今からでもやれること 2022.6.2

 宣材写真を撮ってきた。

 初めて宣材写真を撮ったのは高校生の頃だった。通っていた学校は音楽や芝居を学びながら高校卒業資格を取得できる学校で、お世話になっていた先生の事務所へ行って撮ってもらった。ただただあどけないあの頃の写真は、データー保存が主流ではなかったからもう見つけることは出来ない。

 

 それからの写真はデジカメで家の中や、外で簡単に撮ってもらった写真ばかりで、クオリティなんて低いものばかりだった。あとは成人式の時だったり、卒業アルバムの時くらいで、プロのメイクの人やカメラマンの人にスタジオで撮ってもらうことなど全然なかった。被写体をしたりはあったけれど、外の光で上手に撮ってくれるので、私はただただ楽しいだけだった。

 今の年齢になってからできる芝居がある。今年こそ何かしらオーディションを受ける。音楽も大好きだけれど、芝居ももっとやりたい。そう思いスタジオを予約した。


 前日、前々日あたりから正直今日が憂鬱だった。不幸自慢な訳じゃないけれど私はとてもとても卑屈だからしょうもないことを考えてしまうのだった。

 こんな奴が宣材写真を撮りにきている。役者をしようとしている。そんなことを思ってしまう。ただ、ちゃんと考えれば、向こうはお仕事であって、良いメイクをし、よい撮影をする、そう思っている人にその考えは大変失礼なのだ。でもブランクがありすぎるし、自分に何ができるのか、撮っても何もならないのではないか。そんなことが頭の中に溢れてしまって止まらなくなってしまうのだ。

 

 ものすごく緊張しながらスタジオに向かった。

 一人怪しく小さな声で「向こうも仕事、向こうも仕事、向こうも仕事・・・」と呟きながら歩いた。日差しがとても強くてクラクラしながら慣れないストッキングを履いて歩いた。 

 

 結論、行ってよかった。本当に心からそう思った。

 とてもさっぱりとした関西出身の女性のカメラマンさんは、程よい距離感で優柔不断な私をぐいぐい支えてくれたし、女性のメイクさんは神様のような速さで素敵に仕上げてくれた。普段本当にメイクなんてしないし、プロの力を借りることが烏滸がましく感じていたけれど、ものすごく色々なことを学んだ気がした。

 私は自分をちょっとでも良く見せたい。よく見えたい。今までそう思って写真を撮ったりいろんな活動をしていたけれど、私に必要なことはそれを考えることではなく、私がどうなりたいか、どう私を感じて欲しいのか、魅せたいのか、だった。

 自分をどう見せたいのか、それを考え表現していくことが、どんどん自分の力になり、魅力なるんだと思う。

 そして私にはそこを考える時間が必要だったのだ。

 写真を撮ってもらうことは、自分を振り返り見つめ直すことなのだ。

 自信がなくて卑屈な私も、それはそれで受け入れて、自分自身を本当に見つめ直すことが重要なのだと思った。どうせ何かを考えるなら私自身についてをもっと考えた方がいい。そう気づけたことが今日の私にとって一番の出来事だった。

 写真のことも知りたい。今までやってこなかったメイクのことももっと勉強したい。

 今からでもやれること。それはまだまだ十分あるんだ。

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