第3章・特定

9・高橋翔太

 なぜ、自分の居場所が分かったのか、理解できなかった。しかも、名前も告げない相手は、高橋の素性や行動の全てを知っていた。

 少女の命を奪ったことも……。

『このマンションの管理組合の者なんですが……』というインターホンでドアを開けると、男は戸口につま先を挟んでささやいた。

「君が少女を殺したことは分かっている」

 その一言だけで、高橋は思い知った。逆らうことなどできない。

 相手は、何もかも知っている。文字通り、何もかも。自分が何をしているのか、なぜしているのか……。

 逃げることはできないと、その一瞬で覚悟を決めた。

 高橋は高そうなスーツを隙なく着込んだスキンヘッドの男を部屋に招き入れるしかなかった。

 最初は刑事なのかと覚悟した。だが、手帳や令状を出す気配はない。そもそも、警察らしい雰囲気はどこにも感じられなかった。

 いったん中に入った男は、平然と奥に踏み込んで行く。〝フィギュアの間〟を開け、ステージを見てつぶやく。

「こんなものを作るために……」

 男を追ってきた高橋は、その背中に怒りのこもった言葉を叩きつける。

「バカにするな! こんなものなんかじゃない! 彼女たちは本当のフェアリーコンバットだ! アニメファンの理想だ!」

 振り返った男が高橋を見下ろして鼻で笑う。

「アニメファンの理想、か。つくづく困ったものだ……」

「あんた、誰なんだよ⁉」

 男は言った。

「もちろん警察には通報しない。金も出そう。その代わり、今後は全て私の指示に従え」

 高橋はぽっかりと口を開いてから、つぶやく。

「何だよ、それ……」

「金を出すから、従え」

「金って、いくら……?」

「まずは1000万円」

 高橋が一瞬息を呑む。

「そんな大金……?」

「必要なら、まだ出せる」

 高橋にとっては意外すぎる提案だった。

「なぜ?」

「何も聞かないことが条件だ」

 常識にはなじまない思考回路を持つ高橋にも、その提案の異常さは理解できる。そして、異常さを生む背景も理解できる。誰がそんな金を支払うのか、分かりきったことだ。

 しかし、確かめたいという欲望も抑えられない。

「誰の命令だ……?」

 男は無表情に、イントネーションまでそのままに繰り返す。

「何も聞かないことが条件だ」

 それでも聞きたいことはある。

「あんた、名前は?」

「知る必要があるのか?」

「まだ会うこともあるんだろう? 不便じゃないか」

「佐藤と呼べ」

「呼べ?」

「気に入らなければ、鈴木でも田中でも構わんが?」

 高橋は呆れたようなため息をもらす。

 だが、自分が捕らえられることはなさそうだと分かって、わずかな余裕も生まれていた。少なくとも、佐藤は殺人を止めようとはしないようだ。同類なのかもしれないとさえ思える。

「なぜ、金をくれる?」

 そこは秘密にこだわる気はないようだ。

「まあ、それぐらいは教えておくべきかもしれないな」

「大金、だからね」

「君に勝手な真似をされては迷惑だからだ。今後も必要な資金には困らないようにする。だから、活動資金を得るために危険は犯すな。今のところ、殺人は公になっていない。このまま平穏に事態を収束させるのが私の望みだ。だから、全面的に協力したまえ」

「分かったよ……あんたは何もかも知ってるみたいだからね」

「もちろんだ」

「だけど、誰かに金の出所を聞かれたら、何て答えればいい?」

「金があることを知られるな」

「それでも、知られちゃったら? 不可抗力って、あるじゃない」

「フィギュアとやらの取引で収入はあるのだろう? 時に大金が入ることもあるようじゃないか」

 高橋は自分の生活がそこまで調べられていることに背筋を寒くした。佐藤という男の情報収集能力は並ではない。

「そこまで……。あんた、アニメの設定にありがちな〝悪の秘密結社〟みたいだな……」

 佐藤が、人間らしい薄笑いを浮かべる。

「アニメ扱いしたければ、それでも構わない」

「だけど、そんな割がいい取引なんて滅多にないから。まとまったお金が入ったときは、すぐレアグッズに投資しちゃうし。普段は生活するだけで精一杯だよ。だからやっぱり、大金を持ってるのは疑われる」

「だから、知られるな」

「あんたが調べられたんなら、他の誰かだってできるかも、じゃない? 『いかがわしいお金だ』って追求されたらどうするのさ」

「それは、まずあり得ない」

「信用できない」

 佐藤がしばらく考える。

「疑い深いな……。可能性は極めて低いが……まさかとは思うが、確かにあいつなら、そんなバカもやりかねんか……」

「え? あいつって、誰?」

「君にはまだ関係ない」

「まだ?」

「いずれは顔を合わせることになるかもしれないがな」

「誰なんだよ……」

「探偵だよ。家出した娘を探している。仮に奴がやってくるなら、多分君が殺人を犯していることも疑っている。所詮、私や君と同類のはぐれ者だから、警察には何も話していないはずだ。違法な方法での調査もしているだろうからな。『金は人殺しの代償だ』と教えてやればいい」

「バカ正直にバラすのかよ⁉ 警察に駆け込んだらどうするんだ!」

「そいつの目的は君を裁くことじゃない」ステージに目をやる。「ただ、この人形は見せないほうが――いや、そうじゃないな……。この部屋に外から鍵をかけられるようにしておけ。中に入れて、閉じ込めるんだ」

「あんたみたいにズカズカ入り込んでくるっていうのか⁉」

「来る。あいつが疑念を抱いたなら、必ずこの部屋に娘が匿われていないかどうかを確認する。君を殴ってでもこの部屋の中まで入る」

「閉じ込めたって、その先どうするんだよ⁉ こんなドア、その気になったら破れるんじゃないか?」

「窓がないから出口はドアしかない。1人でできる範囲で補強しておけ。業者は頼むな。閉じ込めたら、ドア越しに話をして時間を稼げ。そして連絡しろ」

「どうやって?」

「後で番号を知らせる。その番号に出る人物は、私の代理人だ。『闇ビジネスを嗅ぎ回っている奴がいる』と言え。金の出所を探ってる相手の特徴を教えろ。すぐに駆けつけるよう手配しておく。そして彼らが去ったら、全て忘れろ」

「殺すのか?」

「私は殺さない」

「でも、誰かがやるんだろう?」

「少女を殺した男が気にする事柄か? あれこれ探り回る人物は、敵を作りやすいというだけのことだ」

「本気で秘密結社だな……。あんた、実際、何者なんだよ」

「君が知る必要はない。これで話はおしまいだ」

「いや、待って。僕にも条件がある」

「君は条件を出せる立場にはない」

 高橋は危険を覚悟で、佐藤の背後にいる人物を確認したかった。

 殺人を犯したのだから処罰は覚悟している。だが、まだフェアリーコンバットは完成していない。〝女神〟から託された役目は終わっていない。何より、高橋は〝女神〟に危険が及ぶことを避けたかった。非力でも〝女神〟を守る騎士になりたかった。

 やり遂げるまでは、誰にも邪魔されたくない。

 佐藤は、警察にも知らせず、殺人を止めることもなく、それどころか資金まで提供すると言う。高橋にとって都合が良すぎる。何もかもが常識を破る展開だ。

 鵜呑みにするわけにはいかない。何らかの罠かもしれないのだ。

 自分が置かれている状況を明確にしたかった。心に誓った〝聖なるミッション〟を果たすための最低限の条件だ。

「それなら指示には従えない、と言ったら?」

「死んでもらう」

 高橋にはその答えが予測できていた。

「〝悪の秘密結社〟だもんな。でも、すぐに殺せない理由があるから、大金まで出すんだろう?」

 佐藤は表情を変えない。

「条件を聞こう」

「あんたのボスと話がしたい」

「なぜ?」

「〝黒幕〟の声を聞くぐらいの権利はあってもいいだろう? それ以上は望まない」

「待て。確認する」

 そして佐藤は、隣の部屋へ移動する。

 しばらくして戻った佐藤は、スマホを差し出した。

「盗聴は防止しているから普通に話せる」

「盗聴防止って、そこまでしてるのか……まさにCIA並みの秘密結社だな」

 スマホを受け取った高橋は、すべての統率者だと思われる〝黒幕〟と言葉を交わした。


     ✳︎


 高橋はスーパーマーケットの一角に設置されたATMが吐き出した通帳を確認して、驚愕のつぶやきを漏らした。

「本当に1000万円だよ……。マジだったのか……」

 通帳には、細かい入金が何行にもわたって記載されていた。全てコンビニATMからの入金で、最大でも50万円だ。ATMの場所も、振込人の名義も全て違うようだった。明らかに、振込人の素性を知られないための〝秘密工作〟だ。

 ATMの前で立ち尽くした高橋に、背後に立った中年女が苛立った声をかける。

「お兄ちゃん、終わったんなら場所空けてくんない。次、待ってるんだけど」

 我に返って振り向いた高橋は、済まなそうにつぶやいてその場を去った。

「あ、ごめんなさい」

 背後で、太った中年女がわざとらしく独り言を漏らした。

「全く、近頃の若いのったら……」

 スーパーを出ると、高橋もまた独り言を吐き捨てる。

「ババアにお兄ちゃん呼ばわりされるほど腐っちゃいねえよ。それにしても、1000万円か……。ま、あそこまでやれる相手なら、こんなもんは端金なのかな。ありがたく派手に浪費させてもらおうじゃん」

 そして高橋は、ドアを補強する材料と護身用のスタンガンを仕入れるために、大型ホームセンターへ向かった。

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