第5章・襲撃

17・高橋翔太

 遥を迎えに行く準備は入念に終えている。遥の家の近く、2車線の車道を挟んだ斜向かいの新築アパートの2階を借りて機材も揃えていた。

 アパートは150メートル以上離れ、間に街路樹も茂っているが、たまたま作業場の窓まで覗き見られる位置にあった。そこには超望遠レンズをセットしたカメラ、盗聴器の受信機などもセットされている。さらには、一時的に意識を失わせる麻酔薬――ケタミンまで準備してあった。犯罪的な道具でも扱う〝ダークウェブ〟に大金を払った結果だ。

 1000万円の不労所得があれば、麻薬指定されている薬品でも容易く手に入れることができるのだ。

 盗聴器はコンクリートマイクと呼ばれる、壁の振動を増幅させるタイプだ。遥の家の外壁に貼りつけてから雑草で隠した。マイクにはパワフルな送信機も接続し、この距離でも受信が可能だった。

 高橋にとってはアパートの中から遥の声が聞き取れたことが、逆に驚きでもあった。盗聴器の性能が、予想や期待をはるかに超えていたのだ。

 遥の家は古い木造で、コンクリートマイク自体が完全に能力を発揮できるとは思えない。自分が複雑な電気装置を操れるとも思っていない。だが、メーラーの下書きに送られてくる女神からの〝電波〟の指示に従っただけで、現実に遥の作業場の音声が聞き取れてしまったのだ。

 しかもマイクを設置した時間は、沖が室内の盗聴器をチェックした後だ。その事実を高橋は知らなかったが、盗聴を察知されることはなかった。

 盗聴器のスイッチを入れて、録り貯めた録音を聴く。

 佐藤が言っていた探偵らしい男が、遥と協力して高橋のアパートを調べたらしい。しかも、ファイルにあった少女の父親のようだ。高橋の聖域を探偵が踏み荒らしたことは間違いない。

 全てが腹立たしい。

 高橋がつぶやく。

「僕の遥ちゃんに気安く近づきやがって……」その目には、明らかな憎しみが浮かんでいる。「その上、遥ちゃんをたぶらかすなんて……」

 それでも女神の企てならば受け入れる他はない。

 それを実証するように、録音の終わり近くには重要な会話が入っていた。探偵が誰であろうが、何をしようが、全ては女神の采配の下にあるのだ。

『深夜2時ぐらいにクリーニング店に侵入します。携帯が鳴ると困るんで、その時間帯は電源を落とします。電話がつながらなくなりますが、心配しないでください。あなたは夜が開けるまで絶対に家から出ないで、誰も入れないでください』

 その間、探偵の妨害は計算に入れずに構わないのだ。しかも、有益な情報がふんだんに得られた。〝電波〟に従っていれば間違いは起こらないのだ。

 高橋の女神への信頼は〝盲目的〟だとも言えた。

 高橋は笑みを広げた。

「サクラ――いや、遥ちゃん。そんな男には邪魔させないから。今迎えに行くからね。もう、死のうとしないでもいいから。代わりに僕が、気が狂いそうに息苦しいこの世界から解放してあげるから」

 高橋はアパートの外に出た。暗い空には月も出ていない。新月なのだ。肩にかけた重いリュックの位置を直す。ガチャリと、金属がぶつかり合う音がする。

 通行人も行き交う車もない通りを横断する。

 遥の家の構造は充分に調べてある。通りから見えない裏手には、簡単なクレセント錠しか付いていないアルミサッシの窓がある。その部屋は海外で買い付けた大量の材料を保管する倉庫で、作業場の隣に当たる。コンクリートマイクは、二つの部屋を仕切る壁が交わる位置に仕掛けたのだ。

 足音を忍ばせながら窓の下へ回る。

 窓にはカーテンがかかっていた。リュックから薄い革手袋をはめて小型のLEDライトを出し、サッシの鍵を照らす。当然、錠はかけてあった。次にマイナスドライバーを出すと、ガラスとサッシの間に強く差し込む。

 ガラスにヒビが入る。大きな音はしない。

 何度か繰り返して割れ目を増やすと、錠の付近のガラスの破片を取り除く。簡単に手が入って錠がはずせた。

 ネットで調べた、『こじ破り』とか『三角割り』と呼ばれる方法だった。

 ガラスの割れ目に手を差し込んで錠を外す。サッシを開いてスニーカーのまま真っ暗な室内に侵入した。

 同時に部屋の照明が点く。

 遥が叫んだ。

「誰⁉」

 腰を引いた状態で、バットを構えている。明らかに、侵入者を撃退する構えだ。

 高橋は部屋に入って中腰のまま、遥を見上げる。

「え? 何で……? 僕だよ……?」

「あなた……誰⁉」

「遥ちゃん……僕だよ。君を救いにきたんだよ。君だって、分かってるはずじゃないか……?」

「あなた……高橋さん? 嫌よ! 出てって!」

「何でだよ……何でなんだよ……。君が僕を呼んだのに……出てって、何なんだよ⁉」

「出てって!」

 遥は無茶苦茶にバットを振り回しながら、高橋に突っ込む。

 高橋は訳がわからないと言った様子で、尻餅をついて頭を抱え込む。

「やめて! 僕だってば! 遥ちゃんを救いにきたんだってば!」

「出てって!」

 そして、バットが高橋の肩に当たる。高橋は座ったまま横に倒れて、呻いた。

「助けに来たのに……女神様の指示なのに……何で殴ったりするのさ……」

 遥は身を翻して部屋を飛び出す。

 沖に命じられていたために、家から脱出する準備は終えていた。スニーカーや簡単な着替えを派手なナップサックに詰めてある。それを取って一番近い窓から裸足で外へ飛び降り、走り出した。

 倒れた高橋は、起き上がれないまま涙を流していた。

「助けに来たのに……遥ちゃんだって待ってたはずじゃないか……」

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