26・沖信彦
高橋が苛立ちを露わにする。
「そんなのデタラメだ!」
沖は穏やかに高橋を見つめる。
「最初は、『アニフレンド』だ。『凪が行くと言っていた』というから、俺はアニメショップの周辺での聞き込みに捜索の重点を移した。同級生の証言があるにはあったが、あれはあやふやな記憶でしかなかったからな。遥さんの言葉がなかったら、俺がチャイナタウンに接近するのはもっと遅くなっていたかもしれない。遥さんは何気なく話していると見せかけながら、俺を誘導していたんだ。だから、チャイナタウンまでたどり着いた」
「チャイナタウン、チャイナタウンって……何のことだよ……?」
「知らないはずがないだろう?」
「知らないって、何を……」
沖の顔が曇る。
「本当に知らないのか?」
「は? 僕はチャイナタウンなんかに関係ないよ」
沖がうなずく。
「そうか……そういうことなんだな……」
「何が言いたいんだよ」
沖はさらに事件の〝真相〟に一歩近づいたことを確信した。
「そこの等身大のフィギュアは死体を加工して作られた。プラスティネーションという技術を使っている。日本企業では扱っている会社はそれほど多くはない。まして、死体を人形にするなんていう犯罪に手を出すはずもない。死体損壊は明らかな重罪だからな。しかも人体を丸ごとプラスティネーションするには、そこそこの設備が必要だ」
「何が言いたいんだ?」
「答えが、チャイナタウンだ。プラスティネーションはチャイナタウンのクリーニング工場の地下で行われていた。中国人なら、死体の加工に後ろめたさを感じることはない」
高橋が驚きに目を丸くする。盗聴した音声に『クリーニング工場』という単語が入っていたことを思い出す。
「あ、あれって、それだったのか……」
「君が全てを主導していた連続殺人の主犯なら、知らないはずはない。少なくとも、チャイニーズマフィアが絡んでいることは分かっていなければおかしい」
「でも、殺したのは僕だ!」
「確かに遥さんを殺した。だが、他の4人は?」
「ローズだって僕が殺した!」
「ローズ? それは誰だ?」
高橋が振り返って飾ったばかりのコンバット・ローズを指差す。
「このローズだ! 僕がこの手で首を絞めて、殺したんだ!」
「彼女はローズなんかじゃない。日本に生まれ、日本で生きてきた、多分普通の女の子だ。名前だってある。君は彼女の本当の名前を知っているのか⁉ 言ってみろ!」
高橋が息を呑む。
「名前? それは……」
「杉戸彩未――それが彼女の名前だ。君の部屋に、ファイルがあった」
「あ……」
「ファイルは君が作ったはずなのに、中身は知らないんだな。つまりあのファイルは、誰かから預かったものだったんだろう? それでも、中は見たことはあるはずだ」
高橋は言い繕うように叫ぶ。
「彼女は僕にとって、完全なコンバット・ローズなんだ! ローズでしかないんだ!」
「覚えていない……いや、関心もないってことか。そもそも、それがおかしいんだよ。君が彼女を殺しただけでなく、最初から選び出し、殺せるまでに近づいたのなら、その過程で何度も本当の名前を聞いたはずだ。一文字も覚えていないはずがない。単に殺しただけ、でなければな」
「何言ってんだよ! 僕がローズを捕まえてきたんだ! 僕がローズを殺したんだ!」
「だったら、他の3人は? うろ覚えでもいい、彼女たちの名前を言ってみろ。誰か1人でも知っているのか⁉」
「それは……」
「彼女たち3人も、君が殺したのか⁉」
高橋は目を背けた。
「あ、当たり前じゃないか……5人揃わなけりゃ、フェアリーコンバットにならないんだから……」
「君は本当に分かりやすい奴だな。嘘を言ってることが見え見えだ」
「嘘なんかついてない……」
「それなら、別の聞き方をしよう。殺したのが君なら、どうやって死体を処理した? 君自身が加工できる設備を持っているとでもいうのか?」
高橋がムキになる。
「僕は死体を倉庫に預けただけだ! 後は誰かが勝手に処理したフィギュアを送ってくるんだ」
「誰がそのルートを開拓した? 人の死体をフィギュアにするなど、まともな日本人が手掛けられるはずもない。非合法の職業に通じた俺たち探偵でも、噂すら聞いたことがない。しかも、素材としての人体を必要とする。仮にそんな闇業者があったとしても、一般人がコンタクトを取る方法などない。治外法権化しているチャイナタウンのような場所でなければ、設備を維持することも、秘密裏に営業することも不可能だ」そして高橋をにらむ。「君は、そんな連中とどうやって渡りをつけたんだ⁉ 君自身が業者を探し出してきたなら、チャイニーズマフィアが絡んでいることを知らないはずがない!」
高橋はわずかに身を引く。
「そ、それは……」
「ルートはすでに出来上がっていた。君は、そこに便乗しただけだ。倉庫に預けた? 誰かから、そこに預けろと指示されたんだろう⁉」
高橋が目を伏せる。
「だけど……」
沖は、高橋を無視した。
「俺はチャイナタウンの調査に集中した。それ以外に手がかりが一切なかったからだ。一方で遥さんは、不審な衣装の注文に凪が関連してるらしいと言ってきた。しかも俺にストーカー被害を訴え、次第に疑いを君に向けていった。今から考えれば、遥さんが君の名前すら知らない可能性は低かったんだ。互いにフィギュアやコスプレ関係の世界では結構な有名人だったんだからね。遥さんが知らないと言ったことを不自然だと疑わなかったのは、痛恨のミスだ。だからこうして、あっけなく操られてしまった。俺がこのマンションに来たのは、チャイナタウンから運び出された木箱を追ったからだ。届け先には、君がいた。遥さんが捕らえられていた。そして目の前で、命を奪われた。この部屋で、全てのピースが噛み合った――」
沖はそこで、不自然に言葉を切った。高橋をじっと見つめる。
高橋が沖を見上げる。
「え……?」
「そういうことなんだよ……。俺はここに誘導された。目的は……君が連続殺人の犯人だと目撃させるため。つまり、真犯人から目をそらせるためだ」
「だから、犯人は僕だって!」
「違う。全てを企んだのは、遥さんだ。真犯人は、遥さん以外に考えられない」
高橋ががっくりと首をうなだれる。
「僕なんだ……犯人は、僕だけなんだって……」
沖は確信したように言った。
「それが答えだね。君のその姿を見れば、遥さんが連続殺人を始めたことは疑いようがない。4人目と遥さんを殺したのは君だとしても、それまでの3人は遥さんが殺したんだ」
「違う! 遥ちゃんはそんなことはしない!」
もはや沖は、高橋の声など聞いていないようだった。
「だが、なぜかその後は君に後を引き継がせた……しかも最後は、自分自身を殺させた……。なぜだ……?」
高橋は床に視線を落として涙をこぼしていた。
「僕なんだよ……全部僕がやったんだよ……」
「それなら、なぜ今ここにローズのコスチュームが準備されていたんだ? 遥さんは俺に、まだ制作は初めていないと言った。なのに、こうして完成しているじゃないか。注文が入ったばかりのはずなのに、なぜ遥さんは俺に嘘をついた⁉」
顔を上げて沖を見た高橋の視線が泳ぐ。
「それは……」
「あの衣装は、俺には絶対に見せてはいけないものだったんだ。なのに、君は我慢できなかった。本体が届いてしまったから、着せずにはいられなかったんだろう? 俺が去るまでのほんの数時間を待てなかったんだ。だからそれを見た遥さんは、驚いた表情を見せた。あの瞬間に、君が芝居を台無しにしてしまったから」
「そ、それは……」
沖は、高橋に語りかけるようにして自分の考えを整理していた。
「そもそも俺が君の存在に気づいたのは、遥さんがストーカー被害を訴えたからだ。しかも、ストーカーは遥さんの採寸データまで持っていた。そんな情報、一体どこから手に入れた? たかがストーカーに可能なことか? 遥さん自身が提供したと考えた方が理屈に合う。その上、ストーカーが注文してくるコスプレ衣装の依頼写真が凪に似てるとか、コンビニ着で発送されていたとか……あまりに都合が良すぎる。君は、俺が監視していることを遥さんから知らされてからコンビニに行ったんだろう? それに中華街オリジナルのキーホルダー……あれがあったから、君とチャイナタウンを結びつけて考えた。遥さんから預かった物なんだろう? アパートにあった凪のファイルだって、遥さんから渡されたものじゃないのか⁉」
「何をバカなことを言ってるんだ! 全部僕がやったんだから、そんなはずないだろうが!」
沖は動じない。
「だが一番大きな問題は、他にある。今回ここに人体フィギュアを運んだ目的は、俺に尾行させるためだ。でもそれは、チャイニーズマフィアにとってもリスクが高い。いくら人目が少ない早朝だとはいえ、輸送中に事故でも起こして死体の加工が明るみに出たら、彼らは確実に日本から排除される。チャイナタウンから直接木箱を運ぶことなど、多分、今までは避けていたはずだ。それなのに、なぜ今回に限って……? しかも、非合法の商売を、こうして探偵にバラす結果になるのに……」
「何を言っているんだ……?」
沖は、考え込んでいた。
「遥さんが依頼したとしても、たとえ大金を積んだとしても、彼らが従うはずはないんだ……。従うように強制できる強い権力が介在しなければ、チャイニーズマフィアに命令を聞かせられるはずはない……。この事件の裏には、別の力――はるかに強力な権力が働いている……。それは、一体、何だ……?」
高橋が沖を見る。
「別の力……」
沖は高橋を見返した。
「知ってるんだな?」
「いや、僕は何も……だって全部、僕1人でやったことなんだから……」
沖はしばらく考え込み、唐突に話題を変えた。
「そもそも、君はなぜ二つも部屋を持っている? 片方の安アパートには趣味のフィギュアやアニメ本がぎっしりで、こっちのマンションはまるで小綺麗なモデルルームだ。とても同じ人間が暮らしているとは思えない」
高橋は、不意を突かれてうろたえた。
「だ、だってここは、フェアリーコンバットのためだけに借りた部屋だから……」
「この辺りの家賃は知っている。これだけ高価な部屋を借りられるほどの収入があるなら、なぜ簡単に忍び込める安アパートに大事なお宝を保管している? セキュリティーが万全なこっちの部屋に置くのが自然じゃないか。ここを借りている金は、一体どこから得ている?」
「え? お金……? あ、それ、それは人殺しの代償だから。だって僕は殺人鬼で、その死体を売ってるんだから。ほ、ほら、ファイルあったでしょう? あのリスト、人殺しの準備だから――」
沖は不意に口調を荒げる。
「凪も殺したのか⁉」
「え?」
「俺の娘も殺したのか⁉」
「あ……それは……」
沖は高橋の表情を測る。
「少なくとも、君は殺してはいないようだな。少しは安心した。で、死体を売ってると言ったね。誰に?」
高橋はしどろもどろになっていた。
「誰って……死体を売ってるから、銀行に振り込みがあって、通帳だってある。こないだだって1000万円振り込まれてたし、だからこのマンションだって借りられるし――」
「だから誰に売っているんだ⁉」
「誰って……」
「売ってる相手すら知らないのか? そんなバカな話があるか!」
「だって、トランクルームに置いてくるだけだし……」
「遥さんがそのルートを作ったからこそ、可能なことなんだろう? 死体の行き先は、クリーニング工場だな」
と、高橋の視線が廊下に向かった。
沖もそれを追って、首をひねる。
背後に、佐藤が立っていた。気配を完全に消していた。
高橋がすがるようにつぶやく。
「佐藤さん……」
沖がつぶやく。
「誰だ――って聞くのは、間抜けすぎるな……。あんたが黒幕か。この部屋、盗聴器でも仕掛けてあるんだろう? 当然、合鍵も持ってるよな。だが、なぜ姿を見せた? 黒幕っていうのは、最後まで隠れているもんだろう?」
佐藤は沖の横に立ち、冷たく見下ろす。
「無論、来るつもりはなかった。来ないで済ませられるはずだった」
「じゃあ、なぜ?」
「君は有能すぎだ。中途半端なお利口さんは、喋りすぎて困る。一度、手痛い失敗をしてるくせにな。もう少し知恵が回れば、世の中には触れちゃいけない闇があることぐらい理解できるだろうに……」
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