第23話 閃きと絶句
例の指輪を持ち帰ったフミルは、自分の研究室に籠ってから一度も帰宅をしていなかった。その存在はそれだけ異質であり、興味の対象としてこれ以上のものはない。寝食も忘れるほどに没頭していたため、今の時間もよく分かっていなかった。
「……もう日が暮れていましたね……」
窓の外を見つめながら、何気に独白している。かなり疲労も溜まっていたが、まだ続けるつもりだった。
もっとも、解析の成果はそれほど出ていない。分かった唯一のことは、この指輪の内でなんらかのスキルが円環しているという事実だけだ。材質も不明。ただ、その発想は完全に革命的であり、少女の好奇心を十全に刺激していた。
円運動は、確かに永続性を担保する理の一つだ。いったい誰が発明したのか。その技術は、どうやって会得したのか。どんなスキルが込められているのか。興味は尽きない。それ故、一切の苦痛も感じずに取り組むことができていた。
「さて、休憩も終わりにしましょうか」
そう言いながら、机の上のアビス・リングに再び集中しようとしていた。
そんな折、室外からノック音。
「?」
こんな時間に不審な展開だと思ったが、この施設に部外者が侵入できないことは周知の事実だ。
「どうぞ」
気軽に入室を促すと、すぐに見覚えのある顔が目に入っていた。
「頑張ってるようだな」
最初にそのスキンヘッドで認識していたが、その点は特に触れない。
「教官殿でしたか。今日は当直ですか?」
何気に尋ねると、マジョブは一気に事情を話していた。
「いや、そういう訳じゃない。ほら、例の討伐隊が外に出張ってるだろ? だから、アカデミーもすぐに報告を受ける態勢が必要になってるんだよ。少し緊迫してるからな。場合によっては、俺も動く必要がある。だから詰めてたんだ」
ここまで聞いて、フミルはふと思い出す。
「そうでしたか。そういえば、その件は今どうなっているんですか?」
気になっていたことを訊くと、マジョブは相好を崩していた。
「心配ない。無事に討伐隊がフォグ・モンスターの群れを壊滅させたそうだ。その指輪の効果もあって、奴らも全力で対応できたらしい。俺の役目も、もう終わりだよ」
それ故に持ち場を離れたようだが、フミルにはまだ疑念が残っている。
「……背後に黒幕はいなかったんですか?」
難しい顔になってその点を追及していたが、マジョブは肩を竦めていた。
「それに関しては不明だな。オーガ・キングの存在以外の報告は受けていない。こちらの勢力がいつもより強大になっていたから、臆して撤収したのかもしれん」
「だといいのですが……」
楽観的過ぎると思ったが、フミルも一応納得する。また、それ以上のことをここで詮議しても無意味であったため、教官の方に改めて向き直っていた。
「それで、何か御用ですか?」
ただ、この問い掛けにマジョブは妙な反応をする。
「……ん? んー……」
視線を泳がせているその様子に、フミルは普遍的な応答を求めていた。
「何か用事があってお越しになったのでは?」
「……あー、そうだな……」
それでも何故か口籠るマジョブだったが、一方の少女にも何か心当たりがあるらしく、いきなり核心をつく。
「また小銭の無心でしょうか?」
すると――
「――すまん!」
マジョブは両手を合わせて相手を拝み倒していた。
「うちの家内がまた家の財布の紐を締めやがったんだ。二男の教育費がどうのこうのとか急に言い出してな! ガキなんて放っておいても育つもんなのに……」
かなり年上の男性のみっともない姿だったが、フミルはその点に関しては特に気にしない。
「教官殿の家庭事情に口を出すつもりはありませんが……」
そう前置きをしてから、最大の問題点を指摘していた。
「なんにしても、既に無視できないほど負債が溜まっています。約束の返済期限はまだ先ですが、あとでどうなっても知りませんよ」
年端もいかない少女からの諫言を、マジョブは素直に甘受する。ただ、その願意だけは退けなかった。
「……御忠告痛み入る……必ず纏めて返すから……」
この痛々しい様子を見て、フミルはとりあえず尋ねる。
「それで、おいくら必要なんですか?」
「……酒代にして二日分ほど……」
マジョブが恐る恐る答えると、少女は小さく溜息をついていた。
「……分かりました」
そう言いながら、机の引き出しから銀貨を数枚だけ取り出す。そして、机の上で丁寧に横へ滑らすと、教官はそれを満面の笑みで受け取っていた。
「恩に切る! 何かあったら、色々と都合をつけてやるからな! ここの経費で!」
そう言いながら踵を返そうとするが、フミルは思わず頬を引きつらせる。
「……いえ、それは結構です」
その言葉が届いたかどうかは判然としなかったが、マジョブは最後に変な作り笑顔を見せながら退出していた。
急に静かになった室内。フミルはしばらく教官の残像に半眼を向けていたが、すぐに切り替える。改めて机上の指輪に向き直り、解析を続けようとしていた。
「……さて、ではやりますか」
だが――
「――ッ!」
その瞬間だった。
フミルの背筋に電撃が奔る。閃きが脳天から一気に迸ったのだ。
「もしかして……!」
少女は目の前の指輪を凝視すると、即座に解析のためのスキルを発動する。
「〈エリア・アナリシス〉!」
両手の中央に対象を据え、知性と理性によって構成された不可視のメスを入れていた。この系統のスキルは消費エネルギーが微弱であるため、デフォッグは出ない。視界が曇ることもないため、フミルは一心不乱に作業を続けていた。
やがて、その瞳に光を灯す。
「……やっぱり! これって……そういうこと……!」
どうやら、正答に辿り着けたようだ。ただ、そこに歓喜の色はなく、その表情はむしろ困惑に満ちている。
「でも、これ……座標はどこ……?」
フミルはさらに解析を続行していた。もっと詳細を調べる必要があるらしい。既に他の映像や物音は全く頭に届いておらず、その作業だけに没頭していた。
そして、ついに計算が終わる。
それと同時に、少女は思わず椅子から立ち上がっていた。
「――え……ッ⁉」
そのまま硬直。しばらく絶句していたが、慌てて部屋を飛び出す。その表情は焦燥感に満ちており、非常に切迫していることは誰の目にも明らかだった。
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