第20話 脱走
スキル・マイスターには、その能力の強弱に明確な波があった。経験値の低い者であれば、誤差の範囲で気づくことすら難しい。だが、一国を代表するほどの存在であれば、明確にそのサイクルを意識していた。
王都からオーガ討伐隊が出陣してから数日後の深夜――
メリアにとって、やっと待ちに待った時が来ていた。
(……長かった……)
今日は満月の夜。この時こそが、彼女の能力値がピークになる瞬間だ。現在、自身の奥深くから生じる力強い息吹を感じている。そこまでは、呪詛の効果は届いていないのだ。だからこそ、試すことができる手段があった。
逆にいえば、これで駄目なら打つ手がない。その現実を考慮すると気後れもするが、このまま足踏みをしていても意味はなかった。
(やるしかない……よね……)
メリアは一度呼吸を整えると、集中力を一気に高める。余計なことは一切考えずに、自身の内から溢れ出て来る力に神経を注いでいた。
徐々に、身体の芯から火照ってくる。呪詛によるレジストが既に働き始めているが、そんなことはお構いなしだ。
(……強引に突破する……!)
やることは、至ってシンプル。この一瞬に力を集中させることで、呪詛を一時的に無効化させるのだ。完全に解除することは、理論上不可能。だが、限定的でも人の姿に戻ることができれば、根本的な解呪のための壁を低くすることが可能だった。
ただし――
この手段でも、やはりルールに抵触する恐れがある。それだけ強力な呪いだ。どんな副作用が出るか分からなかった。
それでも――
メリアは一縷の望みを信じ、一点を爆発的に解放していた。
(……天に届け……祈りの声……ッ!)
内から生じたその柔らかい光は――
徐々にトロル・ロードの身体を優しく包み、眩いばかりの光源となる。全身の感覚は、もうほとんどない状態だ。屋内の一角であるため、誰にも気づかれることはなかったが、その光景は確かに神秘的だった。
やがて――
光が力を失い始める。メリアは徐々に全身の神経が回復してくる様子を察知していたが、すぐに瞳を開けることができなかった。
だが――
(……!)
何やら、後頭部から背中にかけて、懐かしい感触が戻っている。その一点の認識だけで、即座に目を開けていた。
メリアは――
「――ッ!」
思わず、自分の顔を両手で確かめる。記憶にある輪郭。一寸の乱れもない髪の毛。裂けていない口。柔らかい唇。張りのある地肌。どれもが脳裏に残っている自身の残像と一致していた。
メリアは内から込み上げてくる感動に、もはや抗えない。
「……や……った……ッ!」
成功だ。まだ呪詛による違和感が確かに残っているため、やはり完全に排除することはできていない。それでも、久しぶりの本当の自分との再会は、これ以上ないほど彼女の心を動かしていた。
思わず、自分自身を力強く抱き締める。状況を考慮すれば、すぐにでも行動するべきだったが、しばらくそうしていた。
ただ――
「……ていうか、寒……ッ!」
ようやく思い出していたが、今のメリアは何も着ていない。全裸なのだ。解呪すればこうなることは分かっていたが、人間に戻った時の体感温度まではあまり計算していなかった。
そのため、早速次の行動に移る。時間も有限ではないのだ。ぐずぐずしていると、先程までの化け物に戻ってしまう。事前の計画では、充分に余裕があると踏んではいたが、今は迅速な行動が肝心だった。
まずは、この檻を出て、衣服を探すことにする。幸いなことに、この施設は一人の女性が住み込みで管理をしていた。無論、着替えや上着の種類もいくつかあることだろう。今は就寝中の時間であることも考慮済みで、こっそりと拝借する手筈だった。
窃盗にはなってしまうが、今は非常時だ。あとで返却すれば良い。そう思って懐かしい自分の身体で一歩を踏み出していたが、すぐに足が止まっていた。
「……ぎりぎり……かな」
目の前には、頑丈な鉄格子があるのだ。もっとも、ここは大型のフォグ・モンスター専用の檻であるため、その間隔が広かった。人間のサイズであれば、なんとか通れそうだ。そんな認識だったが、少々懸念もあった。
「……胸とかお尻とかは擦っちゃいそうだけど……我慢しないとね……」
多少の痛みや傷は度外視する。そう覚悟して、目の前の隙間をゆっくりと強引に突破していた。
が――
予想に反して、メリアの身体はどこも引っ掛からずに、すり抜けてしまう。
見事に、するっと。
メリアは――
「――⁉」
無事に無傷で通り抜けていたのに、思わずそこで固まっていた。
「……うん……今日は、ちょっと調子悪いみたい……」
何か意味不明なことを口走っていたが、すぐ自己嫌悪に陥り、重く沈んだ顔になっている。ただ、今は非常時であるため、一気に呑み込んでいた。
「……と、とにかく、急がなきゃ……!」
先程の出来事は完全になかったこととして、急いで次の行動に移る。それでも、どこかに動揺は残っており、扉の角で足の小指をしこたま打っていた。
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