信をもっていた。


「でも、メルちゃんって女の子じゃないですか」

(え⁉)

「そうなのか⁉」

「そうなの⁉」


 それぞれが驚愕の面持ちになる中、フミルは少し肩を竦める。

「あれ? 誰も知らなかったんですか? 確かに、トロルの性別はヒヨコ並みに判別が難しいですけど……」

(……この娘……いったい何者……?)


 メリアが言葉を失う中、エイドは腕を組んで大きく頷いていた。

「……いや、まぁ、なんとなく分かってたぞ……こいつのことは、俺が一番よく分かっているからな」

(ええ……)


 唖然とするトロルを尻目に、エイドは静かに檻から出る。

「それはそうとして、今日は何用なんだ?」

 同時に尋ねると、フミルは綿の袋から物差しを取り出していた。


「あ、そうでした。今日はメルちゃんの手の採寸をしたいと思いまして」

『?』

 その意図が分からず、他の面子がポカンとしていると、少女はすぐに説明する。


「今後、戦場に出ることもあるかもしれません。その場合、パワーを活かした武器を持っていた方が好都合でしょう。だから、その準備です」

 楽しげに喋っていたが、一方のエイドは不審な目を向けていた。


「なんでお前がそんな都合をつけようとするんだ?」

「ただの興味本位ですが、何か?」

「……いや、まぁ、別にいいが」


 すぐに押し切られていると、フミルはにこやかに宣言する。

「それじゃ、早速取り掛かりますね。ちなみに、希望はありますか? ここは定番で棍棒とかどうでしょう」

「そうだな。確かに、それが定番だが……」

(……いや、定番って何……?)


 メリアが付いて行けずに困惑していると、ここでレイアが口を挟んでいた。

「あ、そうだ」

『?』

 他の全員の注目を受ける中、エイドに向き直る。


「私も君にいくつか用があったんだ。今でもいい?」

「別にいいけど」

 彼が適当に返答していると、レイアは順に質問をしていた。


「まずは、あなたの住所ね。昨日出してくれた書類の方に間違いがあったから、訂正しておきたいの。本籍じゃなくて、今の住所の方ね」

 この指摘に、エイドは一瞬だけ逡巡してから口を開く。


「……フォルドゲート地区にあるアカデミーの寮だよ。詳しい番地は、調べればすぐに分かる」

 素直に応じていたが、一方のレイアはその地名に少し驚いていた。


「……フォルドゲート? いいとこに住んでるね……」

「それが何か?」

 エイドが即座に訊き返すと、彼女の方は少し慌てる。


「いえ、別に……あ、それからもう一つ」

 次いで、別件を伝えていた。

「ギルド本部に仮の身分証書を取りに行ってほしいの。ここはもういいけど、他の街なんかでは必要になるから」


 確かに、エイドもメルマークをずっとこの場所に閉じ込めておくつもりはない。その場合は、王都以外を拠点にする可能性もあるので、その手形は不可欠だった。

「……面倒だが、仕方ないな……」

 納得していると、ここでレイアが急に頭を下げる。


「それと、これはあくまでも私的なお願いなんだけど……」

『?』

 他の面子が思わず注目していると、彼女は意外なことを口にしていた。


「ギルド本部に行くついでに、スキル・マイスターの間で流行ってる例の指輪について、情報聞いておいてくれない? ここみたいな末端には、なかなか伝わってこなくてさ。私もちょっと興味があるの」

「例の指輪?」


 エイドが首を傾げていると、レイアが詳しく語る。

「あれ、知らない? 今、ギルドで話題になってること。この前の商人が持ち込んだらしいんだけど」

「……ん? ああ、あいつか」


 エイドが以前に正門で見かけた人物のことを思い出していると、レイアは意味深な口調で告げていた。

「なんでもスキル・マイスターがその能力を扱う際、デフォッグの排出をゼロにできる画期的な代物らしいよ」


 ただ、この内容にはフミルが過剰に反応する。

「なんですか、それ⁉」

 その珍しく取り乱した様子に、レイアは思わず仰け反っていた。


「……私も又聞きだからよく分からないんだけど、その効果のおかげでギルドのスキル・マイスター達は全力で仕事ができるって喜んでるらしいよ」

 これを聞いて、フミルは難しい顔で押し黙ってしまう。


「……おい、どうした?」

 エイドが思わずその顔を覗き込んでいると、少女は眉根を寄せながら呟いていた。

「……にわかには信じられないですね。デフォッグの概念というのは、スキルのそれと合わせ鏡です。スキルを使用してもデフォッグが出ないなんて、理論上はあり得ません……」


「でも、事実なんだろ?」

 エイドが確認するように訊くと、レイアは無言で小さく頷く。それを視界の端で見ていたフミルは、視線を全く向けずに呼び掛けていた。


「……エイド君」

「ん? なんだ?」

 何気に訊くと、少女は想像通りのことを告げる。


「ギルド本部には私も行きます。確認せずにはいられません」

「またかよ」

「またです。今度は寄り道しません」


 この真剣な様子に、エイドはわざわざ否定する気も失せていた。

「研究熱心なことで」

 ただ、フミルは既に意識がギルド本部の方に移っているようだ。

「それじゃ、早速行きましょう」

「ああ?」


 展開の速さにエイドが素っ頓狂な声を上げていたが、少女は一切無視してレイアに向き直っていた。

「お姉さん、お土産はメルちゃんと二人で処理しておいてください。では」


 そう言い残すと、綿の袋をその場に置いて、すぐさま背を向けてしまう。

「……ったく……」

 一方のエイドは渋々その背を追っており、二人の姿はあっという間に消え去ってしまっていた。


 取り残された方は、所在ない様子で見つめ合うのみ。

「……うーん、女の子同士で女子会――って訳にもいかないか……」

(……でしょうねー……)

 無為な意思疎通をするだけで、しばらくその場に立ち尽くす。なんにしても、お互いこのあとは適当に時間を潰すことしかできなかった。

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