23・小田切遥

 沖は言った。

「動けないのか……?」

 遥がかすれた声を絞り出す。

「クスリ……飲まされたのかも……」 

 高橋が遥を見下ろして微笑む。

「嫌だな、遥ちゃん……僕が遥ちゃんにそんなことするはずがないじゃないか……」

 沖は叫んだ。

「何をした⁉」

 高橋が沖をにらむ。

「あんた、うるさいんだよ。僕と遥ちゃんの間に勝手に割り込んできやがって――」

 素早く動くと傍の道具箱を開いて布製のガムテープを取り出すと、沖の口に貼り付ける。

 遥がつぶやく。

「やめて……沖さんには何もしないで……」

 高橋が遥の元に戻る。

「何もしないよ。ちょっと黙っていてもらうだけだって」

 そして再び道具箱から釘抜きと木槌を取り出して、台車のロックをかけると木箱の側面を外し始める。

 呻くことしかできない沖と遥の激しい息遣いの中に、釘抜きを叩き込む音が響く。釘が緩んで、軋む音が部屋を満たす。それを数回繰り返すと、木箱の蓋が外れてばったり倒れた。コーン菓子のような緩衝材の発泡スチロールがどっと流れ出して床に広がる。

 木箱の中には透明なビニールで包まれた〝人形〟が閉じ込められていた。遥と同様に、全裸でスキンヘッドだ。ステージに置かれたコンバットローズの小さなフィギュアと同じポーズを取らされているようだ。

 沖が息を呑む。そして、箱の奥の〝人形〟の顔を凝視する。

 その気配に高橋が気づく。

「あ、凪ちゃんだと思った? 残念、あの子のファイルはよく見たんだけど、ローズの雰囲気にはちょっと合わないから。あ、可愛くないわけじゃないんだよ。ローズはさ、知的な戦略家で、ツンデレ担当だからね。凪ちゃんだと、表情が優しすぎるし、ビジュアルが合わないんだ。でも、最後まで候補には残っていたんだよ。凪ちゃん、本当に可愛いからね」

 沖の呻き声が高まる。

 高橋はそれを無視して木箱から〝人形〟を抱えるように取り出す。それを床に置くと、さらに箱の奥を探る。

「あ、あった! サクラ、寂しかったよ!」

 かがんだ高橋が取り出したのは、汚れたガラスケースに入った身長30センチほどのフィギュアだった。コンバット・サクラ――沖が昨夜、クリーニング工場の地下で発見したサイン入りのレアフィギュアだ。

 高橋はケースからフィギュアを出すと、愛おしげに抱きしめた。そして、そっとステージのコンバット・ローズのフィギュアの隣に置く。

 振り返った高橋は、その姿をじっと見つめていた遥に言った。

「遥ちゃんが作ってくれたローズのコスチュームはここにあるし、ローズも届いた。あとはサクラだけだね。遥ちゃん……楽しみだね。でも、ローズを仕上げるが先だよね」

 遥は見開いた目を高橋に向けた。恐怖というより、驚きの表情に近い。高橋の狂気に、言葉を失っているようだ。

 高橋はコンバット・ローズの小さなフィギュアを大事そうに傍に寄せて、スペースを開ける。木箱の近くに戻ると、〝人形〟のビニールを取り除く。

 全身があらわになったプラスティネーションの人体は、まるで息をしているかのように生々しい。だが、台座から伸びたパイプは〝人体フィギュア〟の背中に突き刺さって、その重量を支えている。両足は宙に浮く形になっている。

 それは、空中に飛び出しながら変身するレアフィギュアと全く同じポーズだった。

 高橋はうっとりとそれを見つめてから、パイプつかんで太ももを抱えた。重そうにステージに運んでいく。

 次にステージの端から手提げの紙袋を持ち出し、中身を出す。

 赤が基調になったローズの衣装だ。

 高橋はそのコスチュームを広げ、前からかぶせて後ろで止めた。赤髪のウィッグをかぶせ、左右の腕にオペラグローブをはめていく。さらに、神に叩頭くようにしゃがみこみ、短いブーツを履かせていった。

 全てが終わると、レアフィギュアを近くに戻し、少し下がって二つを見比べる。

「本当にそっくりだ……ポーズも衣装も、完璧だよ……。いつも思うんだけど、遥ちゃんって、天才だよね。見た目だけじゃなくて、彼女たちの内面まで衣装で表現しちゃうんだから。僕も、期待に応えなくちゃね。遥ちゃん……いや、サクラ……君が最後だよ。君がこの真ん中に立つんだ。遥ちゃんの望みが叶う時がやってきたんだ。遥ちゃんがフェアリーコンバットを完成させるんだよ」

 遥は、何も応えられない。

 高橋は仰向けに横たわったまま動けない遥を見下ろし、ゆっくりとその上に覆いかぶさっていった。両手を遥の首に回し、つぶやく。

「遥……好きだよ……」

 そして、腰を浮かせて腕に体重をかけていく。

 遥は目を瞑った。目尻にわずかな涙が溢れる。

 だが、抵抗はしなかった。まるで、人生の全てを諦め、死を穏やかに受け入れようとしているかのように……。

 マンションの一室を、苦悶の呻き声が満たした。

 沖はしばらくしてから、叫んだのが自分自身だったことに気づいた。

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