第7章・真相
25・高橋翔太
部屋は、獣じみた悲鳴で満たされていた。
瀕死の猛獣のような叫びを絞り出したのは、顔を上げて固く目を瞑っていた高橋だった。
それでも、体重をかけて遥の気管を潰している指先を緩めようとはしない。
その手の下で、遥の生命が消えていく。バタつかせていた足が、細かい痙攣に変わり、そして間欠的な弱い蹴りになる。弛緩した股間から、わずかな尿が漏れて広がる。
沖は、その高橋をじっと見ていた。もう、呻きを漏らしてはいない。
遥が殺された――。
自分の目の前で――。
それは、高橋の狂気に力を合わせて抗った者としての、決定的な敗北だったはずだ。
高橋が、狂気に囚われているのなら――。
沖は呆然と高橋の表情を見つめた。
そこに、狂気はなかった。
歪んだ欲望を満たした喜びや、念願を成就させた達成感などは微塵も感じられない。沖が高橋に姿に見出したのは、悲しみだけだ。
明らかに、高橋は苦しんでいた。
苦しみながら、それでも遥の命を奪うことをやめなかったのだ。
まるで、女王から課せられた運命を呪いながら、それでも重荷を背負い続ける騎士のように……。
沖は、探偵としての観察眼に多少の自負を持っている。高橋の涙は、これまで考えていた事件の構図が全て真逆だったことを告げている。
沖は自分が間違っていたことを唐突に理解した。
高橋は、遥の死を望んでいなかったのだ。
望んでいたのは、遥自身だ。
高橋は、自分の力では死ぬことができなかった遥に代わって、自らを殺人犯に貶めたのだ。
遥を愛しているがゆえに……。
だから遥は抵抗しなかったのだ。死を受け入れるように微笑んでいられたのだ。
念願を成就させたのは、遥だ。
高橋の姿が、真実を物語っていた。
高橋は微塵も動かずにいた。
天井を見上げて叫ぶように、しかしその喉からはもはや声は漏れてこない。命を失った遥の喉を締める力を少しも緩めずに、しかし胸元が嗚咽で痙攣する。涙が、頬を伝う。
そのまま、何分が過ぎただろうか。
高橋は不意に思いついたように、遥の死体に覆いかぶさった。きつく抱きしめ、喉元に顔を埋める。
ようやくつぶやく。
「遥……」
その意識からは、沖の存在は消え去っているようだった。
沖は、あえて体を大きく振って鎖を揺らした。
高橋が音に気づき、ようやく沖を見つめる。そして、体を起こした。
急に引きつった笑みを浮かべて、沖に食ってかかる。
「何だよ! 遥ちゃんはようやく僕だけのモノになったんだ! 抱きしめちゃいけないのかよ!」
沖は、静かに高橋を見返していた。
高橋は、明らかに狂気を〝演じて〟いる。沖の冷静な視線に気づいたのか、さらに声を張り上げる。
「そうだよ、僕はイカれてんだよ! ここにいるみんなをぶっ殺して、遥ちゃんまでぶっ殺しちゃったんだ! 何か文句があるのかよ⁉」
叫びながらも、とめどなく涙を流す。
そして、立ち上がると沖に歩み寄り、乱暴に口のガムテープを剥がす。
「何か言いたいのかよ⁉」
沖の言葉は、やはり冷静だった。
「本当は殺したくなかったんだろう?」
高橋の目に、驚きと狼狽が吹き出す。
「ば、ばかな……今、見ただろう? 僕が遥ちゃんを殺すの。見ろよ、遥ちゃん、死んじゃったんだぞ。僕が殺したんだ。たった、今!」
「それは見た。だが、君が心から苦しんでいることも、こうして見ている。殺したくなんかなかったんだろう?」
高橋は沖から目を背けて叫ぶ。
「何でそんなこと言うんだよ! 僕は狂ってるんだ! 殺人鬼なんだよ!」
「君がそう信じ込ませたがっていることは分かった。だが、なぜだ?」
高橋は沖に向かって叫ぶ。
「遥ちゃんに盗聴器だって仕掛けてたんだろう? だったら、遥ちゃんが怯えていたのだって聞いてたはずじゃないか!」
「聞いたよ。だから罠かもしれないと疑っていても駆けつけた」
「ほらみろ! どこがおかしいんだよ⁉」
「2人で芝居をしていたんだろう? 俺に聞かせるために」
「何バカなこと言ってるんだよ!」そして、ステージの人体フィギュアを指差す。「みんな僕が殺したんだ。レモンもスミレもミントもローズも、僕が殺したんだ。みんな死体なんだぞ! 人間だったんだぞ! だから遥ちゃんも殺したんだ。遥ちゃんはサクラになるんだ。サクラにするために、僕が殺したんだ。何がおかしいんだよ⁉ 僕は、狂ってるんだよ!」
沖は涙をためて必死に訴える高橋を優しく見返す。
「つまり、君が全員を殺したわけじゃないってことだね。だったら、誰が殺した? なあ、何があった? 君は何でこんなことをしている? 全部俺に話してくれないか? なぜ君が、その罪を被ろうとする?」
高橋が再び顔を背ける。
「何言ってんだよ! 僕が殺したって言ってるじゃないか⁉」そして、不意に思い出したようにポケットからスマホを取り出す。「証拠だってあるんだ!」
高橋は震える手でスマホを操作する。興奮して手間取っているようだ。
沖が言った。
「証拠? 何の証拠だ?」
高橋は操作を続けながら呻く。
「僕が遥ちゃんを襲った証拠だよ……これだ! ほら、これ、聞けよ!」
音声データを再生して、スマホを沖に突きつける。流れたのは、緊迫した悲鳴だ。音は鮮明で、遥の声だとはっきり分かる。
『あなた……誰⁉』
『遥ちゃん……僕だよ。君を救いにきたんだよ。君だって、分かってるはずじゃないか……?』
『あなた……高橋さん? 嫌よ! 出てって!』
高橋は再生を止めて引きつった笑みを浮かべる。
「ほら、これが証拠だ。僕は遥ちゃんの家に押し入って拉致しようとしたんだよ」
沖が首をかしげる。
「バットで反撃された時か?」
「知ってるのかよ。そうだよ、僕はバットで殴られた」そして、Tシャツの肩を捲り上げて内出血の跡を突き出す。「ほら、ここだ! 思い切り殴られたから、こんなになっちゃったんだ! だからあの時は遥ちゃんに逃げられた。でも、行き先はどうせネットカフェだろうって思って、見張ってたんだ。インスタで何度も見てたから、きっとあそこだと思ったんだ。案の定、夜明け前に出てきた。だから、人気のないところで襲ってここに連れてきたんだ。ケタミンっていう麻薬まで使ったんだ。分かったか⁉ 遥ちゃんを襲ったのは僕なんだよ! ここで殺してローズにするために襲ったんだよ!」
沖は動じない。
「その録音、どこで手に入れた?」
「どこって……遥ちゃんの家の壁に盗聴器を貼り付けて、近くのアパートを借りて受信してたんだ。そのデータだ」
「盗聴器の有無は調べた。そんな電波を出すものはなかった」
「仕掛けたのはその後だ。何もおかしくないだろう?」
沖は遥の家の状況と時系列の記憶を頭の中で整理した。その結論は、今の高橋のうろたえように合致する。
「いや、おかしいね。壁に盗聴器って、コンクリートマイクのことだろう? あの家は古い木造だ。改装して断熱材の層を付け足してあるから、コンクリートマイクでは壁の振動が弱くて捉えにくい。内部の構造を詳しく調べて、振動を伝えやすい場所を特定しないと、そんなにクリアな録音は不可能だ。実際にいろんな場所で取り付けて実験を繰り返す必要がある」
高橋があからさまな狼狽を見せる。
「そ、それは……何度も試したんだよ!」
「一軒家の庭に何度も忍び込んだのか? 盗聴器がないことを確認したのは、つい一昨日のことだ。しかも夜は俺が泊まり込んで警戒していた。なのに、何の物音にも気づかなかったと? じゃあなかったら、真昼間に庭に忍び込んだのか? どっちにしたって不自然だろうが。そもそも、君が遥さんを付け狙っていたなら、なぜもっと早くから盗聴していない? まるで、俺が盗聴をチェックしたのを知ってから仕掛けたみたいじゃないか。しかも、そのためだけにアパートを借りたのか?」
高橋は少し身を引いてから、またまくし立てる。
「そんなの、ただの偶然だ! それまではローズのことで忙しかったから、仕掛けるのが遅くなっただけだ! お金ならたんまり持ってるから、アパート借りるのだって簡単だし。何もおかしくはないじゃないか!」
「何よりおかしいのは、君がそんなにムキになってることだ。連続殺人犯が、どうして自分が犯人だって主張する? 本当に狂っている人間が、どうして自分が狂っていると認めるんだ? 捕まって死刑になりたいなら、コソコソ隠れる必要もない」
「まだ5人揃ってないからだよ! フェアリーコンバットを完成させるのが目的なんだ!」
「だったら、なぜここで言い訳しているんだ? さっさと俺を殺せばいいじゃないか」
「それは……僕が殺すのはフェアリーコンバットだけだ! あんたの死体なんて、何の役にも立たないじゃないか!」
「だが、俺を殺せば時間が稼げる。こうして身動きできないんだから、殺すのは簡単だしな。あの連中に金を払えば、死体もすぐに片付けてくれる。なのに、俺を生かしておく理由は何なんだ?」
「理由なんて……」
高橋は言葉に詰まった。
代わって、沖が断定する。
「理由は一つ。君が誰かをかばっているからだ」
「それこそ言いがかりだ!」
「君がかばう人物は、ただ1人……遥さん以外にない」
「何をふざけたことを言ってんだよ!」
「そもそも、何でそんな録音を持ち歩いている? 俺に聞かせるために準備していたんじゃないのか? この連続殺人を始めたのは遥さんじゃないのか? 君はその罪を被ろうとしている。違うのか⁉」
高橋は駄々をこねる幼稚園児のように泣き叫んだ。
「そんなはずはないだろうが! だって遥ちゃんは、僕がここで殺したんだから!」
「その通り。遥さんは君に殺されるために――」
と、沖は突然言葉を失った。
高橋がつぶやく。
「な、なんだよ……」
だが沖は、その高橋を見ようとはしなかった。突然重大な何かに気づいたかのように、ぽっかりと口を開いたままだ。そして、つぶやく。
「まさか……」
「殺したのは僕だ! 悪いのは僕なんだ!」
「そんな……だが、他に考えようはない……」
沖は、絶句した。
高橋も、沖の不審な態度に気づく。
「分かってくれた? 僕が犯人だっていうこと」
沖は、ぼんやりと高橋を見つめる。
「君のアパートのファイルには、凪のページがあった……あのファイル、どこで手に入れた? 君は、どこで凪に会った?」
「は? どこ、って……」
「言えないんだろうな。多分君は、凪には会ったことがない。ファイルを見ただけだ。だったら、あのファイルが誰が作った? 誰なら作れる? そんなこと、決まってるじゃないか……分かりきったことだったんだ……」
高橋がぼんやりと沖を見つめる。
「あんた……何言ってるんだ……?」
「そもそもの始まりから、多分、凪は遥さんに会っていたんだ。そしておそらく、父親は探偵だと話している。だから遥さんは俺を呼び寄せるような手がかりをわざとスマホの中に残し、次第に君の元に誘導していったんだ……。俺は最初から、この事件の上っ面を目撃する人物として選ばれ、深みに引き摺り込まれたんだ……。事件の真相は、全く別のところにあったんだ……。全ては、遥さんの企みだったんだな……」
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