12・佐藤

 佐藤は部下からの電話報告を受けていた。

 基礎調査の段階で、すでに暗礁に乗り上げているという。

「被害者の特定がそれほど困難なのか?」

 佐藤にとっては意外な展開だった。部下は警察上がりのやり手で、その情報収集力に絶大な信頼を置いている男だ。

 男の声にも困惑が滲み出している。

『警察関係の情報提供者には詳細に当たりました。データベースなどの資料も、ずいぶん深層まで洗い出しています。しかし、それらしい対象者の情報が全く浮かび上がってきません。依然、顔認証データでヒットする者もありません。何10件かそれらしいケースがありましたが、ちょっと調べるとすぐ行き先が確認できてしまいます。対象者が1人ならともかく、3人全ての素性が特定困難だとなると、調査方法から考え直す必要があるかと。そもそも失踪届自体が出ていないと結論するしかありません』

「単純な家出人ではないということか?」

『その可能性が極めて高くなっています。例えばDVなどで、失踪したことを警察に話せないとか、ネグレクトを極めて親が一切の関心を失っているとか、特殊な事情がありそうです』

「君の調査力を持ってしても素性が浮かび上がってこないというなら、そうとでも考える他ないだろうな」

『ですから東京を中心に、児童相談所や福祉関係の情報収集に重点を移しました。しかしそこでも現時点では該当するケースがヒットしません。こうなると、公的機関のデータベースからの絞り込みは期待できません。もはや歓楽街の水商売従業員などから直接聞き込みするしかないかもしれません。ローラー作戦ですが、被害者の写真などを見せて派手に動くわけにもいきません。そもそも、警察と違ってそれほどの大量の人員は投入できません』

「手詰まりか……。予想外だな」

『ですが、対象者はどうやってそのような被害者を探し出すことができたんでしょう? 我々ですら発見することが困難な被害者を、なぜ3人も特定できたのか……しかも、被害者はまだ増えるのでしょう? 直接、対象者から聞き出すことはできませんか?』

 佐藤は言い切った。

「その点では一切口を開こうとはしない。『被害者が自分の名前すら語らなかった』とも証言している。私の感触では、被害者の秘密を守り通すことに信仰に近い忠誠心を持っているようだ」

 それは、ある種の〝嘘〟だった。知っている事実を全て明かしたわけではないのだ。

 だが、部下に全てを知らせる必要はない。調査を担う者は、その調査に必要な情報だけを持っていればいいのだ。

 男が意外そうにつぶやく。

『あなたでさえ口を開かせられないのですか……』

 だが男もまた、自分が全貌を知り得る立場にはないことを了解している。知ることによって、かえって窮地に追い込まれる危険もある仕事なのだ。

 組織とは、そうやって成り立っている。

「彼らは一般人とは思考回路も価値観も全く違うからな。まだ事態は流動的だ。機嫌を損ねてバカな真似をされると我々の立場が根本から崩されかねない。常識には縛られない連中だから、これまでのやり方が一切通用しない。被害者の特定さえできれば、少しは対処しやすくなるのだろうが……」

『被害者選定の方法を含めて、一から考え直すしかないでしょう』

 珍しく、佐藤の声に迷いがにじむ。

「振り出しからやり直しか……」

 男は佐藤の逡巡を察したのか、黙って考えをまとめる時間を与える。

 佐藤は、事の起こりからを詳細に思い出そうとした。見落としている情報がないかを確認するための、いつもの作業だ。

 そもそもの起こりは、佐藤が『監視対象が大きなスーツケースをトランクルームに預けた』という記録を発見したことに発する。警戒は怠っていないはずだったが、そのような奇異な行動をキャッチしたのは初めてだった。改めて記録を精査すると、すでに2回、同様の行動が行われているとあった。

 本来、報告が上がってくるべきイレギュラーな行動だ。しかし、監視に当たった部下はそれを重要な行動だとは考えなかった。高価なギャラを要求する立場では、あってはならない失態だ。

 佐藤は直接担当した部下たちを即刻解雇し、自ら指揮を取って事態の緊急性の評価に当たった。

 そして警察の極秘捜査を装ってトランクルームの全ての個室を開き、中を確認した。スーツケースはすでに運び出されていた。監視対象以外の誰かが運び出したのは明らかだった。事前の策として、全ての個室に盗聴器を設置した。その後、24時間体制で監視を続けたが監視対象は現れなかった。

 それでも、彼らが防がなければならない〝発作〟が進行してことはほぼ間違いなかった。スーツケースに〝死体〟が入れられているなら、そしてそれが人間であるなら、大きさから考えて小学生程度の子供だと思われた。監視体制はおよそ1ヶ月、何の成果も得られないまま続けられた。

 その時点で、全てを抹消することを父親と検討している。父親はあくまでも対象者の生存を希望したが、佐藤は言質は与えていない。決めるのは、あくまでも佐藤の権限なのだ。

 そして、4回目のトランクが運び込まれた。

 盗聴器が捉えた声で、使用された部屋も判明した。

『やっと帰ってきたね、ローズ……寂しかったよ……。女神さんの気持ちはよく分かるけど、意地悪すぎるよね』

 監視、追跡体制がさらに強化され、スーツケースの行き先の特定が最優先事項に格上げされた。数10分後にスーツケースを回収に来たのは、アジア系外国人らしい男が2人だった。回収する時間や鍵の暗証番号があらかじめ打ち合わされていたらしく、手慣れた手順でスーツケースが運び出されていった。

 スーツケースが運び込まれたのは、チャイナタウンのクリーニング店だった。直ちにその店と周辺の調査が開始された。

 10年ほど前から目立ってきたその中華街は、今は中国人同士の濃密な連絡網を生かして同族やチャイニーズマフィアを呑み込み、実質的に治外法権の自治区と化している。表向きは中華料理店が連なる観光地に見えるが、その店舗に囲まれた奥に一歩入り込むといきなり風景や匂いが日本のそれではなくなる。

 カラオケ店はマフィアの溜まり場になり、林立するラブホテルは実際には売春宿になっていた。そこから発生するリネンや料理店から発生する洗濯物は、問題のクリーニング店に呑み込まれていく。チャイナタウンは日本の真ん中にありながら、その区域だけで経済を循環させる生態系を築き、今も膨張しているのだった。

 クリーニング店が重点監視対象に加えられた。そしておよそ2週間後の深夜、そこから謎の木箱が運び出されるのが確認された。人間が入れそうな大きさの木箱だ。

 木箱はいったん個人営業の運送店に持ち込まれた。その運送店の近くには〝ラブドール〟と呼ばれる等身大の人形を製作する工房が何件か集中している。その発送を請け負うことが多い運送店にとって、大型の木箱の取り扱いは珍しいものではなかった。

 追跡対象が木箱に変更された。そして、運び込まれたマンションの部屋が特定され、監視対象者の一連の行動が解明されたのだった。

 そして直接コンタクトが取られ、交渉も成立した。

 それにもかかわらず、被害者たちの素性が一向に浮かび上がってこない。

 佐藤は、方針を変えるべきかもしれないと考え始めていた。

 被害者の特定は、監視対象の犯罪を〝もみ消す〟ためには不可欠の条件だ。だが、捜査機関にも児童相談所にも情報が存在しないなら、つまり〝誰も探していない子供〟ならば、消えたところで気にする者はいない。もみ消しにリソースを割く必要もないということだ。

 身元調査に長けた専門家ですら探せない者は、最初から存在しないも同然だ。大都会の底には、見捨てられた子供たちが淀んでいるということなのだ。

 それが確実なら、部下の配置を大幅に変えるべきかもしれない。

 佐藤はようやく口を開いた。

「クリーニング店の調査はどの程度進んでいる?」

 男が済まなそうに声を落とす。

『申し訳ありません。チャイニーズの結束が固くて、いまだに有効な情報が得られていません』

「それは君の責任ではない。最初から予測されていた状況だし、人員の分散を命じたのは私だ。気にするな』

「申し訳ありません」

 佐藤の口調に決断が現れた。

『被害者の身元確認を含めて、人員の配置を変える。クリーニング店の調査に人員を強化して、周辺情報の収集に努めろ」

『被害者の捜査はいかがしますか?』

「範囲を広げろ」

『人員がより薄くなりますが?』

「当たるのは警察関係のデータベースだけでいい。それなら数は絞れるはずだ」

『了解しました』

「ただし、チャイナタウンの調査に関しては、強引な手段は使わないように。相手を刺激して反発を招いては逆効果だ。交渉を前提に、誰に話を通せば穏便に接触できるかを重点的に探れ。交渉のための背景情報の収集も早急に頼む。充分なデータが揃ったら、私が直接引き継ごう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る