3・小田切遥

 沖は、気弱な中年男を演じながらつぶやいた。

「ほんと、すみません。わざわざお時間を取らせてしまって……。男親の悲しさで、娘のことはどうしていいものやら、さっぱり分からないもので……」

 沖は、油汚れが染み付いてくたびれた作業着を身につけて肩を落としていた。相手に警戒心を抱かせないキャラクターを押し出している。

 凪を探し始めてから2週間ほどが過ぎていた。まだ有益な情報は得られていない。

 凪が自分から姿を消そうと望んだのなら、手がかりを見つけることは困難だと思えた。幼児の頃は父親に懐いていた凪は、探偵の行動様式にも馴染んでいる。〝探偵ごっこ〟は定番の遊びだったが、当然プロの知識はその隅々に色濃く反映されていた。凪が見つけられないための対策を講じていてもおかしくはない。

 知り合いの同業者や刑事には、気にかけてくれるように頼んである。張り込みなどの作業中に、偶然見かける可能性もあるからだ。調査を手伝わせるほどの義理はないのに、自発的に協力を申し出たかつての部下もいる。実際、最初の1週間ほどは数人で手分けをして教師やクラスメートたちの話を聞いた。

 それでも、手がかりはない。いつまでも彼らを拘束することもできない。

 次第に、捜索は1人で進めることになっていった。

 iPhoneにあった連絡先の一つが、小田切遥だった。すでに会うべき人物のリストの下位に入っている。滅多に会うこともない、単なる顔見知りの領域だ。

 ただ、何通かのメールをやり取りは残っている。内容は、遥が職業にしているコスプレ衣装作りに関する質問だ。それでも、決して多いとは言えない〝知り合い〟の1人であることは間違いない。凪が遥の元に身を寄せていることも、絶対にないとは言い切れない。

 だが遥は、一度の電話で沖の頼みに応じた。しかも娘を探す父親の焦燥した声に同情したのか、『5時過ぎなら仕事も終わるから』と言って自宅にまで招待したのだ。

 遥は古びた応接セットの隅に縮こまるように座った沖に紅茶を差し出してから、対面に座った。

「散らかっていて済みませんね。アクセサリーとかコスプレ衣装とか作っているもので、仕事柄、材料がいっぱいで……。おじいちゃんから譲られたものだから、家も古くて……」

 遥の仕事の内容は、あらかじめウェブサイトを見て把握している。

 サイトは少女アニメ的なイメージの可愛らしいデザインだが、一例として掲載されているオリジナル商品の価格は法外と言えるほど高価だった。それでも顧客を得られる実力を備えているのだろう。サイト自体もプロが念入りに手をかけた印象を与えた。

 片手間で趣味を副業にしているようには思えない。事業として安定した収入を得ているに違いない。

 ネット上の評判も遥が作る衣装を称賛するものばかりだった。

 遥の口調は、大人びて聞こえた。肩ぐらいまで伸びた髪をツインテールに結んだ外見とは真逆だ。身につけたエプロンも、いわゆるゴスロリ風に装飾されている。短めのスカートに黒いニーソックスという姿もアニメ風だ。

 制作作業に向いているとも思えないが、おそらく顧客と対面する際にイメージを壊さないように気を使っているのだろう。

 遥の自宅は東京都内では珍しくなった、古民家とさえ呼べそうな木造の平屋建て一軒家だった。近くには賑やかな国道も通っているのだが、ほんの数本の道を奥に入っただけで閑静な住宅街に変わる。周囲には古い建物も多く、昭和の下町にタイムスリップしたような錯覚さえ覚える。特に遥の家の庭は生垣で囲まれて低木も茂っているので、都心にいることさえ忘れそうな一角だった。

 それでも内装は見た目よりは古びていない。防寒、防音のリフォームを施しているようだ。沖が通された部屋も20畳近い広さがありそうで、おそらくは壁を取り払って大きな作業場に改装したのだろう。西日が差し込む部屋の奥にはいつくかの机が並んで、それぞれに大画面のiMacやミシンがセットされている。その間には古風な足踏みミシンもある。部屋の中央には大きなテーブルが置かれ、型紙や切り取られた布が並べられていた。

 確かに机の脇に並んだ棚やミシンの周りには、小物や道具類が入っているらしい透明なボックスが所狭しと並べられている。だが、部屋の隅のソファーとテーブルが置かれた一角はそこそこ片付いてはいた。テレビ台に置かれた30インチモニターにはファイヤーTVスティックが接続され、アニメソングらしい曲が流されていた。画面には、次にかかる曲のリストがびっしり並んでいる。

 遥がリモコンを取って音を消す。

 沖はアンティークっぽい紅茶のカップを見下ろしながら、つぶやく。

「娘の古い住所録から友人関係は全部当たって見たんですけど、どこに消えたのかさっぱり分からなくて……」

「匿われている、とかは? 中学生の頃だったら、そんな無茶をやりたがる子も多いですよ。実は、わたしもそうだったりして」

「それを一番疑って、これまでクラスメートとかに会ってきたんですけど、誰も深い付き合いはしていなかったような感じなんです。もう2週間になります。妻の……いえ、もう離婚しているんですけど、彼女の話でもそんなに長く泊めてもらえるような仲のいい女友達はいなかったみたいで……」

 それは、元妻から聞いた事実だ。沖は小田切遥の電話応対の印象から、なるべく隠し事は少ない方が話を聞き出しやすいだろうと直感していたのだ。

「男の子は?」

「付き合っている男はいないそうです。母親ですから、そこの勘は間違ってないと思うんです……」

「でも、なぜわたしに?」

「住所録から手当たり次第に当たっているんです。携帯はロックされて中が見られないんですけど、机に手書きの手帳が残っていて……」

 iPhoneの中を見ていないというのは、真実に近づくための作り話だ。誰が相手だろうと、無防備に手の内を晒すことは避けるのが沖だ。探偵の悪習ともいえる。

「そうですか……」

 沖は凪のiPhoneを書類カバンから出してテーブルに置いた。

「これ、見覚えはありませんか?」

 ケースを作ったのが遥だという確証はなかったが、メールの内容から類推したのだ。

 それを見た遥の表情が明るくなる。

「なるほどね。そのケース、確かにわたしが作ったものです。このお仕事を始めた頃の習作です。同人誌をやってるサークルに便乗してコミケで売ったんです。2年前、ぐらいだったかな……。娘さんのお名前、何でしたっけ?」

 沖にも笑顔が浮かぶ。

「沖凪、です」

「あ、覚えてます! 姓名とも一文字って珍しいし、かっこいい名前だし。なんだかちっちゃくて可愛い子だったし。アニメキャラっぽいな、って……あ、失礼ですよね、こんな言い方。でも、わたしもチビでいつもからかわれていたんで、なんか、親近感があって。実際、凪ちゃんの身長と大して変わらなかったんですよ」

「いいんです。成長早い方じゃなかったし」

 沖は紅茶を飲みながら言った。

「でも……コミケって何ですか?」

 無論、沖はそれを知っている。娘に無関心だった父親を演じる一環にすぎない。

「コミックマーケットっていう、アニメファンとかオタクのお祭りみたいなイベントです。サブカルチャーって呼んだ方がかっこいいですけどね。同人誌を売ったり、コスプレを見せ合ったり、わたしみたいに手作りのグッズを売ったりするんです。何十万人も集まって、ビッグサイトが人で溢れるんですよ」

「あ、なんか聞いたことがあります。凪はそんなところに行っていたんですね……。あ、その時、誰か友達と一緒に来ていましたか?」

「だいぶ前だから、そこまでは覚えていないけど……そのケースを見てかなり迷っていたから、1人だったと思いますよ。なんだか、待ち合わせの時間を潰しているような感じで。時計は気にしてたみたいだから、友達はいたかもしれませんね。だから色々話をして、付き合ってあげてた記憶があります」

 沖にはその話が娘の居所を突き止める役に立つとは思えなかった。だが、世間話は相手の緊張を解く。一見無意味な話が手掛かりになることもないとはいえない。

 何より、自分が知らない娘の一面には関心を引かれた。

「どんな話を?」

「世間話しですよ。わたし、人形の衣装とかも作ったりしていたんで、どうやってデザインするかとか、縫い方とか。結構熱心に聞いてくれましたよ。自分もやりたいな、とか言ってましてっけ。だからわたしの電話、わざわざ住所録に入れていたんでしょうね。あ、そういえばメールのやり取りも何回かしたかな」

 沖はあえてその言葉を無視して、大げさなため息をもらした。

「別れてから2年も経つから、今の娘のことは何も知らなくて……。アニメとかコスプレとかに興味があったんですね。もっとも、一緒に暮らしていた時からそんなによく分かっていたわけじゃないんですけど……」

 それも戦略の一部だった。

 だからあえて、メールの件には触れなかったのだ。遥が凪を覚えているなら、メールをやり取りしたことを自ら話すはずだ。それを隠すようなら、意図して凪をかばっている可能性が濃くなる。

 しかも凪を匿っているなら、本人から父親のことも聞かされているのが普通だ。接近してきた父親が本業の探偵とは違う人物像を演出していれば、疑問を抱く。疑問を持てば、その困惑は必ず表情や口調に現れるものだ。

 それを確かめたかったのだ。

 だが遥は平然と言った。

「男の人って、だいたいそんなものじゃないですか? むしろ、そっけないぐらいの方が娘は気楽なものですよ。どこに行ったのかとか、誰に会ってたのかとか、いちいち探られてたら息苦しくて……」

 そして遥は、軽く自分の左手首に触った。無意識の仕草のようだ。

 遥の両手首には、髪を結んだのと同じ黒っぽいシュシュが巻かれている。一見すれば〝カワイイ〟アクセサリーでしかない。だが、不意にその目に悲しみとも恨みとも思えるような表情がにじむ。シュシュがわずかにずれてその下から細い傷跡が見えた。

 沖は見逃さなかった。

 リストカットの跡らしい。それはおそらく、遥と父親との確執の痕跡だ。

 深入りすべきではない。沖は話を変えるかのように言った。

「それにしてもこの家、雰囲気がありますね。1人でお住まいなんですか?」

「ただ古いだけですよ。両親が長く海外にいるもので、自由に使っていいことになっているんです。駅にもそこそこ近いから便利ですけど、平家だし、古いから人にも貸せないし。で、仕事場になっちゃいました」

「仕事はお1人で?」

「ここに住んでいるのはわたしだけですけど、最近急に忙しくなってきて、時々専門学校時代の友達に助けてもらってます。同じ趣味の仲間みたいな人たちで、雇ってるとかじゃないんですけどね。1年ぐらい前にコミケに出品したブライスドールのコスチュームがツイッターとかインスタで評判になっちゃって……。人間用のコスプレ衣装も特注しますってツイートしたら、いきなり何件も注文が来ちゃってびっくりしてるんです。たくさんは作れないから、かなり高めの値段を設定したんですけどね。しかも、海外からもです。今じゃそっちがメインで、スマホケースのデコレーションはやってる時間がないんですよ」

 沖は、遥は凪の居場所を知らないと結論した。これ以上は時間を費やしても無駄だろう。他にも今日中に訪ねたい場所もある。

「あ、お忙しいのに申し訳ありませんでした」

 テーブルのiPhoneをカバンに戻す。

「いいんですよ、1人で根を詰めていると急に息苦しくなったりするんで。お話ができて、いい息抜きになりました。あ、ごめんなさい。凪ちゃん探さなきゃいけないのに、息抜きだなんて……」

 沖は席を立った。

「お気遣いなく。恐らくは、家出にも飽きてひょっこり帰ってくるでしょうから」

「だといいですね。戻ってきたら、わたしにも連絡するように伝えてくれますか? 今でも関心があるようでしたら、仕事を手伝ってもらいたいんです。アルバイトしながら、ミシン掛けとか覚えれば、技術も身に付くし、自信が持てるようになると思うんで」

「ありがとうございます、そんなに考えてくださって……。ぜひ伝えますので」

「何か気になることがありましたら、電話してください。覚えていることがあればお話しできると思いますので。あ、でも……」

「何か?」

「もう少ししたらちょっと海外旅行に出る予定なんです。タイに半月ぐらい滞在するつもりなんで、その間は電話も繋がらないかも……」

 沖は、探偵の習性で自然に話を膨らませた。

「海外へはよく行かれるんですか?」

「年に数回、主に東南アジア方面ですね。活気があって好きなんです。オリジナルを作るのにインスピレーションが刺激されますし、日本じゃ手に入らない生地とかアクセサリーとか、安くてたくさん買えるし。あ、でもチケットとかいつも成り行きで取るんで、正確な日程はまだ全然決まってないんですけど……」

「お気になさらずに。もし凪が帰ってきたら、お知らせします」

「ぜひ――」と、遥が不意に付け足す。「あ、そういえば……」

「何ですか?」

「凪さん、わたしの知り合いのアニメショップによく出入りしているって言ってました。ご存知でしたか?」

 話を膨らませることには、こういう些細な効果もある。だから、染み付くのだ。

「何ていう店でしょう?」

「『アニフレンド』っていう、駅の近くの――」

「そういえば、似たようなこと、学校の知り合いからも聞いています。凪はいつも暗い顔をしていたけど、アニメの話をしている時だけは幸せそうだったって。アニメショップにもよく行っていたとか」

 その情報は、近々確認しなければならないと思っていたものだ。

 沖の頭の中で重要度が変わり、今後の捜査手順の組み替えが始まった。

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