8・岩本新一

 岩本は、人払いをした社長室で専用スマホを取った。やや苛立ちをにじませる。

「対処はすでに一任したはずだが?」

 佐藤は冷静に答えた。 

『不確定要素が増大して状況が予想を超えるスピードで変化しています。根本的な方針変更が必要かもしれません。どちらのプランを取るかだけは、判断していただきたい』

 そして佐藤は、新たに判明した状況を詳細に説明した。

 すでに死体は、数体に及んでいると言うのだ。今のところ、事件として表面化はしていないものの、もはや〝発作〟を抑え込むだけでは揉み消せない恐れが高まっている。被害者の家族らから捜査機関に対して何の働きかけもされていないらしいことが、逆に予測を難しくする要素ともなっている。

 いったん情報が明るみになれば、連続殺人事件として爆発的な注目を集めることは避けられない。

 佐藤は、そのリスクを封じるために死体の素性を洗い出し、関係者を沈黙させることを優先させたいと言う。しかも、中国系のイリーガルな組織――いわゆるチャイニーズマフィア が背後で暗躍していることも確認できている。その組織が〝殺人者〟の背後関係を察知して恫喝行為に出てくる危険も孕んでいる。

 チャイニーズマフィアの役割を解明するまでは、どう収拾させるかの方向を定めるのが困難だというのだ。ただし、そのためにはもう少し時間をかけて慎重に調査を進める必要がある。

 状況によっては、マフィアとの取引が必要かもしれない。相手が引かなければ、抗争に発展するかもしれない。〝殺人者〟を取り込み、その身分を偽装する必要も生じるだろう。早まって〝殺人者〟を消去してしまえば、状況の変化への対応力が弱まる。

〝殺人者〟を即時消去するか、管理下において〝手駒〟として温存するかを決めろと言う要求だった。

 佐藤自身は温存策を勧めている。

 岩本にも不服はない。

 佐藤は言った。

『隣の部屋に高橋を待たせてあります』

「そこにいるのか⁉ 奴に姿を晒したのか⁉ 直接コンタクトするとは聞いていない!」

『お話ししていないことは他にもたくさんあります。そういう契約ですから』

「だからといって……」

 岩本は反論することができなかった。

『彼の口座に1000万円振り込みます。金さえあれば、とりあえず部屋にこもっていられます。事件が発覚するような行動は防げるでしょうから』

「近くにいるんだな?」

『直接話がしたいと言っていますが?』

「必要があるのか?」

『取引の条件です。あなたと話した上で金の振り込みが確認できれば、私の指示に無条件に従うということです』

「嘘は言っていないと思うか?」

『裏切りは許しません』

「よかろう」

 佐藤が部屋を移動する気配があり、二言三言交わしてから相手が代わる。

 相手の声は他人行儀だ。

『高橋です……電話、代わりました……』

 岩本が面倒くさそうに答える。

「話は聞いた。金は振り込む」

『いいんですか、そんな大金……』

「不足なら、言ってくれ」

『そうじゃなくて、何でそれほどまでの大金を……?』

「資金が不足して、妙なところから調達されては危険だからだ。安心して使うがいい」

『佐藤さんと同じ答え、ですね……。佐藤さんって、何をしている人なんですか?』

「佐藤のことは詮索するな」

『でも、「命令に従え」っていう以上は知っておきたいじゃないですか……』

「知れば、お前はもっと危険な立場に置かれるが?」

『何ですか、それ……』

「お前には逆らえない理由があるのだろう?」

『そりゃあそうだけど……。だから余計に、何をさせられるのか知りたいんですって』

「目をつぶった上に金まで渡すんだから、それぐらいの協力はしろ」

『それって、どんな種類の金なんですか? 買収ですか? 脅迫の布石ですか? それとも罠ですか?』

「与える価値があると思うから、与えているまでだ。だから、条件を満たせ」

『それですよ。その条件が知りたいんですって……。日本から消えろとか、〝趣味〟には使うなとか……ですか?』

「そうではない。使い道は自由だ。佐藤から聞いているだろう?」

『僕にとっては馬鹿馬鹿しいぐらい都合がいい話だから、黒幕から直接説明してほしいんです。人殺しをしているのに、良すぎます。こんな話って、普通なら裏があるんじゃないかって疑って当然でしょう?』

「私には実業家としての立場がある。それだけだ。だから、くれぐれも私には迷惑をかけるな。詳細は、佐藤から聞け。そして、従え」

 そして再び、相手が代わる。電話を奪い取ったらしい。

『佐藤です』

「返事はしなくていい。分かっているとは思うが、金は好きにさせて構わない。だが、監視は強化しろ。今度は絶対に変化を見逃すな。余計な詮索も許すな」そして、ぐっと声を落とす。「最終的な処置も、君に任せる。恥ずかしながら、君の仕事には口を出すなと〝彼ら〟から釘を刺されてしまったよ。今後は可能な限り私には連絡を取らせないように。そいつと私は赤の他人だ。間違いのないように」

 そして一方的に通話を切る。

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