第2章・曙光
5・高橋翔太
台車に乗せられてエレベーターから出てきたのは大きな木箱だった。160センチほどの高さの縦長で『天地無用・こわれもの』のシールがあちこちに貼ってある。
アルバイトらしき若い配達員が、木箱の横から顔を出して前方を確認しながら1人で押している。配達員の体格は大きい。アメフト部の大学生のアルバイトだと言われれば、素直に納得できる。大きさの割りには、男1人で扱える程度の重量しかないのだろう。
高橋は、部屋の扉を開けてにこやかに手招きする。
「こっちこっち!」
エントランスからかかってきたインターホンを受けた瞬間から、その笑みは消えていない。木箱を開く楽しみが近づくにつれて、むしろだらしなく広がっていく。
一体どこまで忠実に再現されているのか……。
〝等身大フィギュア〟が届く日が迫るにつれ、期待が膨らむ一方だったのだ。
普段はコミュニケーションが苦手な高橋が、思わず口を開く。
「1人じゃ大変だったでしょう」
配達員が苦笑いを浮かべる。
「先輩は下でタバコを吸ってますよ。バイト使いが荒くて……」
言いながら木箱を玄関に入れる。両腕で抱え込むと台車から持ち上げて、廊下に箱を下ろす。そして、ほっと息をついた。
ニコニコと喜びを隠せない高橋を見て、つい気が緩んだようだ。
「結構重いっすね。何なんですか?」
高橋の目つきが急変する。
配達員は言ってから高橋に睨まれたことに気づいて、とっさに目をそらした。地雷を踏んだ、と覚悟したようだ。常日頃、先輩から『荷物の中身は詮索するな』と念を押されているのだろう。万一事務所に苦情でも入れば、解雇される恐れもある。
高橋もまた、うろたえた配達員を見て、自分が不機嫌そうな表情を出してしまったことに思い当たった。
一度限りしか会わない配達員だろうと、マイナスの印象を与えるのは得策ではない。荷物が荷物だけに、運んだことを強く印象づけるのはまずい。
取り繕う必要がある。
意識して、高橋も気まずそうに目を伏せた。
「あの……人形なんだよね……あんまり、人に言えないような……」
「ああ、何とかドールっていう……? あ、すんませんね、変なこと聞いちゃって」慌てて伝票を差し出す。「ここにハンコかサインください」
高橋は配達員の胸のペンを指差して、それを受け取る。木箱の側面に伝票を押し付けてサインしながらつぶやく。
「あんまり人に言わないでね。恥ずかしいから。女の子にモテるなら、こんな人形買わなくってもいいんだけどさ……僕、オタクだから……」
伝票とペンを受け取りながら、配達員が言った。
「ありがとうございました。俺、誰にも言いませんから、心配しないでください。あ、それから、その木箱、引きずると廊下に傷がつくかもしれません。そこで箱を開けて、中身だけ運んで行ったほうがいいですよ」
「そうだね。わざわざありがとう。そうするよ」
配達員はぺこりと頭を下げて、空になった台車を押してそそくさと出ていく。
金属製のドアが重い音を立てて閉じる。
高橋はほっとため息をもらした。
ドアの鍵を閉じてドアチェーンもかける。木箱の横をすり抜け、〝フィギュアの間〟から道具箱を取って戻る。
ここから先は、誰が来ようとドアを開けないつもりだった。
興奮で胸が高まる。
木箱を少し持ち上げてみる。やはり重い。アメフト部とは無縁の高橋は、配達員の忠告に従った。
道具箱から釘抜きがついたバールを取る。木箱の隙間に釘抜きを差し込んで木槌で叩き込み、手前の側面を開いていく。一面が倒れると、中からスナック菓子のような発泡スチロールの緩衝材がどっとあふれて廊下に広がった。
箱の中には、黒い分厚いビニールに包まれた物体があった。
高橋はそれを抱えて廊下に引き出すと、ゆっくりと横倒しにした。しゃがみこんで、何重にも包まれた黒いビニールを剥がしていく。中から現れたのは台座に固定された〝等身大フィギュア〟だった。
全裸でスキンヘッドの〝等身大フィギュア〟をゆっくりと立てる。
身長は140センチほどの少女だ。顔にはうっすらと笑みを浮かべてポーズをとっているが、腹や太ももには細かい切り傷やアザが付けられている。
だがその〝人形〟は、まるで生きているように見えた。
高橋が感嘆のため息を漏らす。
「僕のレアフィギュアとそっくり同じポーズだ……。綺麗だな……」そして、少女の乳房にそっと触れる。「肌は少し柔らかいんだね……なのに、冷たいなんて……。そりゃそうだよね。もう、生き物じゃないんだから……。でも、がっかりしないでね。これからもっと綺麗に飾ってあげるから。君はずっとこのまま、永遠に綺麗なままのコンバット・スミレでいられるんだよ」
高橋は〝等身大フィギュア〟をそっと抱き上げて、その重さによろめきながらも〝フィギュアの間〟へ運んでいく。まるで、生きた少女を抱き上げている感覚だ。
2体並んだ完成フィギュアは間を離して置かれ、フェアリーコンバットの定位置でポーズを決めている。左端のコンバット・レモンの横に全裸の〝等身大フィギュア〟をセットする。
息を切らせながらつぶやく。
「コスチュームはもうすぐ届くからね。それまで寒いだろうけど、ちょっとの我慢だから。あとはローズとサクラが来れば完成だよ。もう少し待っててね。楽しみだね……」
そして、設置したばかりの〝等身大フィギュア〟の足元に寄り添わせるように、トランクルームから回収したフィギュアをそっと置く。
「これ、僕の命の次に大切な超レアフィギュアなんだ。量産する前に試作した一点物でね、造形とかが難しくて商品化しても割りが合わないってお蔵入りになったローズだよ。譲ってもらえたのはほんの偶然なんだけど、オタクはみんな欲しがってる。本人が来るまでは、この小さな作り物で許してね」そして〝等身大フィギュア〟を見上げる。「でも、すごいよね……君たちって……。どんなポージングでも自由にできるなんて。早くローズに会いたいよ。コスチュームと真っ赤なウィッグをつけたら、まるで本物のローズみたいに変身しちゃうんだろうね。でもさ、僕って、変身の特にチラッと見える胸元とか大好きなんだよね。それにその傷、まるでソイル大帝にボコボコにされたスミレみたいで、頑張れって応援したくなっちゃう。ローズとサクラも揃って変身できれば、きっとアクエリアス王女を救出できるから、くじけないでね。それまでは、君は恥ずかしいかもしれないけど、コスチュームができるまでは僕を楽しませてね」
高橋は満面の笑みを浮かべていた。
そして、不意に真顔に戻る。
「いけない、君が到着したら次の指令をチェックしなくちゃいけなかったんだ」
そしてスマホを操作してメールソフトを起動して〈下書き〉を見る。そこには、ここ1ヶ月の間、〝電波〟によって高橋への命令が書き込まれてきたのだ。
「あ、新しい指令が来てた……。すごいよね……〝女神〟は僕のことを何もかもお見通しなんだから……」
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