優しくなんてない  2022.2.7

 今の時期に思い出す人がいる。人当たりが良くて、ノリもよい。悩み相談をするならあの人、とみんなに思われてる節がある人だ。実際、周りのことを大体なんでも知っているが、それを言いふらすわけでもないからちゃんと口も固い。とても不思議な雰囲気を持つ人だ。

 ちょっとした悪戯に参加するけれど、その人が本気で嫌がることは絶対にしない。一瞬なんとなく怖そうに見えるけれど、みんなと分け隔てなく話をするし、砕けた笑顔を見せるから、どんな人も安心してしまうのだろう。


 なかなかに非の打ち所がないから、こういう人は本当に存在しているんだと、みんなと話している姿を見るたびに、教室の一角にいたヒエラルキー最上層部を見ている気分になった。

 でも、こんな分け隔てのない人がクラストップなら、誰しも過ごしやすい学生生活だろうと思った。


 ある日私は、君は優しい人なんだねと、声に出して感心した。あの人は笑って「優しくなんてないでしょう」と言った。

 その時は、なんて謙虚で穏やかなんだろうと、さらに感心したが、目を細めてあの人が言ったその投げやりな言葉尻を、私は捉え逃していたのである。


 ただ、関わることが徐々に増えていくと、あの人が言わんとしていたことが、何となくわかるようになっていた。

 なんというか、予防線だったのだ。

 あの人のいう「優しくない」は謙遜でも嘘でもなく単に事実を言ったまでで、それを聞いたこちら側が勝手に感動して、更なる「優しい人格者」に祭り上げていたのだった。あの人にとっては、たまったものではなかっただろう。

 だってあの人も人間だ。


 怒ることもあるし不機嫌にもなる。興味のないものには興味がないし、誰彼構わず好きだという訳ではない。

 あの人の「優しさ」は、自身を生きやすくする術なのだと、ようやっと気付いた。

 自分の機嫌を自分で取ることを学んでやってきたあの人の努力の証だった。


 自分の不機嫌を悟られぬよう出方を見て、無理なら離れていくし、深入りもしすぎないのだ。

 だからいつも機嫌よく見える。人に怒ることがない。

 自分をコントロールできる力を努力で身につけたと言わず、何と言おう。


 それを、何が謙虚で穏やかだ。

 私は、簡単に称えるような気持ちでいたことを恥ずかしく思ったのだった。


 こういう考えのやつこそ、何かその人が間違いを起こした時に「なんか思ってたのと違う」「騙された」みたいなことを言うのかもしれない。


 勝手に祀ってた癖に。

 崇めてくれと頼まれてもいないのに。


 もっと早くに、その努力と、本質に気づいていれば、本当は互いにとってはプラスだった距離の近さに、辟易せずに済んだだろう。

 あの人の弱さを理解できるほど、私は強くなれなかったのだった。


 涼やかな郷愁のような、或いは、ひんやりとした冬の空と、相反するような、人いきれ。そういう断片断片が連なっていく。


 本当は全員に優しくないし、感情の激しい人だった。そう今思えるのも、それはそれで、決して悪くないことだな、と思う。

 それら全てをひっくるめたものがあの人だったのだ。


          

       ※2021.1.11 アメブロのエッセイを加筆修正しています。

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