第7話 スプラウト・アカデミー

 この世に夢元草と呼ばれる特異な植物が出現したのは、今からはるか昔のことだと伝えられている。その生態はほとんど解明できていないが、人類はこれの種子を取り込んだ人間が、特別な力を得ることができるという事実だけは認知していた。


 秘術――スキルと呼ばれるこの異能は、体力と精神力を浪費して発動される。これには人間が物理的に不可能だと理解していることを可能にする力があり、その種別はまだ全てを把握できていなかった。


 また、これは複数を取得することも可能だ。ただ、系統ごとの組み合わせには相性がある。そのため、認知されている組成を一括して習得することが一般的だ。そして、この術者達は総じてスキル・マイスターと呼ばれていた。


 スキルは基本的に口頭での発音がトリガーとなって発動する。これは思念のみの場合に起きる誤作動を防ぐ効果があった。無音による発動も可能だが、よほど高い技術が必要になる。体力も精神力も無駄に消費するため、普遍的ではなかった。


 人間にとって色々と有益なその異能だったが、物事には常に表と裏があることが世の理だ。犯罪や紛争等に用いられることも問題だったが、それ以上に致命的な結果を世界にもたらしていた。


 このスキルを使用すると、人間の身体から黒い霧状の何か――デフォッグが噴出されるのだ。詳しい理屈はよく分かっていないが、異能の反作用だと考えられている。スキルは世界の理に反する力であるため、復元力として発生しているという説が有力だった。


 排出されたデフォッグはやがて動物の生体、死体、霊体に蓄積し、人間に対して牙を剥くフォグ・モンスターとなる。彼らの行動原理は一貫して人間への憎悪であり、それこそがスキルを扱うことの代償だった。


 中でも、知能が高い存在はマッド・スキルと呼ばれる異能を扱うことができる。上位種はほぼ例外なく持ち合わせており、他にも人間の死体や霊体が元になっているアンデッド系フォグ・モンスターにその傾向があった。


 また、動物を元にした種が世代交代を繰り返すことで定着種となることもあり、現在ではこれらがマジョリティとして世界中に分布している。この種は人に対する憎悪にムラがあるため、人の街を襲う頻度も少なくなるが、棲み処に侵入した場合はその限りではなかった。


 なんにせよ、これらの存在が最終的には旧世界を滅ぼすまでに至っており、現在では世界の片隅にしか人類は生存していない。それでもスキルがなければフォグ・モンスターには対抗できないため、引き続き運用されていたが、その度にデフォッグを吐き出し続けていては終わりがなかった。


 そのため、スキルを応用してある技術が開発される。それはペナルティ・メモリーと呼ばれており、術者自身である程度の反作用を甘受する手段だった。人にもよるが、全ての処理は身体への負担が大きいため、あくまでも限定的になる。それ以外は体外にデフォッグとして排出せざるを得なかった。


 このペナルティは人それぞれ固有の性質となって現出する。現在ではペナルティ・メモリーの運用が制度化されており、スキル・マイスターはその戒めを甘受するか、能力自体を放棄しなければならなかった。


 ただ、それを回避するための手段を選ぶ者もいる。公的な手続きを経ず、闇で違法な行為に出るということだ。ただ、ペナルティ・メモリーは施術した腕の表皮に証明の刻印が出現する他、デフォッグが黒から灰色に変化する。故に、判別は容易だ。そのため、この取り締まりも、スキル・マイスターの任務になっていた。


 そして、この一連の教育や訓練を行う機関が各国には設けられている。それはスティーダム王国も例外ではなかった。


 スプラウト・アカデミーは王国直轄の機関で、ここで訓練生の教育や様々な研究が行われている。色々と複雑な立場にあるスキル・マイスターだったが、それでも高い名声と富を得ることができる可能性があるため、ここには多くの志願者が集まっていた。


 能力の高い者は、修学を終えてからもアカデミーでそのまま研究者の道を選ぶことがある。場合によっては、王族の近衛兵を務める者もいた。だが、大半はここからフラッグ・ギルドと呼ばれるフォグ・モンスター討伐機関に所属を移す。そこではチームが組まれ、世界の脅威と対峙していた。


 ただ、アンデッド系フォグ・モンスターに関しては、神官系のスキル・マイスターでないと討伐が難しく、別系統の組織が専門的にその対処をしている。現在のスティーダム王国においては王女の下に聖巫教会が新設されており、ここに神官系の有能なスキル・マイスター達が所属していた。


 それ以外の選に漏れた者達は王国軍や警ら隊、国内に群生している夢元草の管理官等に籍を移す。ただ、どこの世界にも自分を客観視できない者はいるらしく、その道を誤ることが度々あった。


 今――

 マジョブ・ソーラもそれを痛切に感じていた。頭を綺麗に丸めた壮年の男性で、フラッグ・ギルドからの出向者である。その実力を買われてスプラウト・アカデミーの教官を務めているが、本当はどちらかというと現場向きの人間だった。


 場所はアカデミー本部棟の二階にある進路相談室。その対面には一人の教え子――エイドが座っていたが、ここで急にあさっての方角を向いていた。


「――ん?」

 その唐突な反応に、マジョブは首を傾げる。

「どうかしたか?」


 簡潔に問うと、エイドは静かに顔を戻していた。

「今、何か聴こえたような……? 獣の鳴き声のようなものが」

「……そうか? 俺には何も聴こえなかったぞ」


 マジョブがキョトンとしていると、不意に教え子の方が俯き加減になる。

「……そうっすか。でも、もしかしたら、知り合いの子猫がお腹を空かせているのかもしれないな……」

「は?」


 教官がその脈絡のない発言に呆気に取られていたが、一方のエイドは構わずに席を立とうとしていた。

「では、自分はこれで」


 それをマジョブが腕を取って制す。

「待て」

 次いで、机上にある用紙を指差していた。


「話はまだ終わってないぞ。どうしても行きたいのなら、科目変更のサインをしてからにしろ」

 その指示に、エイドはあからさまに嫌そうな顔をする。


「えー、何度も言ってるけど、自分にそんな気はないっすよ」

「こっちも何度も言ってるが、お前にモンストル・マスターの素質はない」

 マジョブが断言するが、教え子はムキになって反駁するだけだった。


「まだ能力が開花してないだけだな、うん」

「あの系統は血筋がものをいう。お前にはそれがない。これが全てだ」

 なおも一般的な根拠で全否定すると、エイドは少々声を荒げる。


「そこは努力でカバーすればいい。俺だって、人一倍努力はしてるんだよ」

 だが、一方のマジョブは落ち着いた様子で相手を見据えるだけだった。

「……でもお前、ゴブリンすら従属させられないじゃん」


 この指摘に――

 室内には、しばらく沈黙が流れる。ただ、エイドの顔が徐々に渋面に変わっていくのを見て、教官は一歩踏み込んでいた。


「……なぁ、なんでそんなにモンストル・マスターにこだわるんだ? 他にも魅力的な選択肢があるだろ?」


 モンストル・マスター。そのスキル・マイスターを習得することも、このスプラウト・アカデミーならできる。フォグ・モンスターの精神に作用するスキルを行使し、それを操って戦闘等を行う極めて稀な術者だ。もっとも、条件はかなり厳しく、そもそも人気もあまりなかった。


 だが、エイドの様子に変化はない。

「……答える必要があるんすか?」

「サインをするのなら、答えなくてもいいぞ」


 マジョブが少しからかうような口調で告げると、教え子はその言動の直後に急に立ち上がっていた。

「……話はいつまで経っても平行線っすよ」

「だから、どこへ行く?」


 教官が少し苛立ちを見せるが、エイドはそのまま出入口の方へ。

「トイレですよ。マーキングじゃなくて、ただの排泄です」

「逃げるんじゃないぞ」


 マジョブは無理に引き止めないが、釘は刺していた。それを苦々しく思いながら、教え子は部屋を出る。特にもよおしている訳ではなかったが、一応言葉通りの行動に移っていた。


「……もう何度目だよ、このやり取り……」

 極めてゆっくり歩きながら、そんなことを独りごちていた時だった。


「――私が数えている限りでは、五回目です」

「!」

 急に返答があり、思わず立ち止まって背後を振り向く。すると、朝にも見た顔が向こうから近寄ってきていた。


「もうお話は終わりましたか?」

 フミルのこの唐突な介入に、彼は一層不機嫌になる。

「また、お前か。特に用がないのに話し掛けるなよ」


 ただ、一方の少女はその言葉を否定。

「用ならあります」

「ん?」

 エイドが思わず小首を傾げていると、フミルは非の打ち所のない作り笑顔を向けていた。


「実は、ギルド本部の方に届いている荷物を受け取りに行きたいんですけど、ちょっと男手が必要なんです。頼まれてくれませんか?」


 だが、この願意を彼の方は訝る。

「なんで俺なんだよ。パワー系の奴らが他にも大勢いるだろ」

 他の訓練生の名前を列挙しようとしていたが、フミルは首を横に振っていた。


「受け取りに行くのはフォグ・モンスターの骨です。討伐対象だったものを、研究用に残しておいてもらってるんです。一応、学のあるあなたの方が丁寧に取り扱ってくれると思ったのですが」


 その指摘は、確かに事実だ。モンストル・マスターの素質がないとはいえ、それを目指しているエイドにはフォグ・モンスターの知識が豊富にある。運搬係には適任だった。


 ただ、素直に承諾する気にはなれない。

「……メリットがないな」

 彼が渋っていると、フミルは急に何かを思い出していた。


「あ、そういえば、最近ギリカ・ナムサスに関する書物をアカデミーの書庫エリアで発見したんです」

「!」

 その最も有名な大魔獣使いの名前を出され、エイドの顔色があからさまに変化する。それを見て、少女は再び完璧な作り笑顔を向けていた。


「手伝って頂けるのなら、御案内しますよ?」

 そこまで聞いて、彼は少し前の記憶を思い出す。

「……お前、朝方俺に否定的な忠告をしてなかったか?」


 辻褄が合わないことを指摘していたが、フミルはどこ吹く風だった。

「それはそれ。これはこれです」

「現金な奴だ……」


 エイドが聞こえる声で呟くが、やはり少女は気にしない。

「それで、どうしますか?」

 むしろ純真無垢としか思えない瞳を向けられ、彼は小さく肩を竦めていた。


「……分かったよ。日時が決まったら教えてくれ」

「ありがとうございます。では、私の研究室までお願いします。道中では荷馬車も使用しますが、それ以外のシーンでの活躍を期待しています」


 研究室。その単語に、エイドが少し反応している。それは、少女が自分とは全く違う成功の道を歩んでいることに対する羨望だった。


 フミルは彼と同期なのだが、既にこのスプラウト・アカデミーの修士課程を好成績で一気に修了している。そして、ここの研究員になっていた。


 いわゆる魔法使いと同義の系統。その中でも極めて優秀なスキル・マイスターであるハイセージを習得しており、この機関の重要なポジションにいる。そのことを改めて思い知らされ、エイドは思わず小さな溜息を出していた。


「お前はいいよな。自分の好きな道を進めるんだから」

 その少し棘のある言葉に、少女は顔にわずかな影を落とす。

「好きな道……というよりも、最も利口な道を選びました。安全にここの高給が得られますから。下の身分の出自なもので」


 それを見て、エイドもこれ以上の追及は止めていた。

「……そうか」

 すると、フミルがすぐ元の様子に戻る。


「それよりも、研究室の方でお茶でもどうですか? 報酬の一部の前払いです」

 この提案に、彼は一瞬だけ躊躇してから頷いていた。


「……貰おうか。一応、トイレにも行ってから戻りたい。戻らないかもしれないが」

 その言動に少女が小さな苦笑をするが、エイドは全く気にしない。待たされている教官の立場は一切無視して、二人は揃って歩き出していた。

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