第6章・激突

21・高橋翔太

 遥は、ひんやりとした床に仰向けで横たわっていた。

 全裸だ。そして、肩まであった髪が剃られ、スキンヘッドにされていた。

 部屋の薄明かりの中で、壁際に並べられた人形たちがぼんやりと浮かび上がっている。3体並んだ〝等身大フィギュア〟――その間には、2体分の隙間が空いている。

 高橋は、床にべったり座り込んで〝等身大フィギュア〟を眺めていた。視線を遥に移した高橋は、まるで酒か麻薬に酔っているように上体を揺らす。

 そして、座ったまま天井を見上げ、心底嬉しそうに言った。

「もうすぐ、ローズがやってくるよ……。すぐに4人揃う。君が、最後の戦士――サクラになれる日がどんどん近づいているんだよ」

 横たわった遥は、縛られてはいなかった。だが、抵抗はしない。

 言葉も、弱々しい。

「何で……こんなことをするの……?」

 高橋が再び遥の目をのぞき込む。

「何で、って? だって、それが遥ちゃんの望みでしょう? 魔法少女になって、この世の苦しみから解放される。そのためにこんなに手間をかけて仲間を集めたんじゃないか。やっと4人集まるんだ。最後の1人……リーダーのサクラは、君なんだよ。遥ちゃんがサクラになれるんだよ。だって、5人揃わなかったら、フェアリーコンバットになれないんだから……。みんな、遥ちゃんのためなんだから……」

「わたし……そんなこと頼んでいない……」

 高橋は四つん這いで遥ににじり寄る。そして、真上から遥の目を見下ろした。

「頼む必要なんてないんだ……。だって僕は、遥ちゃんのことはみんな分かってるんだから。遥ちゃんが何をしたいか、僕にどうして欲しいか、全部電波で送ってきてくれたじゃないか。だから僕は、電波に従ってきただけなんだよ。僕たちはもう、一心同体なんだ。あの電波で繋がっているんだ」

「そんなの、いやよ……」

 高橋はさらに笑みを広げる。

「いやよ、って……ほんと、可愛いよね。そんな遥ちゃんだから、どんなことでもしてあげたくなっちゃうんだよね。僕はもう、遥ちゃんのものだよ。遥ちゃんの願いが叶いさえするなら、僕なんかどうなってもいいんだ。誰から罵られたって構わない。どんなに非難されたって気にしない。一生牢屋に閉じ込められても平気だよ。命だっていらない」

「何でも言うことを聞いてくれるの?」

「もちろん」

「じゃあ、わたしを自由にして」

「やだな、今だって自由じゃないか。縛ってもいないし、猿ぐつわもしていない」

「だったら、ここから出てってもいいの?」

「裸で? そんなの嫌だよ、遥ちゃんの裸を他の人に見せるだなんて。それに、髪の毛だって――」

「髪の毛……?」

 遥はようやく髪が剃られていたことに気づいたようだ。頭をわずかに振って床に擦り付け、それを確かめる。

 髪の毛の感触は、ない。

 高橋が微笑む。

「髪の毛なんて、変身には邪魔なだけだよ。ウィッグの形だって崩れちゃうし」

 遥が呆然とつぶやく。

「わたしの髪……」

 そして、涙をにじませる。

「ね、そのままじゃ、外に出るの恥ずかしいでしょう?」

 遥は怒りをぶつけるかのように叫んだ。少なくとも本人は、叫んだつもりのようだ。

 だがその声は、あまりに小さく、弱々しい。

「だったら、服をください……帽子を……帽子をください……」

 高橋から笑顔が消える様子はない。

「必要ないよ。ここには僕しかいないんだから」

「恥ずかしいし……服が欲しい……」

「だから、僕たちは一心同体なんだって。だからさ、何も気にしないで」

「わたし……何で動けないの……?」

「僕、何もしていないよ。遥ちゃんが動けないのは、遥ちゃんが動きたくないからだよ。僕と一緒に、ずっとここに居たいからだよ」

「怖い……」

「怖がることなんかないさ。僕が守ってあげるから」

「でも……寒い。服が欲しい……」

「え? 僕は寒くなんてないよ。気のせいだって」

「でも、服が欲しい……」

 高橋が立ち上がる。

「仕方ないな……でも、僕から離れようなんて考えちゃダメだよ。そんなことをすれば、不幸になるのは遥ちゃんなんだから。コンバット・サクラになれなくなっちゃうんだから」

 高橋が部屋の隅に重ねられていた遥の服を運んでくる。一番上に、下着が乗っている。

 遥がつぶやく。

「服、着たい……でも、体が動かない……」

 高橋がパンティーを手に取る。

「履かせてあげようか?」

「そんな……恥ずかしい……」

 そう言った遥の視線は、重ねられた衣服の方に釘付けになっていた。

 高橋がそれに気づく。笑顔が消えた。

「そうか……そっちか……」

 高橋が衣類を広げ始める。ジャケットのポケットにiPhoneが入っていたことに気づく。ゆっくりと取り出しながら、遥の反応を見る。

「それは……」

「これ、欲しかったんだね」

 そしてゆっくりと、あえて遥に見えるようにしながら電源を切った。

「いや……」

「何で? 何で電話が必要なの? 誰かを呼ぶ必要はないでしょう? 僕がここにいるんだから、それで充分じゃない」

「でも……」

 高橋の目から、笑いが消える。

「でも、何? ねえ、誰かにここの場所、知らせてたの? iPhoneってさ、『iPhoneを探す』を使うと場所が分かるんだよね。誰かにアカウント、教えてたの? まさか、あの沖とかいう探偵? ダメだよ、そんな、僕を裏切るようなことをしちゃ……」そしてさらに衣類を探る。「あ、これ何だろう……」

 高橋がジャケットの内ポケットからキーホルダーを取り出す。

 遥がつぶやく。

「それは……」

「キーホルダーだよね。でも、変だよね。鍵、一つも付いてないよ。マスコットだってついてないし、なんでこんなつまらない物をわざわざ持って歩いていたの? それに、内ポケットに入れておくなんてなんて、変すぎだよね。隠してたの? まさか、盗聴器とかじゃないよね?」

 高橋はもはや、全く笑っていなかった。その目から、完全に表情が消えている。

 遥がうなずく。

「盗聴器だなんて……そんなもの、持ってません……」

「じゃあ、これ、何さ? 説明できる?」 

「それは……」

「でも、遥ちゃんの持ち物だよね。遥ちゃんのジャケットに入っていたんだから」

 ようやく、思い通りの声が出せる。

「知りません!」

「分かった。僕は、遥ちゃんの言葉を信じるよ。だって、僕たちは一心同体なんだから。でもさ、だったらこれは遥のものじゃないってことだよね。誰か悪い奴が遥のジャケットに入れたんだよね。きっと、あの探偵だよね。それ、まずいよ。盗聴器だったらどうするのさ。完全にストーキングだよね。犯罪だよね。壊しちゃって、構わないよね!」

「それは……」

 高橋はようやく笑みを見せた。

「じゃあ、壊しちゃおう」

 そして、隣のダイニングキッチンへつながる引き戸を開ける。まばゆい光が差し込む。その先にシステムキッチンがあり、冷蔵庫や電子レンジなどが並んでいる。

 高橋はキッチンに入ってレンジにキーホルダーを入れ、スイッチを入れた。

 遥はその後ろ姿をじっと見つめていた。

 フィギュアの部屋に戻った高橋は言った。

「あれがただのキーホルダーなら、別に何ともならないよ。盗聴器とかの電子機器なら、機能停止。いいよね、どうせ遥ちゃんのものじゃないんだから」

 遥はうめくように言った。

「助けて……」

「もういいから、そんなお芝居しなくても。盗聴器は死んだんだから。もう誰も聞いてないんだから。だって遥ちゃんと僕の間柄じゃないか。一心同体って、ただの比喩じゃないし。君は僕のために死ぬ。僕も君のために死ぬ。それが本当の一心同体なんだよ。本当の愛なんだよ」

 高橋は遥の傍にひざまづいて、顔を背けた遥の顎に手をかけて自分に向ける。そしてゆっくり、唇を重ねた。

 遥が固く瞼を閉じる。

 と、キッチンでインターホンが鳴った。

 高橋が舌打ちをする。

「ちっ! 誰だよ、こんな時に!」

 立ち上がった高橋は、大股でキッチンに入ってインターホンを取った。

 マイク越しの声。

『お荷物をお持ちしました。大きな木箱です。これから上がりたいんですが、ロックを開けていただけますか?』

 高橋が急に機嫌を直す。

「あ、やっと届いたんだ! すぐ開けるから! 302号室ね! 玄関前で待ってるから!」

 そして、エントランスのロックを外す。

 ダイニングで毛布を取った高橋は、部屋に戻って遥を見下ろした。

 遥が怯えたような声を出す。

「どうするの……?」

「しばらくじっとしててね。声を出すのもダメだよ。ローズが届いたんだ!」

 高橋は全裸のままの遥を、薄い毛布ですっぽり覆う。

「怖い……」

「心配ないって。他人が部屋に入るかもしれないけど、運送屋さんだからすぐ出て行く。もちろん、この部屋に入れさせないし。君が怖がることはないんだよ。だって、僕が付いているんだから」

 遥は再び涙をにじませた。

 高橋はダイニングキッチンに戻って、フィギュアの間の引き戸を閉じる。引き戸に鍵をかけてから玄関へ向かった。

 玄関のドアを開けて廊下に出ると、エレベーターを見る。しばらくするとエレベーターが止まり、木箱が押し出されてきた。

 配達員は1人だ。

 高橋は言った。

「こっち! ありがとうね! 大きい箱だから、部屋の中まで入れてくれるかな⁉」

 配達員が木箱を乗せた台車を押しながら答える。

「はい、分かりました」

 そして、高橋の横を通って玄関に入る。

「その台車ごと、廊下に上がれる?」

「床が傷つくかもしれませんよ」

「僕、気にしないから」

 配達員は木箱を傾け、台車の前輪を廊下に載せる。次に木箱を肩で押して、全体を廊下に上げた。

 配達員の背後でドアを閉じた高橋が、ポケットから何かを取り出す。そしてニヤリと笑って、言った。

「ありがとう、沖さん。でもダメだよ、遥ちゃんに付きまとっちゃ」

 手にしていたのは、ネットで注文したスタンガンだった。

 沖が振り返る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る