第9話 フラッグ・ギルド

 スティーダム王国の直轄機関であるフラッグ・ギルドの本部は、王都の中心からやや南の方角にあった。ここで公的または私的なフォグ・モンスター討伐の依頼を受けている。その内容によって討伐部隊の規模を決め、派遣先で目標を完全に駆逐し、国内の平穏を守っていた。


 基本的に関係者以外の出入りは少ないが、スプラウト・アカデミーに所属している者達は別だ。エイドがフミルと例の約束をしてから二日後、予定通りに荷物を受け取りに来ていた。


 ただ、屋内の様子がどうもおかしい。そのことにフミルが気づいたのは、一階の出入り口から施設を出る直前のことだった。


「……ちょっと変ですね」

 小さめの木箱を抱えた少女が立ち止まって周囲を窺っていると、大きめの木箱を抱えたエイドも思わず同様にする。


「ん? 何がだ?」

 彼にはよく分からなかったようだが、フミルは明確に異変を感じ取っていた。

「いつもよりも慌ただしいというか……何か大事でもあったんでしょうか?」


 言われてみると、確かに職員達の顔に緊張感が満ちている。受付の事務員が通常営業を崩さなかったため、エイドは気づかなかったようだ。もっとも、あまり興味が湧かなかったようで、適当な反応を続けていた。


「そうなのか? じゃあ、お前も手伝ってやれば?」

「私は現場に出る気はありません。怖いので」

 フミルが本音できっぱり断るが、彼の方はなおも煽っている。


「それだけの実力があるのに、もったいないな」

「後方も安全とは限りませんから。というか――」

 と、何か言い掛けた時のことだった。


「――お! 誰かと思ったら……」

 唐突に、二人に声が掛かる。

『?』

 同時に一階の奥へ目を移すと、二十代後半ぐらいの男性がやや駆け足でこちらへと近寄ってきていた。


「フミルじゃないか。珍しいな、こんなとこで会うなんて」

 長身で筋骨隆々としており、全身に戦闘の痕跡と思われる傷がいくつか確認できる。どう見ても、この組織に所属している戦士系のスキル・マイスターだ。エイドは初対面だったが、少女の方とは既知の間柄だった。


「ザイ兄さんこそ、本部にいるなんて珍しいですね。ここへ定期的に来るのは義務のはずなのに、いつも遊び呆けてると聞きましたが?」

「それを言うなよ。やることあるんだよ」


 男性が肩を竦めていると、すかさずエイドが割って入る。

「この人は?」

 その短い問いに、フミルが向き直っていた。


「あ、御紹介しますね。私の従兄のザイアム・フェンサーです」

「よろしくな。ここで討伐隊員をやってるもんだ。そっちはフミルの同級生といったとこか? 仲良くしてやってくれよ」


 ザイアムが屈託のない笑みを向けていると、エイドも一応名乗っておく。同時に、相手がそれなりの実力者であることも理解したため、将来を見越してコネクションを作ろうとしていた。


「どこのチームに所属してるんすか?」

「俺のチームか? フリーダム・ナイツだ。本当はワイルド・ウィンドに入りたかったんだけどな」


「ワイルド・ウィンド……英雄達のチームだったブレイブ・ウィンドの後釜……か」

「よく知ってるな。王都最強。あ、アカデミーの人間なら当然か」

 当たり障りのない会話を続けていたが、ここでフミルが割って入る。


「それで、ザイ兄さん」

 と、周囲の様子に意識を向けながら尋ねていた。

「これはなんの騒ぎなんですか?」

「……あー、それか……」


 一方のザイアムは少し迷ったが、素直に答える。

「……実はな、マティカの森でトロル・ロードが出現したらしくてな」

『!』

 この単語に、二人は少々驚いていた。そのフォグ・モンスターはかなり討伐難易度が高く、滅多に出現もしないからだ。


 ザイアムが二人の反応を見て小さく頷く。

「だから、こうやって上位チームに召集が掛かってるんだよ。まだ被害は出てないみたいだが、状況によっては俺のとこも向かうかもしれねーな」

 多少気を引き締めながら呟いていたが、一方のフミルは少々首を傾げていた。


「それだけですか? その割には、ちょっと大げさな準備のような……」

 改めて周囲の様子を確認しながら問い詰めると、ザイアムは返答に窮する。

「……うーん……」


 すると、ここでエイドが口を挟んでいた。

「……ちょっと待った」

『?』

 他の二人がそちらに注目すると、エイドは数日前の記憶を思い起こしながら語る。


「この前、ちょっと小耳に挟んだんだけど……確か、マティカの森には今、王女様が行ってるはずじゃ?」

「……知ってたか」


 ザイアムは少々驚いていたが、その情報源は特に気にならなかったようだ。フミルが興味津々な様子で耳を傾ける中、年上の男性は声のトーンを抑えながら続ける。

「じゃあ……ここだけの話だぞ。言いふらすなよ」


 この指示に年下の二人が無言で頷くと、ザイアムは距離を詰めながら結論だけを端的に告げていた。

「……実はな、その王女様が行方不明になってるらしい」


 これを聞いて――

『⁉』

 エイドもフミルも言葉を失う。それは極めて重大な事件だ。


「……予想通りの反応だな」

 一方のザイアムはその様子を確認してから、詳細を語っていた。


「元々の討伐対象だったアンデッドの上位種は滅んだようなんだが、王女様がいなくなっては、護衛部隊はその捜索にあたらなくちゃならん。そこで、俺達にお鉢が回ってきたということだ。トロル・ロードが元々あの森にいたという情報はなく、どうも急に出現したらしい。それ以上のことはまだ分からん。なんにしても、声が掛からなきゃ現場にも行けないからな」


「……そういうことか」

 エイドが納得していたが、その深刻な状況には返す言葉がない。この国の王女は、最高位のスキル・マイスターの一つであるグレーター・プリーストを修得している唯一の存在。また、その才能はアンデッド系フォグ・モンスターに対する最大の手札だった。


 それが失われるということは、スティーダム王国にとって痛手でしかないのだ。その危機は一般国民にも充分に分かる。情報が伏せられているのは、予断をもって国内を混乱させないための措置だと理解できた。


 ただ、自分達にできることは何もない。フミルも同じ感想のようで、二人は困惑した様子で見合うだけだった。


 すると、空気が悪くなったからか、ザイアムが急に話題を逸らす。

「それで、お前らはここになんの用なんだ?」

 その意図を察したフミルもすぐに思考を切り替えたようで、抱えている木箱を視線で示していた。


「これを受け取りに来ました。ちょうど学のある知り合いがいたので、お手伝いをお願いしたところです」

「そんなとこ」

 エイドも同様にしていたが、その内容にザイアムが疑念を持つ。


「学がある?」

 視線を向けながら尋ねると、本人は自信に満ちた様子で断言していた。

「自分はモンストル・マスターの卵なもので。こういうのを扱える知識が頼られたみたいっすね」

「あー、なるほど」


 ザイアムは納得した様子だったが、ここでその従妹が口を挟む。

「無事に孵化する可能性は極めて低いですが」

「……一言多い奴がいるなー」


 エイドが半眼になりながら投げやりに口走っていたが、少女の方は全く意に介していなかった。

「ゼロとは言ってません。私の優しさですよ」

「おちょくってるようにしか聞こえないんだが……?」


 なおも反駁を続けるエイドだったが、一方のフミルはここで急に何かを思い出す。

「あ、そうだ。卵といえば、この近くにおいしい卵プリンのお店があるんでした。帰りに寄って行きましょう」


 そう言いながら屋外に向けて歩を進めていたため、エイドは慌ててその背を追っていた。

「全然話聞いてねーし……」


 その後も外から何か聴こえてきたが、ザイアムは苦笑するしかない。

「……若いっていいよなー……」

 それだけ小さく独りごちると、そういえば自分は何をしに来たのか、必死で思い出そうとしていた。

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