昔見た景色が蘇る時  2022.2.5

 仕事の関係で、Googleストリートビューをよく使う。仕事が暇になる時間は、たまに、初めての一人暮らしの家や、通っていたお店を探すことがある。


 初めは、行ってみたいお店の外観を眺めてみたり、行ってみたい海外の街並みをみたり、友人の引っ越し先を見てみたりしている。そのうち新しいものを探すのに飽きてくると。次第に自分の過去に遡って行く。


 私が通っていた学校は次々に合併したり、名前を変えている。私が卒業したままで名前の変わっていないものは幼稚園と小学校だけだ。中学校は合併し、建物も名前も変わった。

 高校場所は変わっていないものの、学園長やシステムもかなり変化しているようだ。そのまま残るだろうと思っていた大学も、名前が変わってしまって、女子大だったのが、共学になっている。

 合併の噂を聞いていたはずの小学校はそのまま残っているらしい。


 小学校の正門の向かいには、駄菓子屋があった。その駄菓子屋には二、三段の石段があり、その上によく座って友達と話をしたり、お菓子を食べたりしていた。

 学校から帰るそのままで、駄菓子屋に寄ることは確か禁止されていたので、一度家に帰ってから、友人と待ち合わせた。

 親からお駄賃をもらって、細々したお菓子を買った。


 ブタメンは駄菓子の中では高級品で、半球のゼリーボール、ねじりゼリーや、ヤッター!めん、どーん太郎とか、ヨーグルとか。そういうものを好んで食べた。

 限られた金額の中でいかに沢山買うか、とても頭を使っていた覚えがある。


 その駄菓子屋には、中学生になってからもよく通った。近くの生活百貨店にも行ったが、お金もないし、同じ小学校から中学校に進んだ友人などは、駄菓子屋に通うことで幼いながらのノスタルジーを感じていたと思う。

 自意識が発達してきて、幼稚園や保育園よりも、「母校」という香りがしたのかもしれない。


 上京してから、実家に帰った時にも小学校まで足を伸ばしてみた。すでにシャッターが閉まっていたが、建物はそのまま同じ場所にあった。


 しかし、今はもう建物すらない。それをストリートビューを見て知った。玄関の位置もかわり、真新しい家ができていた。

 土地を売ったのだろうか。そもそも孫や誰かが家を立て直したのだろうか。

 いずれにしても、あの当時は、自分の知っている場所が無くなることなど考えたこともなかった。


 今都心にいると、建物変わっても、ついこの前まで立っていたものがなんだったか覚えてもいない。

 思い入れも何もないからかもしれないが、移り変わる物事のあれこれに鈍感になってきている。


 この先わたしが生きて、歳を重ねてもっと過去が遠くなった時、私はどんな気持ちで、過去を思うのだろうか。

 今より鮮明に、幼い頃の自分を思い出すのだろうか。

 その時のわたしは、過去をどう思うだろうか。


 今のうちに過去の出来事を思い出して、言葉を残せていけたらな、と思う。




※2021.1.14 のアメブロエッセイを加筆修正しています。

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