手にすると落ち着くもの 2022.6.1
ずいぶん前に同僚数人と呑みにいった席でこんな話になった。
その日は同僚の男二人と私を含めた女二人の合計四人だった。なぜこんな話になったのかは覚えていないが、お手洗いに行くときの話になった。
トイレの洗面で手を洗うと、結構な割合の女性が濡れた手で髪の毛を触っているという話になった。私も女の子もその結構な割合の中に入っていた。あくまで私とその子の共通認識であるから全ての女性がそうしているわけではないと思うが、私たちはそういう状況をよく見たことがあるのだ。私たち二人は、わかるわかると笑いながら話していたのだが、同席した男性二人は信じられないというように汚い!と声をあげてきた。
女のというか、人間の風上にもおけぬ!と思われるかもしれないが、私は今までタオル類を常備したことがなかった。タオルの代わりになるものは手洗い場ならティッシュがあるし、ご飯屋さんにはおしぼりがある。外の時はまぁ最悪服でちょっと拭いたらいつかは乾いているのでどうとでもなっていた。
なんというかタオルとかハンカチ持たなくても死なないなぁというのが根本にあるのでティッシュも街で配っているポケットティッシュがあれば十分で、ボックスティッシュは何年も買っていなかった。
それにポケットがない服を着ていたら鞄に入れなくてはならないし、手を拭いたりして濡れたタオルが鞄に入っている方が嫌だし、濡れた手で鞄を開けるのも嫌なのだ。服はいいんだ・・という声が聞こえてきそうだけれど、なんとなく嫌だったのだ。
ただ死なないしなぁと思ってはいてもハンカチやタオルを持っている女性に憧れがあったりもした。私が素敵だなぁこの人と思う人はみんなそれらを持っていたし、ハンカチをさっと広げてベンチに敷いたりしている女性を見ると心がほっこりするし、拝みたくなるような気持ちになっていたのだ。でもそれは憧れだからどこか神格化されたような心持ちだったのである。神に近づくなんて烏滸がましいと、半ば冗談みたいに聞こえることを本気で思っていたのだ。
そんな私が最近ハンドタオルを何枚も買っている。数年前の私が今の私を見たら、何かあったのか心配するか、怪しいものにでもハマっているのではないかと疑いにかかると思う。うん十年ハンドタオルを持っていなかった私がである。急にそんな光景を見たら過去の私は度肝を抜かれるだろう。決して言い過ぎではないと思う。
丁寧な暮らし、そういう類の言葉が世間に溢れ、私には大抵無理だと思っていたが、年齢を重ねるにつれ、丁寧な暮らしというものの本当の意味を知り始めている気がする。今でもいつも慌ただしくしているし焦っているし日々時間に追われているのだけれど、ほんの少し人に近づいた気がしている。
ハンドタオルを持つようになってから、家のバスタオルの数も増えた。最近肌荒れが酷かったこともあって、フェイスタオルも買ってみた。なるべくこまめにタオルを替えるようにしたりできることをやっていたら少しづつ肌荒れも良くなってきたように思う。
濡れた手で鞄を開けるのも少しづつ抵抗がなくなってきたし、お手洗いに入る前にタオルを準備するようになってきた。そう、初めからそうしておけば私の嫌だと思っていたことの大抵はクリアしているのだ。それに鞄が濡れたのなら、その持っているタオルで拭けばいいのだった。今更になってまだまだ気づくことがあるんだなぁと見当違いに感動していたりするのだった。
タオルを忘れてしまうとちょっとソワソワしたりもする。最近急に夏めいてきて、マスクの中が蒸れているなと思ってハンドタオルを頬にあてる。それだけで心がホッとする。
簡単に私に安らぎを与えてくれる。なんて素敵な存在なんだ君たちは。今までごめん。
そう思ってから私は、家のクローゼットの中で使われないまま眠りについていた数少ないタオルやハンカチたちに心から謝罪をしたのだった。
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