FRUiTSが欲しかった 2022.2.9
「自信」が私の中に存在しなかった時代のこと。
私の通う田舎の学校にもお洒落な女子がいた。本数の少ない電車で、三駅ほど行った駅は比較的栄えていて、駅前には商業施設が並び、レストランや服屋などがたくさん入っていて、お洒落な同級生たちは休みの日にはたびたび出かけていき、お洒落してプリクラを撮る。
月曜日に学校へ行くと、休み時間にお互いの休日を報告しあい、プリクラ交換をし、情報を交換する。そして互いの買った商品を見せ合う。
そういうものに私は縁遠かった。
ファッションなんて全くわからない。そんな私でもみんなが持っているその当時の人気だったブランドに興味があった。私も身につければクラスの可愛い女の子たちに、少しでも近づけるかもしれない。
本当はみんなが来ているようなセーターが欲しかった。ただ、どんなサイズを着ればいいかもわからない。持っていたらこのブランドに申し訳ない。そんなことすら思っていた。
鏡なら迷惑にならない。その頃の私は可哀想に、そういう結論に落ち着いた。
勇気を出して買った小さな鏡だけを持っていた私を、その女の子たちはめざとく見つけ、声をかけてくれた。
ただ卑屈な私はそこに悪意があるとうっすら思ってしまい。煮え切らない返答をした覚えがある。
私のクラスで流行っていたのはストリート雑誌の「FRUiTS」個性派の「zipper」などだった。中でも「FRUiTS」は個性というものを出すことを制限された学生には
秀でた魅力があったと思う。
その頃プリクラ投稿ページがあってクラスの彼女たちも、似たような落書きをし、ポーズをとっていた。
夏、お祭りの日、珍しく浴衣を着て、母に髪の毛をセットしてもらって、出かけた。丸メガネで天然パーマみたいな頭でも精一杯のお洒落をした。
ただ、クラスの女子を見つけたとき、距離をとって見つからないように歩いた。もうそれは仕方のない条件反射だった。私が浴衣を来ている。普段興味なんてないなんて素振りをしている私が浴衣を来ている。恥ずかしい。見つかりたくない。そう思った。
自分の姿を鏡で見て、そんなに悪くないと思ったのに、キラキラした同級生の女の子を見て自分を比べ、惨めになったのだ。
今思うと、もうと抱きしめてあげたいって思うほどのいじらしさだと思う。
私は自分のことを、
「私に好かれる人は可哀想」
「ダサくて気持ち悪いし好きじゃない」
そんなふうに思っていた。
その気持ちを救ってくれたのが、地元の服屋の店員さんと「FRUiTS」だった。
クラスメイトと会わない場所にある遠いTSUTAYAに自転車で行き「FRUiTS」を買った。その雑誌を買っているところを見られるのさえ、悪いことだと思っていた。
雑誌はほんの少しの読者投稿ページを除き、全てがストリートスナップだ。撮られたこの年齢や身長や一言などが書いてあり、同じ歳の子達の、「他人の目を気にしない姿」がたくさん映っていた。
卑屈とか自信のなさとかそんなもの越えて、自由な世界を見せつけられたのだ。
東京に出てきた一つのきっかけに、その雑誌との出会いがあったかもしれない。東京に出てからは、反動よろしくロリィタやパンクやギャルなど自分が求めたものはなんでも着た。それがダサくてもなんでもよかった。自分を大切にできたのならなんでもよかった。
おしゃれは力。自分を信じる為の力が出てくるのだ。
好きなものを好きと言える。それが私には大事なきっかけだったのだ。
洋服の話はまた今度。じっくりじっくり書いていきたい。
2021.1.9 アメブロエッセイを加筆修正しています
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