日めくりカレンダーがめくれない 2022.1.28
エッセイの初回に書いたが、エッセイをカクヨムで始めよう。と思ったことを忘れるくらい、結構私は忘れやすい。
忘れやすいと、飽きやすいが同居しているかなり厄介なタイプである。
今の家にはカレンダーがない。
私の実家には最低二つはあった。田舎の家のあるあるだと思うが、トイレの中に必ず一つカレンダーがあった。
私の実家は二階建てで、ほんの少し珍しい作りの家だった。大体は一階がリビングだと思うが、実家の一階は応接間があり、その向かいにお風呂と洗面台とトイレだった。
私と兄が大人になってからは、昔物置だった一階の一室が両親の寝室になり、応接間が私の部屋になった。だから私の部屋の向かいがお風呂にあたる。
リビングは二階で、トイレは二階にもある。だからカレンダーは最低二つあったのだ。
急な階段を二階に上がると、左手がキッチン。
キッチンの手前を左手に曲がるとリビング。その奥は今は兄の部屋として使っている。元全員の寝室だ。階段を上がった右手が洗面台と洗濯機置き場とトイレで、さらに右に進むと元寝室の兄の部屋に繋がる。
リビングのテレビの上の壁に時計がかかっていて、その下にもカレンダーがあった。キッチンのところにもカレンダー。奥の元寝室、現・兄の寝室にもカレンダーがある。
こう書いてみるとカレンダーの数が多すぎると思う。
父親が会社からカレンダーをもらってきていたのだが、そのほかのカレンダーは一体どこからやってきたのか、今も出どころは不明だ。
そして、そのカレンダーには何も書き込んでないのだ。あのカレンダーは何の役割をもって三百六十五日、壁にかかっていたのだろう。
子供の頃の習慣は恐ろしいもので、トイレで眺めるカレンダーに慣れているからなのか、実家を離れてからもそれとはなしに壁を見る癖がついている。
何もない壁を見るが、ふと何してるんだ、と思い直し目を逸らし、トイレに座る自分の膝を見ていた。
トイレは落ち着く場所だけれど、今もどこを見ればいいのかちょっとモヤモヤしたりしている。
カレンダーはなくても全く支障はないのだが、今年に入って気まぐれで日めくりカレンダーを買った。卓上タイプなので、自分の作業机に置いている。
私はリラックマが好きで、雑貨屋さんでたまたまリラックマの日めくりカレンダーを見つけたのだ。毎日違う絵柄で裏面はメモ用紙になっている。
何か残せたらなぁと思って買うことを決めたのだけど、一枚も何も書いていないのはとりあえず別の話だ。
いつも眠る前にベランダに出る。ベランダに出る前に、日めくりカレンダーをめくる。順調にめくっていたのだが、ある日急にめくるのを忘れてしまった。めくらなかったことに気づいたのは、翌日の真夜中、ベランダに出る前だった。
既になんで忘れたのかを忘れている。忘れた日に何があったのか全く思い出せないのだ。好きなキャラクターですら忘れていると、ちょっと何か悲しい気もする。
ただ、今年は日めくりカレンダーをちゃんとめくる。と今年も目標の一つにしたからやるしかない。
忘れてしまって二枚続けてめくる日もあるけれど、今のところどうにかめくり続けることができている。なんだかんだもう少しで一月が終わる。
日めくりカレンダーをめくるという行為で、今日も一日終わりだな、と思える日が、今年中には来ればいいなぁとゆるい頭で思っている。
今日も必ずめくってやる。今日の絵柄は何だろうか。
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