第3話 モンスター・バンク
王都の最外郭にある城壁。そこには、東西南北それぞれに一つずつ正門が設けられていた。中でも西国へと通じる主要街道に面した南門は最も巨大で、ここには検問に必要な機能の全てが備わっている。門扉も極めて重厚で、戦争になってもそう易々とは突破できない構造になっていた。
そんな南門から左右に続く城壁の内側に沿う形で、一つの平屋の建造物が設えてあった。小さな出入口の他に、大きなスライド式の扉もある。怪しい通行人を取り調べる守衛室とは少し離れており、どうも用途は違うようだ。大通りから見える位置にはあるが、あまり利用者はいないようで、ここだけ寂れた雰囲気があった。
小さな出入口から中へ一歩入ると、すぐに受付のカウンターが現れる。そこには、二十代前半の若い女性が気だるそうに座っていた。レイア・セルロック。ここの職員のようだが、無造作に頬杖をつき、ブロンドの長髪がその周囲に垂れている。まだ肌寒い今の時期にしてはやや露出が多いが、あまり気にならない様子だった。
どうやら、今は何もすることがないようだ。他の職員の姿も見当たらない。住み込みが必要な仕事で、彼女一人だけのいわゆる閑職だった。基本的には楽だからいいのだが、こうも暇だと女まで腐ってしまいそうな気になってくる。
「……身体でも動かすかー」
もういつもの日課になった有酸素運動を行うため、静かにカウンターから離れようとしていた。
そんな折のことだ。
「――頼もう!」
古めかしい言葉と同時に、一人の訪問者が唐突に現れる。
「お……?」
出鼻をくじかれたレイアは思わず硬直するが、すぐに職務を思い出していた。
「……モンスター・バンクに何か御用ですか?」
意識を切り替え、相手へと向き直る。ただ、ここで少々違和感を覚えていた。
「……?」
通常、ここには姿を見せないタイプの人間だったからだ。
エイド・カリアス。歳はまだ十代後半ぐらいの若い男性で、少し寝癖のついた栗色の髪はそのまま放置されている。見覚えのある制服に身を包み、その眼光には妙な自信の色を宿していた。
レイアがその眼光に射竦められて少しだけ身を引いていると、目の前の男子は追うように迫ってくる。
「何か……?」
改めて問い掛けると、エイドは目前で立ち止まって声を張り上げていた。
「貸し部屋の登録をしたい!」
それは、この施設の普遍的な使用目的だった。
今の世の中には、外界にフォグ・モンスターと呼ばれる人間の敵が存在する。通常、人はそれらに対して自らの力を行使して撃退するのだが、一部にはその魔獣達を操って自らの戦力とする者が存在していた。
ただ、それらの従者をそのまま街中にまで連れ込む訳にはいかない。そこで、このような預り所が設えられることになったのだ。地方では予算の関係でそうもいかないが、ここのような大都市では常設されていた。
もっとも、レイアはその申請に眉をひそめていたが。
「……君、ほんとにモンストル・マスターなの?」
相手はあまりにも若過ぎる。外で実戦を行うような歳ではないのだ。そのことを追及すると、エイドの方もあっさりと認めていた。
「いんや、ご覧の通り、まだ修行中の身だ。魔獣もまだ持ってない。ただ、準備だけは早い方がいいと思って」
「……その制服、スプラウト・アカデミーのものだよね。そっち方面のマイスターを習得しようとしてるってこと?」
「その通り!」
エイドが即答していたが、一方の彼女はここで小さな苦笑をする。
「まだ早いんじゃないの? ここは国営だから確かに貸し部屋は無料だけど、自己管理が必要になってくるからね。今から準備しても時間の無駄になるよ」
一般論で忠告していたが、エイドは声を大にしていた。
「いや、今すぐに準備をしておいた方がいいと思う。未来のパートナーのために、できることは全てやっておきたい!」
相手の勢いに押され、レイアは少し困惑する。その反面、どこかもう面倒になってきていた。
「……うーん、そこまで言うのなら……」
その様子にエイドが顔を明るくしていると、一方の彼女はここで急に片手を前に出す。
「じゃあ、許可証の方を見せてくれる?」
「……は?」
彼がキョトンとしていることにレイアは疑念を覚えたが、すぐに確認のための言葉を連ねていた。
「許可証。モンスター・バンクを利用するには、アカデミーかギルドの許可証が必要になるんだけど?」
これを聞いて、エイドの顔色が一気に冷める。
「そう……なのか?」
「知らなかったの? じゃあ、貰ってきてね。話はそれから」
レイアがその様子に適当な返事をしていると、ここで彼が急にあさっての方角を見つめながら呟き始めていた。
「……それ、ないとダメなんすか?」
「はい?」
今度は彼女の方がキョトンとしていたが、エイドは変わらない様子で続ける。
「……なくてもいいじゃないっすかー。ただの紙切れっすよ、そんなもの。魔獣使いの本質とはなんの関係もないっすよー……」
何か勝手な文句を言っているが、レイアも認める訳にはいかない。
「いやいや、そういう問題じゃないから。国の税金で運営されてるんだから、国民の義務としてちゃんと公文書の作成はしてもらわないと」
「ええー、俺、まだ税金なんて納めてないし、そんなしがらみ知りませんよー」
ここでエイドがちゃんと向き直って反駁していたが、彼女の方はやはり首を横に振るだけだった。
「だったら、なおさら発言権ないでしょ。社会に守られてるだけの子供は、ちゃんとルールに従いなさい」
この上からの指示に、エイドはあからさまに不貞腐れる。
「……何? もしかして、何か嘘とかついてる? 理由は分かんないけど」
レイアがなおも追及していたが、彼は断言するだけだった。
「ついてない。全て事実だ。俺は未来を嘱望されているモンストル・マスターだ」
「ふーん……」
そんな投げやりな反応に、エイドはなおも食い下がる。
「いいじゃんかー、どうせ空の檻の方が多いんだし」
「そういう問題でもありません。てゆーか、よくここの内情知ってるよね。見てもいないのに」
ただ、彼の方はそれ以上の反論ができずに押し黙ってしまったため、レイアは改めて結論を簡潔に伝えていた。
「とにかく、上の許可が取れないのならダメだから」
ここまで明確に拒否されると、エイドも諦観するしかない。
「……分かったよ。出直してくる……」
「そうしなさい」
すぐに踵を返した彼のことを、レイアは小さな溜息と共に送り出していた。
ただ、エイドが施設を出てすぐのことだ。
「……ん?」
足がそこで止まってしまう。その理由は、視線の先にある南門の手前に見慣れない一団の姿を発見したからだ。
「なんの一行だ?」
中央に豪華な二頭立ての馬車。小さな窓にはカーテンが引かれているため、中を窺い知ることはできない。また、その周囲を十数名の騎士達が護衛として取り囲んでおり、明らかに内部には身分が高いと思われる人物が存在するようだった。
だが、王家の情報に疎いエイドにはその目的が分からない。首を傾げていると、背後から声が掛かっていた。
「あー、あれは王女様の一団ね」
「!」
彼が驚いて振り向くと、そこにはレイアの姿がある。
「なんでも、どっかの森でアンデッドの上位種が出たとかでね。それを討伐しに行くんだってさ」
やはり、彼女はあまり忙しくないようだ。そのことを理解したエイドは、どこか突き放すような口調になっていた。
「よくそんな情報知ってるな。ただの下っ端役人なのに」
「……棘が変なとこに突き刺さってくるのが気になるんだけど……」
レイアが頬を引きつらせていたが、すぐに気を取り直す。
「その辺で屯してる兵隊さん達が話してたの。向こうにも暇な人いるみたいでねー」
そう言いながら衛兵の詰め所の方を指差していると、ちょうど王女の御一行が正門の外へと移動を再開していた。
その様子を見つめながら、エイドが独りごちる。
「……俺も早く一人前になって、あれに同行できるような実力者にならないとな……」
もっとも、一方のレイアは全く興味のない様子で、もうその場をあとにしていた。
「あっそ。じゃあ、頑張ってねー」
エイドはそんな彼女の背中を苦々しい顔で見送るが、これ以上この場に留まっていても意味がない。すぐに目の前の大通りへと戻り、王女の一団が向かった外界とは正反対の方へと足を向けていた。
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