15・小田切遥

 玄関の鍵を開けるなり血相を変えて飛び込んできた沖に、遥は目を丸くした。

「早かったんですね……」

 沖はずんずんと作業場に入ると遥に命じた。

「ファイヤーテレビをつなげて!」

 遥は言われるままに、リモコンを操作する。

 その間に沖はiPhoneを出してソフトを起動すると、ブルートゥースで接続する。モニターの大画面に最初に映し出されたのは、どこかのイベント会場の風景だった。参加者が記念で取った集合写真のようだ。

 沖は、遥の近くにいた男を指差す。

「この男、誰だか分かりますか⁉」

 遥がモニターに顔を近づける。

「このイベントは……ああ、『コミ吉』――あ、アニメショップの名前ですけど、そこの会場ですね。私が呼ばれたのは1年以上前で……」

「この男、知ってますか?」

「誰だったかな……紹介された気がするけど……」

「部屋の中はフィギュアでいっぱいでした」

「部屋に入れてもらったなら、誰だか分かるんじゃ――忍び込んだんですか⁉」

「大丈夫。痕跡は残していません。場末の探偵とはいえ、それなりの経験は積んでいますから」

 遥が呆れたようにつぶやく。

「そうじゃなくて……」

「法には反しますが、緊急事態ですから。コンビニでコスプレ衣装を受け取った男です。あなたを付け狙うストーカーなんですよ。素性、調べられませんか?」

「フィギュアファンなら……ああ、高田さんだか高橋さんだかって言ったかな。レアフィギュアの収集家で、その仲間では有名だって言われたような……」

「それなら調べられますね。会ったのはその時だけ?」

「そうです。その時だって、世間話を二言三言交わしただけだったと思いますけど――」

 遥は、沖の思いつめた表情に口をつぐんだ。

 沖が次の写真を表示させる。

「こんなファイルを持っていました」

 少女の写真がアップになる。

 遥が声をあげた。

「さつきちゃん!」

「知ってるんですか⁉」

「私のファンだって言って、都内のイベントにはよく来てくれるんです。あんまり熱心なんで、一度この仕事場を見せてあげたこともあります。何なんです、このファイル⁉」

「分かりません。でも、少女の写真が7人分ありました。その中に凪も入っているんです」

 遥が両手で口を覆う。

「凪ちゃんまで……⁉」

「あいつが何のためにこんなファイルを作っているのかは分かりません。でも、犯罪絡みでなければこんなものは必要ないでしょう。まるで、標的の素行調査のようです。凪が狙われている……あるいはすでに犠牲になっているかもしれない。何とか、探し出さないと」そしてメールのファイルを表示する。「写真には、こんなメール履歴が添えられていました」

 遥がさらに顔を近づけて読む。

「『助けてください。死にたいんです』――って、これ、自殺願望丸出しじゃないですか!」

「まだざっとしか読んでいませんけど、みんなそんな感じのメールのやり取りのようです。メールの相手は最初は自殺を思い止まらせようとしているみたいなんですけど、最後は同情して会う約束を取り付けているようです」

 遥は左の手首に右手を添え、怯えたようにつぶやく。

「女の子って、多いんですよね、そういうの……。家族に疎まれたり、学校でいじめられたり、そうじゃなくても思春期は気持ちが不安定になるし……」

 沖は少し落ち着きを取り戻して言った。

「すみません、こんなものをお見せして。でも、あなたが言う通りのようです。学校で教師からも無視されてるとか、父親に犯されたとか、そんな深刻な話がちらほら見えます。みんな、〝同じ苦しみを持つお姉さん〟へ助けを求める感じでメールしているようなんです。救いが欲しかったんでしょう」

「でも、ファイル持ってたのって、この男ですよね?」

「ネットじゃ、性別を偽るのは簡単なんでしょう?」

「確かに。ゲームの世界でもネカマとか珍しくないですからね」

「何かのきっかけで自殺願望のある少女を引きつけ、同性だと偽って安心させる。そして実際に会い、その先は――」

「どうするんでしょう……」

「監禁してペット扱いしているかもしれない。拉致した少女を何年も閉じ込めていたとか、そんな事件は今じゃ誰も驚かなくなっています。この男がチャイナタウンと絡んでいるなら、どこかの国に売り飛ばされていることだってあるかもしれない」

「まさか……」

「許されない犯罪だと思うのが、普通の日本人の感覚です。でも、人身売買なんて海外じゃありふれたビジネスですからね。最悪、遊び半分で殺しているかもしれません。誘拐したところで、家族から無視されているような子供じゃ身代金も手に入れられないでしょうしね。親が虐待しているなら、消えたことさえ警察に知らせていないかもしれない……」

「そんな、冷たい言い方……だって、凪ちゃんだって……」

「それが現実なんですよ。私は探偵です。世の中の腐った部分をほじくり出すのが仕事のようなものです。人間はね、汚いんですよ。私自身も、汚い人間なんです」

「そんな……」

 沖は、涙をこらえているようだった。

「実は凪も、元嫁の相手から暴行を受けていたようです。私がだらしなくて離婚するしかなかった結果です。だから、どうしても助けたい。生きてさえいるなら……手が届くなら、何としても助けたい……」

 遥は何かを決心したように、沖のスマホを指差す。

「部屋の中も撮影してきたんでしょう? それ、私にも見せてください、私なら、何か気づくかもしれないし」

 沖がスマホを渡すと、遥は手慣れた操作で室内の写真を次々に表示していく。ベッドサイドのフェアリーコンバットに目を止める。

 沖が言った。

「何か?」

「これ多分、激レアフィギュアですね」

「台座の下にサインがありました。次の写真です」

 遥は写真を進めて、うなずいた。

「製作者でしょうね。そういえば、イベントで紹介された時、一点物の試作品を持ってるから今度見にきませんかとか言ってたかな……。でも、2体足りませんね」

「重要なことですか?」

「とっても。5人揃ってこそのフェアリーコンバットですから。ガラスケースが空のままだし。なんでわざわざ2体だけ外に出すんだろう?」

「売ってしまった、とか?」

「コレクターなら分割することはあり得ませんね。せっかく揃ってるものの価値を10分の1以下に落としますから」

「っていうことは……」

「何か重大な理由があって誰かに預けている、とか? そうだ、コンビニで受け取ったスミレの衣装は?」

「いったんこの部屋に入ってから、すぐ出て行ったんです。どこかに運んだようです。尾行もしたかったんですが、何より男の正体が知りたかったので部屋の捜索を優先しました」

「きっと、行った先に今まで作った衣装もあるんでしょうね……」

 そう言いながらも、遥は次々に写真を変えて行く。と、スマホを操作する指先が止まった。

「どうしました?」

 遥は画面を見つめる。そこには、たくさんのミニフィギュアがついたキーホルダーが写っていた。

「沖さん、中華街で襲われたんですよね……」

「はい。それが何か?」

「あの中華街、今みたいに大きくなる前は数件の料理店があるだけだったんです。韓国勢が大半を占めていましたから。古くからいるのは台湾から移住した人たちらしいですけど、そこにニューカマーっていう大陸の人たちが流れ込んできて、あんなに膨れ上がったそうです」

「はい?」

 遥は、話題の変化に戸惑っている沖を無視する。

「元からある料理店はお客を奪われないように、色々手を尽くしています。そこに写ってるキーホルダー、ちょっと雰囲気が違うでしょう? これって、地域に根付いているお店が協力してオリジナルで作ったものです。だからデザインとか色使いに中国っぽいテイストが滲み出てるんです。全部で5種類あるっていったかな、この写真、全部揃ってるみたいですね」

「それって……」

「この部屋の人、中華街の常連さんですね。有効期限が短いからなかなかスタンプが集まらなくて、手に入りにくいグッズですから。難しい分、フィギュアファンの間じゃ結構人気があるらしいですよ」

「あいつ、チャイナタウンへ通っていたのか……。なんか、話が繋がっちゃったようですね。もう一度、調べないといけませんね。特に、そこにあるクリーニング店は怪しいと思っていましたから」

 遥が沖を見つめる。

「殴られたんでしょう⁉ 危険です!」

「だが、凪がいるかもしれない」

「だからって……。もう、警察に行ったほうがいいんじゃないんですか? これだけ不審なことがあるんですから、沖さん1人じゃ……」

「他人の部屋に不法侵入して変なファイルを見つけました、って? 警察はそんな話を信用しないし、逆に信用すれば私が犯罪者として逮捕されます。入手方法が不正ですから証拠としても認められません。それでなくても、普段から煙たがられていますからね。もう、私1人でやるしかないんです」

「だって、凪ちゃんの命がかかってるかもしれないのに……」

「だから余計に、です。警察が大げさに動けば、奴も、もしくは奴らも警戒するでしょう。監禁しているなら、証言させないために殺してしまうかもしれない。背後にチャイニーズマフィアが絡んでいるとすれば、その恐れは考えすぎじゃ済まなくなります。はぐれも者の探偵が実の娘を探しているだけなら、そこまではしないでしょうから」

「1人で乗り込むんですか……?」

「当然。たっぷり殴られてますから、礼もしないとね」

 それは、明らかな強がりだった。しかし、沖の身を案ずる遥を安心させるためには、そうでも言う他はなかったのだ。

「そんな……」

「やるしかないでしょう。早い方がいい。深夜2時ぐらいにクリーニング店に侵入します。携帯が鳴ると困るんで、その時間帯は電源を落とします。電話がつながらなくなりますが、心配しないでください。あなたは夜が開けるまで絶対に家から出ないで、誰も入れないでください」

 遥は不安そうにうなずいた。

「分かりました……」

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