14・沖信彦
遥を家に1人で残すことには抵抗があった。『スタッフに来てもらえないのか』と何度も言った。
だが遥は、彼女たちを巻き込むことは絶対に嫌だと言い張り、期間不定の〝臨時休業〟にしてしまったのだ。
それでも、優先されるべきはストーカーの特定だ。仕方なく沖は『絶対に家から出るな』と念を押して、早朝からコンビニの張り込みに向かった。
体の傷はまだ痛むが、顔の腫れは引き始めている。沖を知らない者から見れば、気にもならない程度になっていた。外見から異常さが消えれば、張り込みにも尾行にも障害にはならない。
コンビニの入り口が視界に入る無人駐車場にレンタルの車を停めた沖は、最悪の場合、数日間の張り込みを覚悟していた。長引けば交代要員がないシワ寄せをもろに受け、見逃しも多くならざるを得ない。だが、ストーカーも荷物を心待ちにしているはずだ。余程の事情がない限りは、そう待たされることはないと計算していた。
その間は、遥から預かった数多くのイベント画像を頭に叩き込みながら待つつもりだった。そこに写り込んでいる誰かがコンビニを訪れれば、ストーカーはほぼ特定されたと考えていい。
だが、その想定はほんの数時間で裏切られた。遥の画像を見始めた初期に頭に入れた男が現れたのだ。
沖の頭にけたたましい〝アラーム〟が轟く。
沖は車を出てコンビニに向かった。店の外から男がハートのシールがついたダンボール箱を受け取るのを確認すると、尾行の体制に入る。いったん通りの反対側に渡ると、店を出た男の後を追って歩き始めた。
沖は街に溶け込むようなカジュアルな服装とスニーカーを選んでいた。背中のリュックには印象を変えるためのダテ眼鏡や無香性のヘアワックス、帽子とウィンドブレーカーなども入れてある。1人での尾行に対応した装備だ。最近ではスーツ姿でリュックを背負うサラリーマンも普通に見かけ、目立つことは全くない。
沖は真っ先に、男の〝歩き方〟を頭に入れた。特に注意すべきは、姿勢と足元だ。男は猫背気味で前のめり、内股気味で歩幅は細かくちょこまかと動く。尾行直後の数分間に対象者の個性を掴めば、仮に人混みに紛れても再発見しやすい。そして歩くスピードを合わせて追えば、多少距離が離れていても見失う恐れは少ない。
今回は荷物が大きいのでさらに分かりやすいが、荷物はどこかに預ける場合もある。対象者が尾行を警戒しているなら、帽子や上着で変装する恐れもある。そんな時でも、体に染み付いた歩行の特徴はなかなか変えられないものなのだ。
だが、男は全く周囲を警戒していない。百戦錬磨の沖にとっては、あまりに容易な尾行だった。
✳︎
男は古ぼけた2階建てのアパートの外階段を上がって、真ん中の部屋に入った。1階2階にそれぞれ3つのドアが並び、玄関前にはモルタル張りの廊下がある。2階へは鉄製の階段を上っていく構造だ。建物の大きさから考えると、それぞれの部屋は1DK程度だ。風呂とトイレが分かれているかどうかも怪しい。
典型的な〝安アパート〟だ。
沖が暮らしているアパートと大差はない。
アパートの前は2車線の通りで、車も人もそこそこ行き交っている。周囲は昔からの住宅街らしいが、1階に飲食店が入ったマンションや小ぶりなビル、郵便局なども見え、そこそこ賑やかだ。尾行や張り込みには適している。
男が、そんな質素な部屋に住んでいることは意外だった。遥が作る高価なコスチュームを平然と注文できるのだから、安定した財力を持っていると考えていたのだ。だが、同じようなアパートに住みながら高額なスポーツカーを所有する者もいる。一点豪華主義という言葉はあまり聞かれなくなったが、オタクの世界では一種のスタンダードなのかもしれない。
一方、この建物なら侵入は難しくない。遠目で見たところ、玄関の鍵もピッキングの初歩で開けられそうだ。通りからは丸見えだが、堂々としてさえいれば逆に不審には思われないものだ。男の素性の確認は容易だろう。
沖の頭に疑問が渦巻く。
ここに遥が作った衣装を持ち込むということは……。
衣装を着る〝誰か〟がいるのか? すでに衣装は3着目だ。だとするなら、3人が息を潜めて暮らしているのか?
凪が隠れている可能性もあるのか……?
それにしては、部屋が小さそうだ。
チャイナタウンで聞いた〝死体〟という言葉と関係があるのか……?
真実を暴くには、中に入ってみるしかないだろう。男が出て行ったら様子を伺って、無人であれば侵入を試みる。凪の手がかりがあるかもしれないと思うと、一刻も早く中に入りたかった。そのための道具は、リュックに詰め込んである。
だが、尾行はひとまず断念することにした。
沖はゆっくりと歩きながら、アパートを見張っていても不審に思われない場所を物色し始めた。喫茶店やコンビニ、あるいはバス停があれば申し分ないが、それがなければ別の方法を考えなければならない。
監視するのは、鉄階段だけでいい。2階から降りるには、必ずここを通らなければならないからだ。これなら、単独の張り込みでも見逃しは起きない。尾行が目的なら通りの同じ側で見張るのが原則だが、部屋への侵入を優先させるなら反対からでも構わない。人目を引かずに見張れる場所を絞り込んでいく。
と、意外なほど早くアパートのドアが開く。男がアニメショップの紙袋を下げて出てきた。チェックのシャツを着替えてもいる。慣れた手つきで鍵をかけた様子では、長時間外出するような雰囲気だ。
確証はないが、箱の中身を紙袋に移し替えたという印象だ。男は何かを取るためにここに立ち寄ったのかもしれない。そもそも、ここが住居である必然性もないのだ。金に不自由していない人物であれば、単に倉庫として使用していることも考えられる。
だとするなら、男が行く先に衣装を着る〝誰か〟がいるはずだ。
沖はわずかに迷った。やはり尾行を続けるか、アパートの中を探るか……。
部屋の中には男の情報が溢れているだろう。反面、このまま尾行を続ければ男が何をしようとしているかが予測できるかもしれない。
どちらの可能性にかけるべきか……。
そして、最初の直感に従った。
まずは、男の素性を確認して可能な限りの情報を手に入れる。遥を守るためにも、必ずその情報が役に立つはずだ。
男の姿が完全に視界から消えると。沖は悠然とアパートの階段を登った。ピッキング用のツールを取り出して、単に鍵を開けているような素振りで素早く解錠する。
部屋に入って中から鍵を閉じると、スニーカーを脱いでジャケットのポケットに押し込む。短い廊下を進んで薄暗いキッチンに入った。突き当たりのガラス窓のカーテンを開いて、クレセント錠――半月形の内鍵を開く。
万一男が戻ってきた場合、窓から脱出する準備だ。
アパートの裏は小さな庭になっていて、雑草が茂っていた。地面が土で、柔らかそうだ。裸足で飛び降りたところで怪我はしない。
次にコンセントを探す。期待した通りに、白い三穴コンセントが使われている。あらかじめ用意してきた盗聴器の中から、同じ形のものを取り出して付け替える。室外に音声がある時にだけ録音する受信機をアパートの外の受信範囲内に隠しておけば、電話などの通話は聞くことができる。
キッチンのテーブルには、慌てて開けたようなアマゾンの空箱があった。ハートのシールがついている。中身は男が持ち出した紙袋に移し替えられたようだ。沖の直感は当たっていたのだ。
キッチンの横には、もう一つ部屋がある。引き戸を開く。
中は薄暗かったが、大体の様子は見て取れた。
アニメの美少女フィギュアだらけだった。壁には隙間なく棚が置かれて、正面には大小様々なフィギュアが何段にも並べられている。側面の棚には箱に入ったままのフィギュアがきっちりと整頓されている。
部屋の中央に置かれたベッドを避けて、窓に向かう。カーテンを開くと、ここでも鍵を開いておく。そして部屋の細部を確認した。
棚の一つには、アニメ関係らしい雑誌がびっしりと並べられている。その半数ほどは、透明なビニールでぴったりラッピングされているようだ。
さらにもう一つの棚には、キャラクターをあしらった小物類が並べられている。キーホルダーのようなものは棚の下にいっぱいぶら下げられていた。やはり半数ほどは透明な袋で包装されていて、封も切られていない。分類や並べ方にも規則性があるらしく、整然としていた。
まるで、アニメショップの一角に迷い込んだかのようだ。
押入れも開いて中を確認する。フィギュアのものらしい紙箱がぎっしり詰め込まれていた。人が隠れられる隙間はない。
フローリングの床の真ん中にはベッドが置かれ、ベッドサイドのテーブルには5個のガラスケースが並び、3体のフェアリーコンバットが飾ってある。中間の2つは空だ。
沖はそこに近づき、薄い手袋をはめた。
端のガラスケースを外し、黄色のコスチュームのフェアリーコンバットのフィギュアを持ち上げて台座の下を確認する。そこにはシリアルナンバーではなく、製作者のものらしい手書きのサインがあった。
レアグッズらしい。
沖は、そのフィギュアを含めて部屋の写真をスマホで何枚も撮影した。
少女たちがここで暮らしたような痕跡は一切見つからない。
奥の棚の下段には、妙に地味な紙箱が置かれていた。引き出して中を確認する。黒い合成皮革の表紙のファイルが現れる。
沖は思わず息を詰めた。
ファイルを取り出して1ページ目を開く。透明なビニールのポケットの片面にA4サイズの写真が差し込まれていた。小学校高学年ほどの少女の顔のアップだ。その横は、着衣の全身写真を何枚か並べたものだ。それぞれ名前は書かれているものの、住所や家族に関しての記述はない。体の採寸データが並んでいるだけだ。
スマホで撮影する。
ページをめくると、メールの記録らしい文字をびっしりとプリントアウトした用紙が入れられている。読むのは後回しにして、次々に撮影してページを進める。メールのページは5枚ほど続いていた。
そして、別の少女の写真に変わる。沖は撮影を続けながら、慌ただしくページをめくっていく。
そして6人目の少女――。
沖の息が止まる。
凪の写真だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます