11・小田切遥

 遥は沖が帰った後、しばらく仮眠をとった。目が醒めると、すでに部屋は暗くなっている。照明をつけ、作業机に置いたiMacの電源を入れる。

 数件、メールが入っていた。ほとんどは通販サイトの広告だが、一件はサイトに置いた『注文フィーム』からの送信だった。

 開く。

『コンバット・サクラのコスチューム希望』

 件名を見た瞬間にはるかの表情が消え、かすかに息を呑む。

 つい先ほどまで沖と話していたせいかもしれない。その注文が一連の『フェアリーコンバット』の最後の一着であることが、分かってしまったのだ。

 これまで4通の製作依頼は、サイトに準備したフォームを通さないフリーメールで送られて来た。だが今回は、サイト経由の発注だ。本来なら、共通点を感じるはずはない。しかも、いつもの月1回の周期には当てはまらない。

 なのに、直感してしまったのだ。

 思わず声に出す。

「来たのね……」

 メールを開いて、発注要件の詳細を見ていく。

 着用者の身長、体重、各位置の採寸データが並んでいる。小柄な中学生程度の体型らしい。さらに遥の直感を裏付けするように、一連のメールと同じように1枚のイメージ画像が添付されていた。

 画像を開いた遥は、一瞬見ただけで固く目を瞑ってしまった。

 合成された顔には、モザイクがない。それが誰なのかはっきり分かるようにするためか、トリミングも全身ではなくバストアップショットだ。

 遥はしばらく深呼吸で息を整えると、意を決したようにのろのろとスマホを取る。

「沖さんですか?」

 その一言で、沖は遥の声が暗く沈んでいることを嗅ぎ取ったようだ。

『小田切さん? 何かありましたか⁉』

「今、大丈夫ですか?」

『ええ、自宅に戻ってますから。どうしました?』

「また、メールが来ました」

『製作依頼ですか⁉』

「コンバット・サクラ。最後の一着です」

『満月にはまだ早いですが……?』

「もう、関係ないみたいですね」

『もう、って? どういうことでしょう?』

「1枚だけ、また合成画像が付いていました。モザイクがかかっていません」

 電話の向こうで沖が緊張を高めるのが分かる。

『凪ですか⁉』

「いいえ……凪ちゃんじゃありません……」

 沖は、それなのに暗い声を出す遥の意図を測りかねているようだ。

『じゃあ、お知り合いなんですか?』

「いいえ……わたしです」

『はい?』

「今度のサクラに合成されている写真は、わたしの顔なんです」

 沖は、言葉を失ったようだ。

 遥も、首をうなだれる。

 しばらくたって、沖の声がする。

『あなたの顔って……』

 促されたかのように、遥がつぶやく。

「写真に、文字が書き込まれていました。『サクラが見つかったよ』って……」

『まさか……』

「それに、一緒についていた採寸データが、わたしのものと一緒なんです。身長も一緒。体重が少し違うだけで……」

『発注したのは、あなたをよく知っている人物だということですね?』

「それは間違いないと思います。でも、何だってこんなことを……」そして遥は、堰を切ったように感情を爆発させた。「わたしをどうしようというんでしょう⁉」

 沖は言った。

『今、自宅ですよね。1人ですか?』

「ええ……だから、怖くて……」

『私が行きましょうか? そのメールも見たいんですが』

「いいんですか⁉ もう遅いのに……」

『あなたさえ良ければ。どうやら、一種の脅迫メールのようですから、用心に越したことはありません』

「すぐ警察に知らせたほうがいいでしょうか……?」

『私が行くまで待っててください。今の話だけでは、脅迫であることを警察に納得させるのは難しいでしょうから。しっかり鍵をかけて、何かあったらすぐまた電話してください』

「はい。凪ちゃんのことで大変なのに、わたしの心配までさせてしまって……ごめんなさい」

『いいえ。この件、あなたが感じた通りに凪の失踪に繋がっているような気がするんです。そうでなくても、奇妙な点が多すぎます。脅迫めいたことまでされているようなら、放ってはおけませんから』

「ありがとうございます」


     ✳︎


 遥は明らかに怯えていた。

 沖はあえて事務的に言う。

「このメールを見る限り、前の4件と同じ人物が出したのは間違いないと思います。しかも、あなたのことを近くからよく見ている。ストーカーと言ってもいいでしょう」

「ストーカー……」

「心当たりは?」

「わたし、あんまり外に出ることはないし……」

 沖はさらに冷たく言い放つ。遥の〝怯え〟を〝戦う意思〟に変えようと狙った、いわばショック療法だった。

「それでも、相手はあなたをじっくり観察しています」

 遥の表情がこわばる。

 沖の目論見が功を奏する保証はない。遥は恐怖に負けて心を閉ざすかもしれない。それはおそらく、脅迫者の勝利につながる。最悪の場合、遥の死を招きかねない。

 だが、恐怖を乗り越えられれば戦える。戦いさえすれば、卑劣な犯罪を封じるチャンスもある。

 遥がつぶやく。

「わたし……」

 沖が口調を和らげる。

「考えて。相手は、あなたの職業を完全に把握しています。多分、アニメかコスプレで接点がある人物でしょう。その上で、どこならあなたに会えますか? 誰ならあなたを観察できますか? あなたと会話ができるのはどんな人ですか? それを見つけるのが、あなたの身を守る第一歩なんです」

 遥の目に、わずかな意思の光が宿る。

「第一歩……」

「あなたが外に出るのは、いつ?」

「コミケとか、時折呼ばれるサークルのイベントとか……かな」

「他には?」

「資材の買い付けとか日用品とかは大体通販で済ませちゃうし、あんまり外に出る機会はありません。知らない人ばかりの海外の方が気が楽なんです」

「あなたを手伝ってくれるスタッフにはどんな人がいますか?」

「え? スタッフですか? だけど、みんな女の子だし……」

「ストーカーが異性だとは限りません」

 と、遥は不意に話題を移す。

「だけど、今まで作った3着は誰が着てるんだろう……?」

 沖は、再び冷たい口調に戻した。遥が話を変えることで障害から目をそらそうとしていると察したのだ。

「5着目をあなたに着せるつもりなら、これまでの分も人形ではないでしょうね。おそらく、生身の少女。監禁とかの犯罪に関連しているのかもしれません。それとも、家出娘とかを物色して、共同生活をしているとか……状況はさまざま考えられます」

「でも、何で満月の日に? わたしの場合は、少し違うみたいですけど……」

 沖はその理由をずっと考えてきた。遥に話していいものかどうか迷っていたのだが、ショック療法の一環としては避けるわけにいかない。

「おそらく、犯罪的な傾向に関連しています。満月の夜は出産件数や犯罪率が上がると言われています。月の引力に関係しているというのが俗説です。まあ、多分にオカルト的な話ではありますけど、裏付けとされる統計データは確かにあります」

「でも、犯罪に関係しているなら、今までのフェアリーコンバットはみんな殺されているのかも――?」

 遥は言ってから、両手で口を覆った。

 自分が次の〝死体〟にされる恐れもあるのだ。少なくとも、5人目に選ばれたのは間違いない。

 もう一つの可能性も重大だ。

 沖は娘を探すためにここにいる。遥が作ったコスチュームを着ているのが〝死体〟なら、その中に凪が混じっている可能性もあるのだ。

 だが沖は、遥の恐れに反してわずかに微笑んだ。

「そう。もしも凪が含まれているのなら、すでに死んでいるかもしれません」

「ごめんなさい……。わたし、無神経で……」

 沖の声は穏やかだ。初めから最悪の場合の覚悟はできている。

「でも、あなたがそれに気づいたということは、落ち着いて考えることができるようになってきた証拠です。私に力を貸してください。凪が逃げていようが、監禁されていようが、死んでいようが、居場所を突き止めたいんです。生きているなら、何としても助けたい。あなたには酷な要求かもしれませんが、私を助けてください」

「そんな……助けて欲しいのはわたしです。何としても、犯人を探し出してください」

「協力してもらえますね」

「もちろん」

 沖の狙いは、とりあえず当たったようだった。

「で、ストーカーの可能性です。スタッフは?」

「わたしの感じでは、除外できると思います。みんな仕事熱心だし、普段から気さくに話ができていますから。いつでも会えるんだし、あえてストーカーになる理由はないんじゃないかな……? ってまあ、ただの感触なんですけど」

「感触は大事です。では、とりあえずそれ以外だと考えて、あとはサークル関係? 男性はいますか?」

「あまり多くは……でも、おつきあいでイベントとかに呼ばれることはあります。コスプレ作家としては、ちょっと名前が知れているようなんで。イベントのお客は、男性が多いですよ。フィギュアコレクターとか、お金に糸目をつけないで地方から泊まりがけで集まる人もいますから。今でもフィギュア用の特注コスチュームは人気があるんで」

「そっちの線はありそうですね。特別親しく話すお客とか、いつも見かける追っかけみたいなファンはいますか」

「わたしにはそこまでのファンはついていないと思いますよ。でも、イベントやるといつも主催者が写真を撮ってますから、それを見たら何か分かるかも……」

「ここにありますか?」

「ええ。コミケでも撮ってます。参加したみんなで交換し合うんで、かなりの数があります」

「それ、精査しないといけませんね」そして、何か言いたげな遥の顔色に気づく。「あ、今日じゃなくても……明日、また伺っていいですか? それとも、写真のデータいただけますか?」

 遥はしばらく迷っていたようだが、覚悟を決めたかのように言った。

「あの、今日はここに泊まっていただけませんか? わたし、怖くて……」

 沖もそのつもりだった。だが、女性の1人暮らしの家に泊まらせろというのは切り出しにくい。どう言い出せばいいものか、ためらっていたところだ。

「分かりました。そうさせてください」

「ほんと、ご迷惑かけます……」

「とんでもない」

 そして沖は、持ってきていたスポーツバッグから金属バットを取り出した。友人が高校野球のコーチをしていて、廃棄する道具を譲り受けたものだ。かつて襲撃されたことに懲りて、自宅の数各所に隠していた。

 遥が驚く。

「どうするんですか⁉」

「一応の用心です。私が常にここにいられるわけじゃありませんから。身近に置いておいてください」

「でも、こんなもので何を?」

「万が一、ストーカーが侵入してきた場合の武器です」

「戦うんですか⁉」

「戦うのではなく、抵抗するんです。相手が怯んだら、必ず逃げ出すように」

「でも、そんなこと、できないかも……」

「あくまでも、用心です。武器がなければ、抵抗すらできませんから。そもそも、少女を狙ったやり方は卑劣です。この種の犯罪者は陰湿ですが、臆病でもあります。抵抗される危険が少ないと分かっているから、子供たちを狙うんです。相手がナイフとかの武器を持っていれば別ですが、素手であればバットで一発殴ってください。きっとビビりますから。その瞬間を逃さずに、逃げてください」

「そんなこと……怖いな……。それに、どこに行けばいいんだろう……」

「それこそ交番に駆け込んでもいいし、コンビニでもネットカフェでも、人がいて明るいところならどこでも構いません。とにかく、なるべく近い場所に逃げ込むように」

「でも……」

「あまり心配しなくて大丈夫ですよ。この家の中にまで入り込んでくることはまずないでしょう。ただ、準備だけはしておかないとね。他にも、やっておくべきことがあります」

 そしてバックの中から、さらに機材を取り出す。大型のトランシーバーのような装置だ。

 遥が尋ねた。

「何ですか、それ?」

「盗聴器の発見機です」

「そんなものまで……。盗聴、されてるんでしょうか……?」

「それを調べます。一応、探偵ですからね。これも業務のうちです」

「そこまでしてもらうなんて……」

 そして沖は、遥を安心させるためにおどけてみせた。

「あ、ただし今回は私の個人的な必要からしていることですから、料金は発生しませんよ。念のために」

 遥も苦笑を浮かべる。

「わたし、沖さんを雇おうかな」

「私も、遥さんを助手にしたいと思ってますよ」

 沖は立ち上がって作業場の各所に装置のアンテナを向けていった。特にコンセントや電子機器の周囲を念入りに調べた。

 遥は、その沖の後を不安げについていく。作業場を確認すると、室内のすべての場所を調査していった。

 沖が済まなそうに言った。

「寝室やお風呂場まで、ごめんなさいね」

 遥は気丈に胸を張る。

「大丈夫です。わたし、助手ですから」

 そして、家の中には盗聴器らしい電波を発信する物がないことが確認できた。

 沖は作業場に戻ると遥にiPhoneを出してもらう。

 遥が尋ねる。

「どうするんですか?」

「『iPhoneを探す』って機能があって、アカウントを登録しておくと、相手の位置が分かるんです。GPSが入っていますから。肌身離さずに持っていてください。万が一の場合は、必ず私が遥さんを探し出しますから。それと、これを身につけていてください」

 iPhoneの設定を済ませた沖が次に出したのは、キーホルダーに偽装した盗聴器だった。

「なんですか、これ?」

「盗聴器です。これも必ず身近に。100メートルぐらい先から声を受信できますから」

 遥が盗聴器をバッグにしまうと、2人は改めて過去の写真データの精査を始めた。

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