28・佐藤

 沖が訝る。

「遥さんが?」

 高橋は、もう事実を偽るつもりはないようだった。

「一回だけ、イベントで会ったことがあります。レアフィギュアのコレクターとして同じステージに立ったんです。フィギュアのコスチューム制作者として、遥ちゃんを紹介されました。僕はその時から遥ちゃんに恋をしました。また一緒にイベントに出られることをずっと待っていました。でも、そんな機会はいつまでも来ませんでした。僕らオタクの人生なんて、そんなもんだろうと思って諦めていました。ところが突然、遥ちゃんからメールがきたんです」

「いきなり?」

「僕が持ってるフェアリーコンバットのレアフィギュアセットを見せて欲しい、って……。メアドだけは名刺に載せてるから。部屋には大事なフィギュアとかがいっぱいあるから、住所なんかは誰にも知らせていません。安アパート暮らしで、ここみたいにセキュリティがしっかりした部屋じゃありませんから。でも、遥ちゃんが来るとなったら話は別です。喜んで招きましたよ。コレクションが気に入ってもらえれば、もっと近づけるとも思ったし……。だから、たくさん写真を撮られても全然平気だったのに……」

 佐藤がうなずく。

「だから、ローズのフィギュアが盗めたのか……」

 高橋が佐藤を見上げる。

「まさか、フィギュアを人質にされるだなんて……。犯人は遥ちゃん以外に考えられません。だって、他に誰も僕の部屋のことは知らないんだから。しかも、僕が一番好きなコンバット・ローズだけを盗んでいくなんて……。普通の泥棒がやるはずないじゃないですか。後で聞いたら、随分ピッキングの練習をしたそうです。で、空のガラスケースに書き置きが残っていました。Gメールのアドレスとパスワード。そして『そのアカウントの〈下書き〉を見ろ』って。メールはやり取りすると記録が残るけど、同じアカウントの〈下書き〉は誰にも見られないし、簡単に消せるから。そこに、僕への命令を書き込んできたんです。どこのトランクルームに何時に死体を入れろとか、このマンションのパスワードとか……。僕の質問も、そこに書き込みました。で、終わった指示はどんどん消していきました。証拠はなるべく残さないように、って。遥ちゃんは自分のことは知られていないと思っていたようだけど、僕ははじめから分かってましたしね。だから心の中で『女神からの電波』って呼んでいたんです」

 沖がつぶやく。

「それ、CIAの長官だかが不倫のやり取りに使っていた方法だな……」

「そうなんですか? 全然知らなかった。遥ちゃん、そんなことまで調べたのかな……」

 佐藤が聞く。

「で、少女を殺せ、と?」

「殺さなかったらフィギュアを破壊する、って脅されました。もちろん、ひどく迷いましたよ。フィギュアはお宝だけど、人の命には代えられないから。オタクにだって、それぐらいの分別はあります」

 沖は尋ねずにはいられなかった。

「だったら、なぜ……?」

「ローズ――あ、僕が殺した少女のことですけど、彼女の方から部屋にやってきたんです。僕はもちろん、人殺しなんかできないって断ったんだけど……」

 沖には、すぐには理解できなかった。

「だから、なぜ殺した⁉」

「後になって、遥ちゃんから直接教えてもらいました。佐藤さんが言ったように、連続殺人の罪を僕に着せたかったんですって」

「そうじゃない! 何で少女を殺したんだ⁉」

「遥ちゃんの身代わりになれるなら、僕は別に構わないし」

「少女の未来を奪ったことに変わりはない!」

 高橋は変身後のコスチュームを着て晴れやかに笑うコンバット・ローズを見つめた。皮肉っぽく唇を歪める。

「未来? やっぱり、普通の人が使う言葉って、普通っぽいですよね……」

「は? 何の言い逃れだ⁉」

「彼女たちは、そんなものは捨ててしまいたかったんです。だって昨日と同じ未来なんて、悲惨なだけですから。僕……あなたが言ったように、あの子の本当の名前も知らないんです。その時はまだ、女の子たちのファイルは渡されていなかったから……。何度も何度も聞いたんだけど『ローズって呼んで』って言うばかりで……。彼女は、本心からローズに変身することを望んでいました。自分がローズに選ばれたことを喜んでいました。信じてもらえないんだろうけど、逃がしてあげようとしたんですよ。なのに『ちゃんと殺してください。ローズにしてください』って泣きながら頼まれて……彼女は、死ぬことでしか救われなかったんです……」

「何でまた……」

「生きていたら……連れ戻されたら……またお父さんの欲望のはけ口にされる……見てみないふりをするお母さんの笑い顔を見るのは、もういやだって……」

「児童相談所とかだって――」

 高橋は不意に怒りを爆発させる。

「そんなことは父親が許さないんだよ! 相手は社会的地位ってやつがある大人なんだぞ! 中学生が考える逃げ場ぐらい、とっくに試してるんだ。なのに、その度に大人たちは父親に言いくるめられて……警察だって福祉の人だって、本当のことに気づいていたはずなのに、またあの子を家に押し戻したんだ……そして、悪夢の続きを見せられたんだ……だから、もう帰りたくないって……死ぬしかないんだ、って……」

 高橋の最後の言葉は、嗚咽でかすれていた。

「そうだったのか……」

「だから遥ちゃんは、あの子をローズにしてあげたんです。あの子も、死ぬんだって理解して遥さんに従ったんです。そもそもインスタの手首の傷を見て遥さんが自分と同じ苦しみを抱えているって思ったから、自分からコンタクトを取ったんですから」

 沖がうなずく。

「やっぱりそんな理由があったのか……。わざわざ傷が見える写真をアップする理由が分からなかったんだ……」

「遥ちゃんが選んできたフェアリーコンバットは、みんなそうなんです。みんなアニメやコスプレに逃げ場を求めていて、とっても細かいことによく気付きます。遥ちゃんのリストカットの跡に気づいたナイーブな子たちは、悩みを話し合いたくてダイレクトメッセージで連絡を取ってくるんです。多分、凪ちゃんもね。だから遥ちゃんの周りには、そういう子が自然と集まるんです。この世の中から切り捨てられて死にたがっていた少女ばかりなんです。ローズが全部話してくれました。両親が事故で死んで、預けられた親戚に奴隷扱いされていた子とか……ヤクザに売られて、毎日何人も客を取らされていた子だっています……。遥さんは、ただの人殺しなんかじゃありません。世界から見捨てられた子供たちにとって数少ない友人で、真の理解者で、頼りになるお姉さんで……確かに、宗教的な教祖でもあって……どん底の苦しみからの解放者だったんです……。遥さんは、彼女たちを助けただけなんです……」

 佐藤がうなずく。

「私も今ではそんな気がしている。家族が誰も被害者を探していないことがいい証拠だ。この連続殺人は、発生したことすら知られていない完全犯罪なんだ。彼女たちはみんな、いつ消えても困らないと疎まれていた存在だったんだ」

 高橋が言う。

「それが分かったから僕は、『遥さんの力になりたい』って書き込みました。遥ちゃんがバンコクに行っている間です。最初は信じてもらえなかったけど、生きている間はローズも口添えしてくれて……ローズを殺した映像も〈下書き〉に入れたんです。それを見た遥ちゃんも僕を信頼してくれて、日本に帰ったらこっそり会おうね、って……実際に会って『一緒にやろう』って応えてくれたんです。僕たちは何度も会って、体も結ばれました」

 沖がつぶやく。

「そこまで親密に……?」

「遥ちゃんは、自分の中の狂気に怯える気弱な女の子だったから……僕はそんな遥ちゃんしか知らないから……。こんな無力な僕にさえ、すがっていたかったんでしょう。いつだか、言っていました。僕と出会って、やっと本気で戦う決心がついたって……。それまではひとりぼっちだったから、凶悪な人格に反抗する勇気も中途半端だったんです。だって、何度カウンセリングを受けても〝あいつ〟は巧妙に姿を隠してしまうそうですから……。でも、2人なら支え合える。力を合わせれば、言いなりにならずにすむ、って……。だから〝あいつ〟に従っているフリをしながら、最後で逆転する作戦を始めたんです。遥ちゃんはきっとあの頃から、5人目は自分にする、もう犠牲者は出さないって決めていたんでしょう。だから死ぬのは、新月の昼間を選んだんです。〝あいつ〟が一番弱まる時だから……僕たちの反乱を妨害させたくなかったから……」

「最初から自分を犠牲に……」

「元々、自殺したいのにできない子でしたからね。僕の力を借りてでも、フェアリーコンバットに変身して別の世界に生まれ変わりたかったんです。僕に体を許したのは、お礼かご褒美のつもりだったのかもしれません。それでもいいんです。僕は幸せだし、遥ちゃんを愛していますから……。遥ちゃんはもう他の男に心を許す事はないし……僕から引き離される事はないんです……。永遠に繋がっていられるんですから……」

 高橋は、共に戦い、愛した女を自らの手で殺したのだ。

 愛した女を、1人では決して抜け出せない地獄から解放するために……。

 沖が問う。

「だが遥さんは、そもそもどうして君を犯人に偽装したがったんだ?」

 答えたのは佐藤だ。

「我々の監視に感づいたからだろうね。殺人を楽しんでいた第2の人格がそうさせたに違いない。5人が揃うまでは邪魔されたくなかったんだろう」

 高橋もうなずく。

「遥ちゃんも『誰かに見張られている』って言ってました。だから僕がローズを殺す間は、自分は海外旅行をしてアリバイを作っていたんですって。〝あいつ〟がそうさせたんです。もしも連続殺人がバレても、僕を犯人にするつもりだったんです。レアフィギュアを人質にして人殺しを強要したなんて馬鹿な話、警察は絶対に信じないし。犠牲者のファイルだって、僕に罪を着せる証拠の一つとして作ったんです」

「それも確認した。バンコクの地元警察に照会したところ、同時期に滞在した地域で不審な少女の殺人事件が3件発生していたそうだ。そのどれかは、彼女が起こしたものだろう。全部かもしれないがね。そうやって自分の殺人衝動を解消しながら、私たちには〝発作〟が止んだと思わせる。そしてその間にトランクルームを経由しない、別の死体運搬ルートを開拓する。チャイニーズマフィアは金さえ払えば口をつぐむだろうから、我々の目をかいくぐって5体のフィギュアを完成させようとしたのだと思う」

 高橋もうなずく。

「あの凶暴な人格はたぶん、5人揃ったら事件を公にするつもりだったと思います。いきなり繁華街に陳列する、とかしてね。〝あいつ〟にしてみれば苦心して作り上げた超大作ですから、たくさんの人に見てもらいたかったはずです。その時は、僕が猟奇殺人犯として逮捕されるわけです。そのためにローズを僕に殺させたんでしょう。わざわざ映像まで撮らせて、ね。実際にこの部屋で殺したんだから、嘘ついたところで警察には見抜かれますよね。僕は社会に溶け込めないオタクですから、5人とも殺したと思われて当然ですから……」

「だが、誤算があった。第1が、高橋君に正体を見抜かれたことだ。遥君以外は部屋に入れたことがないなんて、考えてもみなかったんだろう。第2が、遥君が高橋君と手を組んだこと。2人が反乱を起こすのは予想外の展開だったに違いない」

 沖が佐藤に問う。

「そう言うあんただって、高橋を操っていたんだろう?」

「トランクルームを使った段階で高橋君の関与は掴んだ。さらにチャイナタウンの連中との繋がりも探り出し、背後関係を調査した。その上で、協力するように申し出たんだ」

「俺は3人に操られていたってことか……」

「結果的には、な。だが、私と遥君は対立関係にある。彼女は私の関与を嫌い、避けようとしていたんだからね」

 高橋がうなずく。

「佐藤さんのことは遥ちゃんには黙っていました。遥ちゃんがそれを知れば、〝あいつ〟も気づいてしまいます。どんな邪魔をしてくるか分かりませんから。その代償に、佐藤さんからは資金を提供してもらっていたし」

 佐藤が言う。

「高橋君と目的が一致したからだ。その点では信頼していた」

「僕の望みは、遥さんを苦痛から救うと同時に、連続殺人犯という烙印を消してあげることでした。今でも自分が罪を背負って死刑になったほうがマシだと思ってます。僕だって、今の世の中に溶け込めなくてずっと息苦しさに耐えてきたオタクですから。死んでしまえるなら、それでも別に構いません。佐藤さんも、僕が罪を被るなら遥ちゃんのお父さんが完璧に守れます。仮に遥ちゃんが隠し子だと暴かれても、被害者なんだから迷惑はかからない。お互いにメリットがあったんです」

 佐藤が言った。

「事件が表沙汰にならないことが一番だがね」

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