第25話 過去からの刺客
人の霊魂を媒介にして誕生したアンデッド系フォグ・モンスター。人の怨霊と言った方が正確なのかもしれない。実体がなく、人に憑依することもあるその存在に物理的な攻撃は届かず、神官系のスキル・マイスターが扱う退魔スキルでなければ対処はほぼ不可能だった。
その反面、このアンデッドも直接的な攻撃手段は制限される。主に精神攻撃を得意としており、人々の間に混乱と恐慌を撒き散らしていた。
ただし、それは一般的な霊体アンデッドの場合の話だ。今、メリアの目の前にいる存在は、過去のどの事例よりも強大な気配を漂わせていた。
「――それにしても」
と、ネグヴァが呑気に語り出す。
「貴様には何度も驚かされるな。未だにリギウスの呪縛が有効であるにも関わらず、こうも易々と捻じ曲げてくるとは」
これを聞いて、メリアはマティカの森での出来事を瞬時に思い出していた。
「……やっぱり、奴とグルってわけね……!」
「正門のところで見掛けた時には、さすがに言葉がなかったぞ。なんにせよ、あの状態ならこちらの動向が勘付かれることはないだろうと高を括っていたが……」
なおも余裕を見せているため、メリアが焦れる。
「いったい何を企んでいるの⁉」
だが、その追及をネグヴァは失笑するだけだった。
「素直に言うと思うかね?」
この反応に――
「――でしょうね!」
メリアは即座に攻撃態勢に移る。
「〈クリアル・ランス〉!」
「!」
一方のネグヴァも一瞬で意識を切り替えながら光の投げ槍を回避。霊体アンデッドは実体がないからこそ、退魔スキルによる効果が高い。一撃でも受ければ致命傷になり兼ねないのだ。神官系のスキル・マイスターが相手では不利だと知っているはずだが、それでも逃げずに対峙していた。
その動向をむしろ厄介だと感じているメリアだったが、とりあえず昏倒したベイスの身体から相手を引き離すことには成功だ。なんらかの方法で人質にされるような事態は避けたかった。
また、お互いのスキルは周囲に物理的な被害はほとんど出ない。あとは全力で対処するだけだった。
「だったら……ここで消えてもらうのみ!」
改めて身構える。しかし、ネグヴァは全く動じていなかった。
「威勢のいいことだ。確かに、このまま続ければ我の方が不利であろう」
言葉と裏腹な態度は、虚勢ではないと思われる。それは、次の指摘に全てが集約されていた。
「だが、今の貴様には枷があろう?」
「……!」
メリアが瞬時に動揺する。それを見て、ネグヴァは我が意を得た様子で得意げになっていた。
「リギウスの呪縛に抵抗し続けるためには、高い出力の持続が必要なはずだ。戦闘を行いながらずっと維持できると思うのかね?」
それは確かに事実だったが――
「……だったら……」
メリアに気後れする様子はない。
「一気に決着をつける……ッ!」
「!」
相手に緊張感が増す中、彼女は出し惜しみ一切なしで、以前と同じ最大のスキルを解き放っていた。
「〈ヘブンズ――インパクト〉!」
周囲の空間で一斉に光の圧力が増す。マティカの森で例のアンデッドを滅ぼした時と同じだ。回避不可能の強烈な範囲攻撃。まさしく必殺の一手だった。
その攻撃対象であるネグヴァは――
「ぬ――おお……⁉」
一気に光の渦に飲み込まれていく。その後、すぐに周囲の景色は元に戻っており、アンデッドだけが問答無用でこの場から退場させられていた。
「……やった……?」
メリアがそう認識する。
だが――
あまりにも呆気ない。そのことに嫌な予感を覚えていた直後だった。
「……お喋りが過ぎたようだな」
「――⁉」
聞き覚えのある重い声に敏感に反応。慌てて背後を振り返ると、地面の下から湧き出すように濃い影が現出していた。
「なんのためにペラペラと無駄話をしていたと思うのだ? 時間稼ぎをするために決まっているだろう?」
この言動に、メリアも一瞬で状況を理解する。
「蜥蜴の……尻尾切り……!」
おそらく、今まで対峙していたのは分身だったのだ。本体は糸のような僅かな意識で繋がりながら、地中奥深くに潜っていたのだろう。こちらの〈デム・ソナー〉では感知できないほどに。実体がない故にできる芸当だった。
ネグヴァが改めて向き直る。
「さて、ではこちらの番だな」
それに対応するため、メリアは慌ててスキルを発動しようとしていた。
「〈セイクリッド――〉」
が――
「――う……ッ⁉」
その途中で限界を迎えてしまう。
「それ以上は無駄だな。さすがに我の同士も許さんぞ」
ネグヴァの指摘も、既に彼女の耳には届いていなかった。身体の深奥から突き上げてくる力が弱まってきているため、もう例の呪詛に抵抗できない。全身が再びおびただしい熱量を持ち始め、その膨張を止めることはもはやできなかった。
「う――ああああ……ッ⁉」
着ていた薄手のコートを盛大に引き千切りながら、少し前までの醜い姿に一瞬で戻ってしまう。
(……く……そ……ッ!)
それまでの経験から以前のような混乱には陥らなかったが、酷い徒労感が脳裏に充満していた。
それを見たネグヴァがおどける。
「おやおや。やはり、そちらの方が可愛らしいじゃないか。なんだったら、オスのトロルでも紹介してやろうか?」
その戯言に、メリアは一瞬で我を失っていた。
(ふざ――けるな――――――ッ!)
何も考えず、感情のまま相手に向かって突進。一方のアンデッドは、それを平然とした様子で迎え撃っていた。
「〈デモンズ・クロー〉」
その掌から漆黒の刃が無数に出現。
(……⁉)
回避できないと悟ったメリアは、立ち止まりながら慌てて防御姿勢を取る。そこにマッド・スキルが襲い掛かったが、その結果にネグヴァは少し戸惑っていた。
「ん……?」
メリアにそれほどの被害がないように見えるからだ。
(……ダメージ……そんなになかった?)
一方の彼女も拍子抜けした様子で佇んでいる。体表の一部に掠り傷のようなものができただけ。それも、トロル・ロードの驚異的な回復能力ですぐに塞がっている。この一連の様子を見て、ネグヴァは自身の失策を認めていた。
「そうか。トロルにはそもそも痛みを感じなかったな。身心同時攻撃のスキルだったが、刺激を増大させてもあまり意味はなさそうだ」
どうやら、相手の痛覚を増幅する能力だったらしい。それによって、本来なら対象を悶え苦しませることができたようだ。
しかし、その電気信号は、身体の異常を脳に伝えるためのもの。驚異的な回復能力があるトロルは、必然的に痛覚を必要としなかった。
メリアもそのことを思い出し、即座に次の一手を打つ。
(この隙に……!)
少し冷静さを取り戻し、ネグヴァに攻撃を仕掛けていた。
だが――
「無駄だぞ」
(⁉)
爪によるその一撃は、相手に全く到達していない。黒い霞を貫いただけだ。ほとんど回避もしなかったネグヴァは、小馬鹿にした様子で彼女のことを見下していた。
「実体のない我に物理攻撃は効果がない。既に詰んでいるのだよ。最初に攻め切れなかった時点でな」
この指摘に、メリアは歯噛みするしかない。
(……グレーター・プリーストの能力なしで、どうすれば……!)
打つ手がなく、右往左往していると、ネグヴァの方が一方的に宣言をしていた。
「さて、そろそろ終わりにするか」
(⁉)
「まだ本番が残っておる故、貴様の悶え苦しむ様に付き合うことができないのは非常に残念だ」
名残惜しそうにそこまで呟くと、トロル・ロードに再び掌を向ける。
「〈ハート・イーター〉」
そして、無数の悪意が一気にメリアの脳髄に到達していた。
(……ッ⁉ う……ああああッ⁉)
彼女の脳裏では――
ネガティブな情報が一気に駆け抜けている。それは負の感情の洪水だ。生まれてから現在に至るまでの嫌な記憶が、あり得ないほど増幅されて走馬灯のように駆け巡っていた。
まるで、世界全てが自分を嘲笑しているような偽りの感覚。それによって、自らの心を押し潰そうというのだ。理性でなんとか対抗しようとしていたが、それ以上に圧倒的な悪意が自身の弱い心を穿っていた。
トロル・ロードが膝から崩れ落ちている中、一方のネグヴァはもう関心のない様子で踵を返す。
「そこで精神から先に朽ち果てるがよい。では、さらばだ」
一方のメリアはなんとか追い縋ろうとするが、精神的な負荷により全く力が入らない。
(……待――――――)
悪意の本流に心が押し流されそうになっており、今にも発狂する寸前の精神状態に陥っていた。
が――
次の刹那――
「――〈エンジェル・トレース〉!」
全くの別方向から、聖なる力が彼女に到来。
(え――⁉)
「ぬ――⁉」
ネグヴァも異変を察知して立ち止まり、振り返っていた。それと同時に、メリアに掛かっていた負の力が一瞬で無効化される。いや、それ以上に、トロル・ロードの全身に聖なる力が漲り始めていた。
(これって……退魔防壁――じゃない! 攻防一体の退魔フィールド……⁉)
その効果は神官系のスキルと同様で、アンデッド系フォグ・モンスターと、その能力のみに有効だった。それ故、メリア自身を蝕むことはない。そのことを理解して、落ち着いて状況を確かめていた。
(このスキル……まさか、モンストル・マスターの! それに、さっきの声……!)
「何者だ!」
ネグヴァが予想外の展開に困惑する。同時に視線を路地の影に向けると、そこから一つの人影がゆっくりと進み出てきていた。
「……おいおい。なんなんだ、これは……」
その姿を確認して――
(――エイド……!)
メリアの表情が一気に明るくなる。その一方、状況が理解できない彼は唖然とした様子で周囲を確認していた。
「なんでメルマークが勝手に外に出て……霊体アンデッドと戦ってるんだ?」
ただ、ここでメリアも少々呆気に取られる。
(こいつ……フォグ・モンスターを従属させる才能は全くないのに、関連のスキルだけは使えたの……⁉)
完全に宝の持ち腐れだ。もっと別のスキルを習得すれば良かったのに。そうは感じていたが、今回ばかりは渡りに船だった。
ネグヴァが唐突な闖入者を睨みつける。
「……見た顔だな」
正門やギルド本部でのことを言っていたが、エイドには相手を認知することはできなかった。
「お? なんだって? 俺にはお前みたいな影の濃い知り合いはいないぞ。影の薄い奴はアカデミーにもいるが」
この全く恐れ慄かない様子に、ネグヴァが苛立つ。
「どうでもよい!」
「!」
「邪魔に入るのであれば、貴様も纏めて――」
と、その途中だった。
(――隙あり……ッ!)
メリアがいきなり突貫。
「――⁉」
ネグヴァが慌てて回避するが、その爪は確かに相手を捉えていた。
(……感触あり! 通った!)
「チィ……ッ! 厄介な……!」
モンストル・マスターのサポート・スキルによって退魔効果が上乗せされているため、物理攻撃でもアンデッドにダメージが入ったのだ。相手の精神攻撃にも対抗できるようになったので、これなら互角に戦うことができた。
そんなトロル・ロードの背後に、エイドがゆっくりと回り込む。
「……こいつは嬉しい誤算だな」
(え……?)
メリアが思わずキョトンとしていると、彼は素直な本音を吐露していた。
「経緯はよく分からないが、それはこの際どうでもいい。お前と共に戦えるのはもっと先かと思ってたからな。結構強そうなアンデッドだが……なんか負ける気はしないな」
この発言に、彼女も同意以外の言葉はない。
(……そうね……!)
内心で小さく頷くと、改めて敵に向き直っていた。
一方のネグヴァは――
「……ふざけるな」
その口調に、怨念を込めながら語り出す。
『!』
二人が思わず身を固める中、アンデッドは実体のない身を震わせていた。
「我はグリミナス様の一の従者である! 貴様らのような不完全な状態の者共に遅れは取らぬ!」
だが――
「――だったら!」
その程度の圧力で怯む二人ではない。
(――試してみなさい!)
同時に、相手に向けて突撃を開始。一方のネグヴァは、このコンビの弱点と思われる方に狙いを絞っていた。
「〈シャドウ・フレイム〉!」
リギウスも使用していた闇の炎。一般的な霊体アンデッドであれば使用できないマッド・スキルだ。やはり、相手のレベルが違う。しかし、その到達の前にメリアが素早く反応していた。
(通さない!)
エイドの前に割って入り、持前の体力とサポート・スキルで防ぎ切る。
「!」
その結果にネグヴァが一瞬戸惑った隙をついて、エイドがさらなるスキルを解放していた。
「〈オーバー・ヴォイス〉!」
灰色のデフォッグを排出しながら、メリアに追加効果を掛ける。
(ナイス・サポート!)
それによって、トロル・ロードの身体能力が一時的に上昇。今までよりも素早く距離を詰めると、先程よりも強烈な一撃を与えていた。
「くぅ……ッ!」
ネグヴァが判別の難しい顔を歪める中、メリアは自信を深めている。
(いつかどこかで聞いた情報よりも、サポート効果が高い! よく分かんないけど……これならいける!)
なおも追撃を仕掛けようとしていたが、ここで逆に反撃を受けていた。
「〈ソウル・ペイン〉!」
(さっきよりも強力な精神攻撃!?)
おそらく、退魔防壁を貫通する能力を持っている力だ。すぐにそう理解していたが、接近し過ぎていて回避できそうになかった。
だが、それを主が許さない。
「〈リバース・ソング〉!」
(!)
エイドがさらに援護を追加。スキルに関する全般的な能力が強化されたことで、ぎりぎり相手の精神攻撃を弾いていた。
「まだ高まる……だと!」
ネグヴァが驚愕する中、メリアも感嘆せずにはいられない。
(サポート・スキルの三重掛け! 回復系のスキルはトロルには必要ないから、回転率が高いんだ! この組み合わせ……結構いいじゃん!)
客観的な分析で気分を良くしていると、調子に乗ったエイドが上から目線になって指示を出していた。
「おし! とどめだ! 行け、メルマーク!」
(命じられる筋合いはないけど……了解!)
メリアも思わず同意し、相手に再度突撃しようとする。
しかし、ここで――
「これ以上は――やらせん!」
『⁉』
二人が同時に身構えていた。相手の言動に狂気を感じたからだ。
その予想通り、ネグヴァは全ての力を無軌道に放出。
「〈ガスト――プリズン〉!」
虚ろな霊体がさらにその存在感を投げ出し、周囲の空間に溶けていく。
「なんだ⁉」
エイドが未知の現象に戸惑う中、メリアは状況を正確に分析していた。
(こいつ……自分自身を付近の空間と融合させた⁉)
その範囲は決して広くないが、確かに外と隔絶されている。まだ二人に影響は出ていないが、何か異様な気配を両者とも敏感に感じ取っていた。
既に姿を失ったネグヴァの声だけが内に響く。
「……我が使命……このようなところで潰える訳にはいかぬ! かくなる上は、諸共滅ぼしてくれる……!」
同時に、二人の視界が急激に押し潰され始めていた。
「空間が……閉じてくるのか⁉」
エイドがそう理解する中、ネグヴァは勝ち誇った様子で吠える。
「冥府の入口へと誘ってやろう……! 獄の釜の底まで道連れだ!」
この言動に、さすがの彼も頬を引きつらせていた。
「……こいつはまた穏やかな状況じゃないが――」
そう言いながらも何か行動しようとしていたが、それをメリアが制す。
「メルマーク……?」
(ここは……私に任せて)
聞こえないのは理解しつつもそう告げると、周囲の空間を睨みつけながら、自らの深奥に集中していた。
(まだ内から湧き出してくる力が完全に尽きた訳じゃないの。これと、あなたが付与した外からの力。この二方向からの聖なる力で――呪縛の一部に風穴を開ける!)
「貴様……何をしている……!」
気づいたネグヴァがさらに吠えるが――
もう遅い。
(新しい道が――開いた……ッ!)
メリアは一瞬で理解すると、トロル・ロードの大顎を力一杯開口。そこに聖なる力を上乗せしながら、魂の咆哮を閉じ行く空間全域に響かせていた。
(〈プラトニック……ロアー〉……ッ!)
その波動は――
「――ッ⁉」
一瞬でその空間全体に伝播している。この状態の敵にダメージを与える唯一にして必殺の手段だ。今の状態のネグヴァは、自らの本質そのものを剥き出しにしている。効果がない訳はなかった。
やがて――
開きそうになっていた冥府への門は音を立てながら崩壊。周囲の空間が元の状態に戻ったのは、それからすぐのことだった。
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