20・佐藤
照明が落とされたクリーニング工場の管理室では、2人の男が監視カメラのモニターを見つめていた。男たちの顔がモニターの光にぼんやり浮かび上がっている。
モニターには、工場の敷地を去っていく沖の後ろ姿が映し出されていた。
工場長――すなわちこの地区のマフィアを仕切る〝ボス〟が不服そうに言った。
「これで、いいか?」
佐藤が答える。
「いい」
「私たちの邪魔、もうしない。本当か?」
「まだ仕事は終わっていない。あの約束は、予定通りに事が終わってからの話だ。それまでは協力しろ」
ボスがしつこく喰いさがる。
「協力する。その後の話。邪魔、しないか?」
佐藤は嫌そうなそぶりも見せずに繰り返した。
「それは、君たちの自制心次第だ。あまり欲を出すと、利害がぶつかる。ぶつかれば、君たちを叩き潰すために全力を尽くす。我々にも、守らなければならない大事な顧客がいるからな」
それでもボスは、簡単には引き下がらない。正体を明かそうともしない日本人に頭ごなしに屈服させられたとなると、メンツが立たないのだ。
言葉の端々に強硬な態度が現れる。
「私たち、調べた。あんたの客の中、私の客もいる」
佐藤はあくまでも冷静だ。
「それも分かっている。だが我々も、君たちと関係を持っているクライアントの名前を把握している。そして彼らは、決して主要なメンバーではない」
ボスはさらに身を乗り出し、挑みかかるような視線を佐藤に向ける。
「どういうことか⁉」
佐藤は、薄笑いで応えた。
「中途半端なクライアントなら、いつでも切り捨てられるということだ。有害だと判断されれば、な。そうなれば、責任を問われるのは君たちだろう?」
「そんなこと……簡単にできない」
「方法はいくらでもある。連中は充分すぎるスキャンダルを抱えている。幼児の人身売買だの、移植臓器の調達だの、君の国での酒池肉林のハニトラパーティーだとかな。ほとんどは君のお仲間がちらつかせてきた餌に喰らいついて深みにはまった結果だ」
「そんなこと、バラせない」
「なぜだ?」
「マスコミ騒いで、政府倒れる」
「君の国は、日本政府を言いなりにさせる目的で餌をまいてきたんだろうからな。だが、膿を出す覚悟を決めれば、スキャンダルは逆にこちらの武器になる。『肉を切らせて骨を断つ』って日本の諺、聞いたことがあるだろう?」
ボスの表情に困惑が浮かぶ。これまで、ここまで強硬に要求を突きつけてきた日本人とは出会ったことがなかったのだ。
「できるわけ、ない」
佐藤はやはり無表情だ。この地区のマフィアを取り仕切る目の前の男が、中国共産党の支配下にあって非合法の活動の中心的メンバーであることを調べ終えていたのだ。
的確な情報を手にしていれば、対処は可能だ。
「もちろん、政府はしない。週刊誌にリークしてやれば針まで呑み込む。呑み込んで、野党と一緒になって政権打倒を叫ぶだろう。その時、当のマスコミや政治家がどれだけ君らに取り込まれていたかを表に出す。官僚や財界人たちがどれだけ外国勢力に汚染されていたかを明らかにする」
「勝てる保証、ない」
「今までなら、な。だが、世界は変わってきた。中国とズブズブだったアメリカでさえ、今や全面対決を覚悟している。当然日本は、アメリカ側に立つ。戦う政府は、国民の喝采を浴びる。結果、君たちは顧客も失う。保護者を失う。母国の信頼も失う。そして多分、命も失う。祖国にとって都合が悪い情報を色々と知っているんだろうからな」
「日本にいれば、安心。この国、人権がある」
「日本は、確かに手は下さない。スパイ防止法もないからな。君たちがこうして非合法の活動をしていても、阻止できない。それは同時に、不法移民もろくに防げないということを意味する。君たちの国が刺客を送り込んできても、監視さえできない。中国人同士が不法コミュニティーの中で殺しあっても、手が出せない。言いたいことは分かるな?」
「それ、国際問題」
「まさか。不法移民を不法入国者が処分するんだ。君たちが治外法権化しようと目論んでいるこの場所で、な。日本が関知できる余地はない。防ぎたくても防げない。そもそもそんな事情が発生していること自体が把握できていないのだから、行動する理由もない。全て、君たち自身が望んで作り上げた世界だ。だから、私に従いたくないというなら、ここで朽ちるがいい」
ボスはそれでも不服そうだ。
「分かった。従おう。だが、聞きたい。あなた、なぜここまで私たちの小さなビジネスにこだわるか?」
「君たちの悪事が暴かれれば、日中友好が決定的に毀損されるからだ。君たちがやったことは、ただの死体損壊ではない。法的問題よりも、感情的な反感がはるかに大きい。北朝鮮の拉致以上に日本人を激怒させる、極悪非道の重罪だ。万が一にも明らかになれば、国民の中国人への嫌悪感が爆発的に増大するだろう。それは、私のクライアントの望むところではない。今のバランスを維持することがベストなんだ。君たちの政府にとってもそれが利益になるのではないか? 違うか?」
「違わない」
「もう一度言う。私たちは、君たちと共存したい。だが、共倒れする恐れがあるなら、徹底的に叩き潰す。どちらを望むか、お前が選べ」
「それ、決まってる」
「だったら、次にやるべきことも決まっているな?」
ボスは諦めたように首をうなだれた。
「運送屋、使わない。直接マンションに運ぶ。追跡、邪魔しない。それでいいな?」
「ただし、警戒しているフリは奴に見せろ」
「ややこしい」
「だが、やれ。マンションに近づいたら、奴が妨害してきても抵抗はするな」
「手下、殴られてもか?」
「殴られてもだ」
「殺されても、か?」
「それはあり得ない」
「なぜ?」
「日本人だからだ。日本人は、法律を守る」
「あの男もか? あいつ、工場、忍び込んだ。あれ、犯罪」
佐藤が思わず苦笑をもらす。
「確かに。君たちに犯罪者呼ばわりされるのは、納得がいかないだろうがな。だが、奴は人殺しはしない」
「絶対か」
「この世に絶対などはあり得ない。だが、たとえ殺されても邪魔はするな。手下が死んだところで、補充はいくらでも利くだろう?」
ボスはここぞとばかりにうなずく。
「その分、メリットがあれば」
ビジネスならば、部下の命も取引の材料にできるのだ。
佐藤も彼らの思考様式は承知している。
「もちろん、ある。部下1人の命にいくらの値段をつけるか、考えておけ。だが――」
佐藤が不意に言葉を切る。
ボスが怪訝そうに眉をひそめた。
「だが?」
佐藤は一呼吸置いてから、言った。
「逆に、私の計画を壊すようならデメリットしかない」
ボスの頭にこれまでの交渉過程が蘇る。あらゆる方向から力関係を計算する。そして、負けを認めた。
当面は、この正体不明の男に従う他ない、と――。
「分かった」
「分かったなら、実行しろ。絶対に部下が先走らないように躾けておけ。その後は、私の指示を待って打ち合わせ通りに死体を回収しろ。回収には、必ず君が同行するように」
「私、顔を見られてる。行きたくない」
「顔見知りだから、君が行く必要がある。そして、直接交渉しろ。奴を説得できれば、今後ここで仕事を続けても我々は感知しない。だが、説得に失敗して事が公になれば、立場上一切の手助けはできない。というより、徹底的に対立することになる。さっきの脅しが一つ残らず現実になるだろう。全ては、君の能力次第だ」
「だが、説得の材料、少ない」
佐藤は傍のサイドバックから薄い書類を出した。
「だからこれを持ってきた」
ボスが書類を受け取って中を調べる。少女の写真と数字が並べられたファイルだ。
「女の子のリストか? これ、何?」
「奴の娘が含まれている。娘の身柄を抑えている証拠になるだろう。しかも、この娘が他の娘の殺害に協力していた現場を撮影した動画がある。つまり、奴が事を公にすれば、娘が殺人幇助の罪に問われる」
「動画、欲しい」
「必要なら、私から直接奴に送る」
「実物がなくても、納得するか?」
「それは君の交渉能力次第だ」
「動画、本当にあるか?」
「ある。心配はいらない」
「見たい」
「必要ない。私を信じろ」
「それ、日本人の口癖か?」
「嘘をつかないからそう言う。君たちの『信じろ』とは逆だ」
「だから、分からない」
「我々も同じだ」
ボスは、うんざりとしたようにため息をもらす。
「奴が従わなければ、娘、殺すと脅迫していいか?」
「それは自由だ。結果は君が負うのだからな」
「奴を殺して、いいか?」
「君たちがそういう安直なやり方を好むことは知っている。だが奴は、私にとって重要な証人になる。その証人を奪われれば、君たちに便宜を図る理由はなくなる。それでも構わないのか?」
「それ、困る。この娘、生きているのか?」
「死体になっているなら、君たちにとっては喉から手が出るほど欲しい素材だろう。だが、残念だがまだ生きている。私の庇護下にある。私の存在を明かさなければ、生きていると明言して構わない。この切り札があれば、説得できるはずだ」
「奴が言うことを聞かなければ、どうなる?」
「奴は、この一連の犯罪を暴こうと必死になるだろう。我々にとっては、最悪の事態だ。当然、私と君たちの〝不可侵条約〟は反故だ。君たちは不倶戴天の敵になる。奴の目論見が成功すれば、我々は日本国民に〝正義〟を示すために、この地域をクリーンに変えなければならない。つまり君たちは、今後は一切ここで仕事ができない。店も機材も全て処分することになる。それが了解できないと言うなら、取引は不成立だ。こそこそ隠れて闇ビジネスを続けるようなら、強制捜査に入る。何より、日本で死体を調達していることが明らかになったら、徹底的な処罰を行う。覚悟しておけ」
「この工場、悪いのか? 場所、変えればいいか?」
「それには関知しない。邪魔もしないし、許可もしない」
さらに佐藤は、一枚の振込カードを渡す。
ボスは受け取って首をひねる。
「これ、何か?」
「今回の素材提供者の口座だ。定期的に指定した額を入金しろ」
「その金、私、なぜ払う?」
「全てが計画通りに進めば、今後もこの男から素材が提供される可能性がある。そういう相手だ。その際の価格交渉には私は一切関知しない」
「それならいいのか?」
「犯罪を隠しきれれば、共生関係が維持できるからな」
「分かった。これからも、お互い、見ないフリ」
「私も、君を見ないで済むようになることを望んでいる。だから繰り返す。くれぐれも、欲は出すな。私の領域を少しでも犯すようなことがあれば、一切容赦はしない。必ず後悔させる」
「分かった。肝に命じる」
と、ドアがノックされる。
ボスが立ち上がってドアを開け、中国語で二言三言交わすと、席に戻る。
「手下、これ持ってきた」
ガラスケースに入ったフィギュアだった。工場の地下で沖が目撃したものだ。
佐藤はフィギュアを無視して立ち上がった。
「それは完成品と一緒に発送しておけ」そして付け加える。「そんな幼稚な人形が発端だったとはな……全く、オタクって奴らは……。ばかばかしい騒動を起こしてくれるものだ」
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