27・小田切遥
佐藤の背後に、さらに2人の中国人が現れる。
沖がうめく。
「お前ら……」
若い男が沖をにらみつけた。
ボスが言う。
「あんた、思い切り殴った。こいつ、恨んでる。二度とチャイナタウン、くるな。きたら、殺す」
若い男は鼻を鳴らしてから空の木箱に歩み寄って、それを台車から降ろして横倒しにした。遥の死体を持ち上げ、木箱に詰め込もうとする。ボスが背を向け、それを手伝った。
高橋が彼らに近づく。
「遥ちゃんを……?」
背後で、佐藤が言う。
「大丈夫だ。君のフィギュアはスキャンして3Dデータを保存してあるそうだ。完璧に同じポーズにして、ここに戻す。それまで1ヶ月ほど、待ってくれ」
だが高橋は無言で這い進み、若い中国人を押しのけるようにして遥の頰に手を触れた。
「遥ちゃん……」
それを見た沖が、つぶやく。
「やっぱり、愛していたんだな……」
中国人たちは、その高橋を黙って見下ろしていた。
その間に沖は、佐藤に問いただす。
「凪は生きているのか?」
佐藤の答えは明確だった。
「生きている。少なくとも、今日、私が見た時はな」
沖は、深い安堵のため息を漏らした。
佐藤が事態をコントロールしていた黒幕であることは目を合わせた瞬間から感じていた。発している雰囲気が、素人のそれではない。いわば、ダークサイドのリスクマネージャーだ。しかもそのオーラさえ、自在に消す能力を身につけている。
沖など近づくことが叶わない場所で命を張っている男だ。
その佐藤の言葉がもっとも事実を反映しているだろうことも、理解していた。
佐藤に、嘘をつく理由がない限りにおいて――。
沖は言った。
「ひとまず信じる。ありがとう。だが、あんたは誰なんだ?」
佐藤は穏やかな笑みを浮かべる。
「それを知ると、厄介なことになる。君だけではなく、君に関わる全ての人間にとって、だ。探偵の端くれなら、そういう存在があることは分かっているはずだ」
沖はたじろがない。むしろ、安心したようにすら見える。この種の相手なら、少なくとも話は通じるし、利害関係が対立しない限りは無意味な攻撃を仕掛けてくる危険もない。
「だったら、質問を変える。なぜ、小田切遥をこうまでして守ろうとする?」
佐藤は薄笑いを浮かべたままだ。それでも、その目は凍りつきそうに冷たい。
「やはりな……君のような男を縛るには、真実を告げる他はないようだ。下手に隠せば、また些細なほころびをほじくり始める。不確定要素そのものだ。しかも、殺せば〝蟻の穴〟が広がる恐れがある……。厄介な男だよ、君は」
「殺す気はないってことだな」
「今のところは」
「条件付き……だよな、もちろん」
「だから、真相は教えても構わない」
「本当だな?」
「ただし、墓まで持って行け。できないのなら、君と君の娘、そして元妻も、直ちにこの世から消えてもらうことになる。君たちの失踪を不審に思う者が現れれば、もちろん彼らにも消えてもらう。面倒な仕事は増えるが、我々にはその力がある。その点は、疑いを持たないように勧める。そして、全ての責任は君の好奇心が負うことになる」
沖はうなずいた。
「似た経験は味わったことがある」
「それは調べた。だが、失敗から学ばない愚か者は多い。好き好んで炎に飛び込む虫もいる」
「虫の末路には懲りた」
「そうであることを祈る。君自身と、君が守りたい人々のために」
「それで?」
2人はしばらく無言でにらみ合った。
そして、佐藤がうなずく。
「ひとまず、私も信じるとしよう。だが、異変を察知したら容赦はしない。我々の情報網を侮るなよ」
「当然だ」
佐藤が確信に切り込む。
「小田切遥はある財界人の隠し子で、父親は我々のクライアントにとって欠かせない財力と実力、そしてネット上での爆発的な知名度を持っている。従って、血の繋がった娘が連続殺人犯だと知られることは防がなくてはならなかった」
沖が中国人たちを見る。
「奴らに聞かれて構わないのか?」
佐藤は、中国人たちを見ようともしない。
「下っ端は言葉が分からない。ボスは知っていることだし、話もついている」
沖がうなずく。
「で、そのクライアントって、誰だ?」
「知れば君は死ぬ。交渉以前の問題だ」
「分かりきったことを聞いてしまうのが俺の悪い癖でね。確認してみたかっただけだ。で、クライアントを守るために高橋を身代わりにしたのか」
「そもそもは、彼女……いや、彼女の〝第2の人格〟が始めた自己保身の計画だ。連続殺人の罪を高橋君に負わせようと企んだ。我々はその策略に便乗したに過ぎない」
高橋が不意に振り返って叫ぶ。
「遥ちゃんを悪く言うな! この子は病気だったんだ!」
高橋が身を翻した隙に、中国人たちがそそくさと死体を木箱に詰め始める。だが高橋は、佐藤から目をそらさなかった。
佐藤がうなずく。
「それは確かだ。自分では制御できない、精神の病だった」
高橋は観念したように、がっくりと床に両手をつく。
沖が問う。
「それを知りながら、父親は放置していたのか?」
「異常者だから殺せ、とでも言うのか?」
「入院だとか、方法はあるだろうが?」
「小田切遥の症状は、極めて特殊だった。数年に一度、一時期に限って激しい〝発作〟が起きるだけで、それ以外の時は完全に自分をコントロールできていたんだ。むしろ個性を生かして事業を起こすほど社会に適合し、しかも突出して有能だった。彼女が正当に稼いでいた報酬は、おそらく君の数10倍はある。いかに冷血な父親でも、その才能を消し去る権利はない。もっと危ない連中が、〝人権〟の美名の下に野放しにされているのが現実だからな。だから我々が監視を続けていた。だが、不充分だった。〝発作〟の開始を見逃してしまった。気づいた時点で、すでに2人が殺されていた」
「発作……? 人殺しの衝動が、発作なのか?」
「生まれつき抱えていた気質なのだろう。そもそも父親が異変に気づいたのは、彼女が小学生の頃だ。月に一度ほど、怒りっぽくなって暴力を振るうようになったという。しばらくして、それが満月の周期と一致することが分かった」
高橋が床を見つめたままうめく。挑戦的な言葉つきも穏やかに変わっていた。
「遥ちゃんは宇宙の力で動かされていたんです……遥ちゃんは何も悪くないんです……」
佐藤が淡々と語り始める。
「そういう言い方も間違いではないと思う。だが彼女の発作は起きるごとに過激になり、父親もそれを理由に疎遠になっていった。しかも彼女が初潮を迎えると、暴力はさらに頻繁になって母親を傷つけるまでに至った。生理の一週間前ぐらいに不安定期を迎えるのがその周期だ。一方で心の成長に伴って、月の影響も生理の影響も理性で抑えこむ術も覚え始めた。しかし、数年に一回、この2つの周期が重なる時期が半年間ほど続く。この期間だけは、完全に行動が抑制できなくなる。自分がしていることは理解できても、他者を傷つけることへの罪悪感が消え去ってしまう。最初は小学生の頃で、その時は同級生へのいじめの首謀者になっていた。この傾向は満月が出ている夜間に強まり、人格の分裂と言えるほど症状が激しい。中学生の頃は周囲の小動物が多数殺されたり、自宅の庭に爬虫類や両生類の死体が散乱することもあった。娘が犯人だと気づいた母親は心労が原因で自殺することになり、彼女自身も自分を責めて何度も自殺を図った」
沖がつぶやく。
「リストカットか……」
「他にもいろいろ試したらしい。だが、生存本能が強く、自分だけの力では致命傷を負うことができなかった。普段は理性で抑え込まれている凶暴な人格が、自殺を阻止するために出現したこともあるようだ。父親は充分に生活費を与えたが、家族への影響と世間体を気にして本人を引き取ることはできなかった」
沖が吐き捨てる。
「世間体、かよ……」
「新進実業家だからな。一昔前なら妾の子がいることなど誰も気にしなかったが、今ではそんな些細な瑕疵が雑誌の見出しになりかねない。しかも父親の家庭には、2人の娘がいる。代わりに我々が、一軒家で暮らす彼女を密かに監視することになった。もちろん、24時間絶え間ない監視体制など取れない。満月の時期に限って監視員を1人だけ配置した。そして専門学校生の頃、今度は隣家の飼い犬が殺される事件が頻発した。1人の監視体制では見逃しを防ぐことはできなかった。事件が公になって彼女の血筋が暴かれ、父親の事業に悪影響を与えることだけは絶対に避けなければならない。だからその前に今の住居へ転居した」
「遥さんは同意したのか?」
「父親の説得を素直に受け入れた。彼女自身が心に潜む狂気に怯えてもいた。しかも症状は、発作が起きるたびに悪化していく。父親は定期的に精神科のカウンセリングも受けさせた。だが、その間も彼女の中の別人格は着実に育っていたようだ。本人の意識では治療に励んでいたつもりのようだが、その背後では別人格が我々を欺く計画を綿密に練っていたようだ。そして、今回の連続殺人が開始された」
沖が、床に散った発泡スチロールを集めて木箱に詰めている中国人たちを見る。
「彼らにはどうやって近づいた? 裏社会の犯罪ビジネスだぞ。普通の娘がコンタクトを取れるような相手じゃないだろう?」
「それも別人格が我々に隠れてやったことだ。恥ずかしながら、私の部下は全く気づけなかった。過去に、殺したトカゲをプラスティネーションできる会社をネットで探したようだ。違法性がない学術標本であれば請け負う会社は日本にもいくつか存在する。だが彼女の究極の目的は人体のプラスティネーションだ。そんな欲望を抱いたのは、アニメの影響が大きかったようだな。調べる過程でチャイナタウンに行き着いたらしい。東南アジアへの旅行も多かったようだから、あっちのブラックマーケットでチャイニーズマフィアと渡りをつけて仲介させたのかもしれない」
「それだって簡単にできることじゃないだろう? しかも金がかかる。そんな金、どこから?」
「父親からの送金だけでは資金が足りないが、自分のビジネスでも相当の収入を得ているために彼らとの交渉が成立したのだろう。しかも彼女には、極めて精緻なコスチュームを作り出す独特の才能がある。1年ほど前から、その作品のいくつかをチャイニーズマフィアに販売していた。おかげで人体フィギュアの価格を倍以上に釣り上げることができたということだ。ウィンウィンというやつだよ。このマンションも、彼女が高橋の名義で借りたものだ。最初から高橋君を殺人犯にすることを想定して準備を進めていたんだ」
木箱の蓋を木槌で塞いでいる中国人たちにも、その話は聞こえているはずだった。ボスは言葉も理解しているに違いない。だが彼らは、全く佐藤を無視していた。
沖がため息を漏らす。
「遥さん自身が、自分の中の別人格に操られていたということか……」
高橋が呻く。
「被害者なんですよ……遥ちゃんだって……。一番怖がっていたのは、彼女自身なんです。それなのに、闘っていたんです。僕と出会う前は、たった1人でそんな恐怖に立ち向かっていたんです。映画の『エイリアン』みたいに、腹を――いや、理性を食い破って凶暴な人格が外に出るのは絶対に防ぐんだ、って……」
と、中国人のボスが言った。
「死体、運ぶ。いいか?」
佐藤は振り返ってうなずいた。
「構わん。後の処理は、今まで通り頼む」
中国人たちはうなずくと箱を台車に載せ、去った。
彼らの気配が消えると、沖は佐藤に尋ねた。
「今まで通り、なのか……?」
「不服か?」
「少女たちが殺されたのは事実だからな……。これからも、奴らは日本で闇ビジネスを続けるのか?」
「限度はある。住み分けや共存ができる間だけの話だ。こちらに利益がなくなれば、あるいはリスクマネージメントが不可能になれば、直ちに対処する」
「それでも、犠牲者は出る」
「今は、それが事態を収束させる最も穏やかな方法だ。見逃すしかない。少なくとも、今回の事件の首謀者は死んだ。これから拡大する心配はない」
「だが、殺された少女たちは? 家族が探していないのか? そこから事件が暴かれることはないのか?」
「ない。それがこの犯罪のもう一つの特異性だ。どうやら彼女たちは全員、死を望んでいたらしい。家族から見捨てられて死ぬことしか考えられない少女たちが、小田切遥の下に集まってきたようだ」
それは、沖自身が感じていた事だ。
「宗教……みたいなものなのか?」
高橋が沖を見上げる。
「遥ちゃんは、あの子たちの願いを叶えようとしていただけなんです。だからみんな、今もこうして幸せそうな笑顔でステージに立っていられるんです……」
沖は佐藤に言った。
「手首のバンド、切ってもらえないか?」
佐藤は微かに笑った。
「ああ、済まなかった。君はすでに我々の側にある――そう考えていいのなら、切ろう」
沖はためらわない。
「そう思ってくれて構わない。ただし、凪が無事だと言う言葉が事実なら、だ。嘘なら、俺は君たちの敵だ」
「そんな軽はずみな宣言をして取り返しがつかなくなるのは、君の方なんだがね……」
言いながら佐藤は小さなナイフを取り出し、結束バンドを切った。
沖が手首をさすりながら立ち上がる。そして、高橋に尋ねた。
「君はどうやって遥さんに近づいたんだ?」
高橋は床にべったりと座り込んだ。
「僕が、じゃありません。遥ちゃんが僕を探し出してくれたんです」
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