縁側と火打ち石  2022.1.29

 私の実家は手前に祖母の家があった。

 出かけるときには、いつも縁側から部屋の中にいる祖母に、

一声かけ、出かけていた。


 家に来る友人たちも、声をかけるのが恒例になっていた。

祖母は穏やかな人で、怒られた思い出は一つもない。祖父は子供の私から見ても一見すると顔も怖いし、怒られた経験はないにしろ、昔の頑固親父という雰囲気の人だった。

 祖父が若い頃は芸者通いをしていたようで、馴染みの芸者さんをもてなすのが、私の仕事だったわ、と祖母にこっそり聞いたことがある。

 破天荒な祖父と最後まで添い遂げてから、祖母はひとり、わたしを見送っていた。


 そんな祖母も実は結構モテてたらしく、大人になってから聞く昔話がとても楽しかった。

 

 祖母は縁側で、私のピアノの発表会や卒業式など、大きい行事の前は必ず火打ち石でカンカンと、私の頭の上でわたしの無事を祈ってくれた。

 思春期の頃は恥ずかしくもあり、なんだか誇らしい、不思議な気持ちになったことを覚えている。


 祖母はよく私に家の絵を描いてくれた。家の枠だけを祖母が書き、私は家の中を想像しながら描き加えていった。

 祖母の書く家の絵には必ず屋根裏があった。だから今でも屋根裏のある家に憧れる。必ず天窓を加えて、降り注ぐ星の光を想像していた。


 祖母は必ずオロナミンCを常備していていつもわたしに飲ませてくれた。

 炭酸が特に好きだった訳でもないけれど今もオロナミンCを飲むと祖母を思い出す。

 祖母と一緒に縁側に座って、何をするでもなく過ごした時間はかけがえの無い時間だった。


 実家は久しく帰っていないが、実家に帰ると、私はいつもその縁側に腰掛ける。

 身長もその頃よりは伸びて、見上げる空も昔より近い。そうやってわたしの見えるものが変わっても、あの暖かさは今も思い出せる。


 今日は冬晴れの日差しが暖かな一日だった。暖かな光の下で、空に近いベランダにいると、懐かしい遠い記憶はいつでも甦る。



   2021 1.22 アメーバブログに掲載したエッセイに加筆修正しています。

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