第16話 檻の中の元王女

 先程、忍耐の二文字を胸に刻んだメリアだったが――

 いざ、檻の前までやってくると、どうしても躊躇が先立ってしまっていた。大型のフォグ・モンスターは元々支配が難しいため、専用の場所は全て空いている。ただ、実際にその暗欝とした空間を目の当たりにして、気分がだだ下がりになってしまっていた。


 鉄格子の幅は人一人ならなんとか通り抜けられそうだが、今の体格の自分に突破は不可能だろう。それはともかく、内部には簡単に藁が敷かれているだけだ。王宮とのあまりの落差に目眩が止まらなかったが、これ以上立ち止まっている訳にもいかなかった。


(……今は……我慢……時が来れば……)

 なんとか一歩前に踏み出し、檻の中に入る。それを確認して、レイアはしっかりと施錠をしていた。


「これで良し。あとは書類なんかの手続きね」

 振り返った彼女に、エイドが素朴な疑問を向ける。


「今から全部揃えるのか?」

「すぐにじゃなくてもいいけどね。例外的なことだから、こっちもどこまで用意したらいいのか分からないし」

「そうか」

「それにしても――」


 と、レイアがトロルを横目にしながら何か呟こうとした時だった。

「ごめんください!」

 施設の出入口の方から、女性のものと思われる声。

『?』

 二人が同時にそちらへ視線を向けていると、足音が二つこちらへと向かってくる。


「あ、ここにいた!」

 直後に扉を開けて入ってきたのは、一人の少女。その背後には、見覚えのある屈強な男性が続いていた。


 前者の姿を見て、エイドが少し肩を竦める。

「……誰かと思ったら……」

 その言動には反応せず、フミルは施設の職員に謝意を示していた。


「勝手にお邪魔してすみません。噂を聞いてこちらに駆けつけたところ、偶然すれ違ったアカデミーの責任者から事のあらましを窺いまして。居ても立ってもいられず……」

「俺の方はただの付き添いです」


 背後のザイアムも恐縮した様子だったが、一方のレイアは特に気にしない。

「構いませんよ。お知り合いですか?」

 隣に視線を向けると、エイドは小さく頷いていた。


「ああ。アカデミーの同期だな」

 ただ、フミルはその様子には一切見向きもしない。

「……うわ。本当にトロル・ロードだし……」


 魔獣のことを凝視しながら近寄っていると、エイドがこれでもかというほど胸を張っていた。

「どうだ? これが俺の才能だ」


 そこで、ようやくフミルも相手に向き直る。

「……すごいですね。見直しました。目から鱗です」

 この言動に、エイドは天狗の鼻をさらに伸ばしていた。


 次いで、後方のザイアムも口を開く。

「……俺もフミルから少し聞いてるが……」

 そして、素直な感想を述べていた。

「すげえ執念だな。トロルを支配下に置くなんて。何がそこまで君のことを突き動かしてるんだ?」


 続いたこの質問に、全員の耳目が集まる。その視線にエイドは一瞬だけ躊躇したが、今は気分が高揚していたため、ずっと胸の内に秘めていたことを思わず喋っていた。


「……俺は……息の長い英雄になりたいんすよ」

 ただ、その発言の一部に、フミルが首を傾げる。

「息の長い……?」

「ああ」


 エイドが即答していたが、他の全員にはその意味がよく分からなかったようだ。そこで、ザイアムが代表して尋ねる。


「英雄になりたいってのは俺にも分かる。男子なら誰にでもある願望だ。グリミナスが滅んでも、依然としてフォグ・モンスターの強敵は世の中に出没するからな。地位と名誉と大金が得ることができる。でも、普通はうちの先王とかを目指すもんだぞ」


「……ザイ兄さん。不敬ですよ」

 フミルが最後の微妙な言動を諫めていたが、当の本人は馬耳東風だった。

「聞き流せよ。別に王族の奴らが聞いてる訳じゃないんだから」

(実は聞いてるんですけどねー……)


 メリアがその様子を半眼で見つめる中、ザイアムは続ける。

「なんにしても、その方が格好いいからな。女にもモテる。なのに、なんでモンストル・マスターだったんだ? 一番地味だぞ」


 この指摘には女性陣も納得していたが、エイドだけはその限りではなかった。

「いや、だって――」

 と、腕を組んで力説する。


「他の面子、早死にしてるし」

『!』

 その言及に他の全員が言葉を失う中、エイドは一気に自分の本心を吐露していた。


「ペナメモの影響か、グリミナスとの激戦が原因なのかはよく知らないが、英雄チームの面子はほとんどが早死にだ。俺は一瞬の煌きなんて真っ平御免なんだよ。その点、ギリカ・ナムサスは優秀だな。魔獣使いは最後列から従者のフォローをするだけだから、身体に負担が掛からない。だから、大往生しておられる。息の長い真の英雄だ」


 ここまで聞いて、フミルが少し頬を掻きながら確認する。

「……えーと、もしかして、それだけの理由で周囲の反対を押し切って、モンストル・マスターを目指していたの?」

「もしかしなくとも、それだけだぞ」


 その断言に他の全員が呆気に取られる中、メリアは脱力しながらこの偽りの主人のことを少しだけ理解していた。

(うん……なんていうか……こいつ、変な方に振り切れてる……)


 一瞬沈黙が流れたが、ここでエイドがふと思い出す。

「あ、そういえば」

 ザイアムの方に向き直り、真面目な顔で尋ねていた。


「例の件はどうなったんすか?」

「例の件?」

 相手がキョトンとしていると、エイドは言葉を付け足す。


「王女様が行方不明って話。マティカの森に行ったついでに、見つけたら保護でもしておこうかと思ったんだけど」

(……私はついで、ですか……いや、密かに目的は果たしてるけどさ……)


 メリアが内心で苦笑していると、一方のザイアムはやや困惑した様子で事実だけを告げていた。

「その点に関しては、まだ進展はないな。状況の詳細は少しだけ入ってきてるが」

「詳細?」


 エイドが首を傾げると、ザイアムは小さく頷く。

「ああ。なんでも、王女様が当時着用していたローブだけが見つかったらしい。びりびりに引き裂かれた状態でな」


 その内容に敏感な反応を見せたのは、フミルだ。

「え! それって……」

 最悪のパターンが瞬時に脳裏を過ったようだが、一方の従兄は冷静な様子で首を横に振っていた。


「いや、その憶測は早計だ。衣服の破片には、血痕などは全くなかったんだよ。喰われたりした訳じゃないようだ」

「では、王女様は敵からどんな被害を受けたんでしょうか?」

 すぐにフミルが疑念を示すが、その根本的な部分にザイアムは同調しなかった。


「被害……か。あの人の能力でアンデッドに後れを取るとは、俺には考えられないな。それに、マティカの森には、もう敵影はない。だから、王女様は完全に相手を葬っているはずなんだ。なのに、当の本人はどこにもいない。この状況は不可解過ぎるんだよ」

(……油断してたんです……未知の能力だったんです……)


 人の輪の外でメリアが内心で半泣きになりながら呟いていると、ここで急に今まで黙っていたレイアが割って入る。

「ちょっと待って」

『?』


 注目が一斉に集まる中、彼女は人差し指を立てながら指摘していた。

「要するに、こういうこと? 現状では、敵を滅ぼした王女様は何故か自らの衣服を引き千切り、どこかへ行ってしまわれた可能性が高い、と」


(……うん? え……?)

 メリアが硬直する中、ザイアムは苦笑するしかない。

「……まぁ、そうなるかな……」


(………………え……?)


 そのまま場の空気が沈滞していると――

「……ただの変態だな」


 と、急にエイドが口を開く。

『⁉』

 他の全員がその暴言に絶句しているが、当の本人は全く悪びれる様子もなかった。


「いや、だってそうだろ? どう想像しても、頭おかしいようにしか思えないぞ」


 メリアが――

(――――――!)

 必死で自分を押さえ込もうとしているが、一方のエイドはなおも続ける。


「やれやれ、今までは俺も王女様は国の聖母だと思っていたが……とんだ性癖を持った御仁だったな。先王は英雄になって姫を娶ったというが、俺は絶対に御免だな」

「……いや、それでも今までの功績はちゃんとあるんだから、礼を尽くして接してあげないと……」

 フミルが思わず微妙なフォローを入れていたが、エイドは断言するだけだった。


「生理的に無理だ」


 と――

 その直後だった。


「う――ガアアアア――――――ッ!」


 急に、檻の中のトロル・ロードが暴れ始める。

『⁉』

「何⁉ いきなりどうしたの⁉」


 責任者のレイアが血相を変えていると、ここでエイドがどこか大仰な仕草で身を捩っていた。

「……く! どうやら、無理をし過ぎたようだ……」

「どういうこと⁉」


 レイアが詰問すると、エイドは至極真面目な表情で事情を切り出す。

「こいつを支配するのには、かなりの力を使った。少し気が抜けた影響で、一時的に支配が弱まったらしい……」


(ち――が――――――うッ! お前にそんな才能はな――――――いッ!)


 メリアが内心で絶叫を上げていたが、やはりその声は誰にも届かなかった。


 やがて、エイドが気丈な様子で立ち直る。

「……心配するな。もう回復した。すぐに落ち着く……」

『!』

 同時に、一斉にその視線が檻の中に集まると、メリアも不本意だが状況を察するしかなくなっていた。

(う……ッ!)


 鉄の意思で感情を押さえ込み、なんとか相手の寸劇に合わせる。トロル・ロードが完全に落ち着いた様子に、ザイアムは大きな嘆息をしていた。

「……収まったな。冷や冷やしたぞ」

「失礼した。以降は、どこにいても感応波が途切れないよう注意しよう」


 エイドがどこか誇らしげな様子で全員に謝意を示す。その一方、メリアは内心で滝のように落涙していた。

(……もうやだ……早くおうちに帰りたい……)


 すると――

「それで」

 と、ここでフミルが向き直る。


「この子の名前はなんというんですか?」

「ん? 名前?」

 エイドがキョトンとしていると、少女はいつもの調子に戻って訊き直していた。


「はい。まだ決めてないんですか? 主としての特権事項ですよ」

「うーむ……そうだなー……」

 彼が真剣に考え込む中、フミルは一つの提案をする。


「では、メルマークはどうでしょう?」

「める……なんだって?」

 エイドが怪訝そうにしていると、少女はどこか得意げに知識を披露していた。


「メルマークです。ギリカ・ナムサスが最も頼りにしていたとされる相棒の名前です。御存知ありませんか?」

 この最後の質問に、エイドは少々慌てる。


「お……ああ! そ、そうだったな……! よし! では、それにしよう……!」

 虚言であることは明らかだった。だが、その点に関しては、特に指摘もない。新たな才能とそのパートナーの生誕に、誰もが小さな希望を見出していた。


 そんな中、メリアは輪の外で完全にいじけている。

(……なんか、ちょっと私の名前に似てるような……というか、そこから取った訳じゃないよね……?)

 その脳裏に両親や家族の姿を思い浮かべながら、一刻も早く元の居場所に戻れるように祈願していた。

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