脳内言語化計画

ちぃまゆちゃん

何のために書くのだろう  2022.1.24


 今までアメーバブログに日々の徒然、想うことを書いてきた。

 カクヨムでは私のバンドのボーカルであるComayのソロ企画のため、月一で連載をしている。十二星座をイメージした楽曲からインスパイアをうけ、イメージ小説を書いている。

 いずれアメブロに連載しているエッセーをカクヨムに移行したり、新しく書こう書こうと思いながらも、書こうと思っていたことをつい忘れ、Twitterで小説の告知をした今月、あ、そういえば、と思い出した。

 

 アメブロの更新は手軽に書けるけれど、もっと読むことや、書くことがさらに好きな人に読んでほしい。そう思った。そして、自分のモチベーションを上げるためにも、カクヨムでエッセイを書いていこうと決めた。


 私たちは果たして何のために書くのだろう。

 きっと今まさに書いている人、ここを読んでいる人、ほぼみんな思ったことがあるとおもう。

 人間はよく「これは何のためになるのか」と思う。

 書くことに限らず、ありとあらゆることに理由を求める。私自身がそういう傾向が強いタイプなので、とてもよくわかる。

 「生きることに理由はない」そういう言葉を目にすることも多いと思う。それと同じで根本的な理由は書くことにもきっとない。多分、一度も「何のために」と思わず生きている人間は世界中を探してもごく稀じゃないかと思っている。

 

 私は書くことが好きだから書いている。好きなことだから書いている。文章を書くということは、頭の中の整理整頓だ。ただし、好きなことをしているからと言って、「何のために」は消えはしない。むしろ「すき」であるがためにそこに理由が欲しくなったり、疑問に思ったりするのだろう。

 ということは、書くことは恋愛と似ているのかもしれない。

 この世の愛を解くわけではないけれど、人間は多分「なぜ?」と思う物事に恋をしている。世の中のほとんどの人が、「何か」に恋をしている気がしてならない。


 「書く」という行為が恋ならば、「何のために書くのか」という問いにすぐには答えが出ないだろう。

 恋心や、いとしむ心はとてつもなく厄介であり、私たちが死ぬまでずっと消えない思いだと思う。

「書くこと」を続けることで、少しはその厄介な恋について分かってくるかもしれない。

 恋をすると自分のことがよくわかる。わからなくなることもあるけれど、わかるまで自分と向き合う。だから私も書くことで自分と向き合っていくのだと思っている。

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