灯りの灯っていない部屋
睡眠時間は、たった一時間。
いつも通りの時間に目覚めた誠二は、いつもなら自分より先に起きていると言っていた美空がまだベッドで寝ていることに気が付いた。
自分が寝た時は部屋の電気は消えていなかった。つまり、部屋の電気を消してくれたのは美空。誠二はそれに気付くと、彼女もまた、自分に付き合ってたった一時間しかまだ睡眠していないことに気付くのだった。
元より誠二は、美空の体が心配だったから、自分に付き合う必要なんてないと、そう思っていた。だから、無理に彼女を起こそうとは思わなかった。
食欲は未だない。
せめて、風呂には入って出社しようと誠二は思った。
美空が清潔に掃除してくれている風呂場でシャワーを浴びて、美空が洗濯してくれている衣服を着て、誠二は美空を起こさず、家を出た。
一時間しか寝ていないものの、誠二の目は冴えていた。出社した後は、睡魔に襲われる様子もなく、ただ仕事に没頭出来た。
今日は、いつもより早く仕事を終えることが出来た。
夜の十時、誠二は帰路へと着いた。
いつもより早い時間の帰宅。
恐らく、美空は驚くことだろう。
どんな風に驚いてくれるだろうか。
意外にも、誠二は帰路、微笑んでいた。少女がどんな反応をしてくれるのか、楽しみだった。
社宅が見えて来て、誠二は自分の部屋を見上げた。
そして、気付いた。
いつもなら、誠二がいまいが灯っていた部屋の灯りが。
美空がいるため、灯っていた灯りが。
今は、灯っていなかった。
真っ暗な部屋が、誠二の目に飛び込んできたのだ。
誠二はその場で、一人落胆した。足は、まるで接着剤で固定されたかのように、地面を掴んで離さなかった。
ようやく平静を取り戻した。恐らく、社宅の前で数分は誠二は微動だに出来ずにいた。
いなくなることなんて、ないと思っていた。
一月も一緒に暮らして、まさか今のタイミングでいなくなるなんて……。
いや、違う。
誠二は気付けば、あの少女が家にいる今の状況を当たり前だと思うようになっていたのだ。
この一月、少女は誠二が何時に帰ってこようと、家にいた。誠二から見てその理由はわかることはなかったが、家にいて、手料理を振舞ってくれたのだ。
それを誠二が完食出来た試しは一度だってありはしなかった。でも少女は、それに嫌な顔を見せたことは一度だってなかったのだ。
そんな少女のいる生活を、誠二は当たり前だと思うようになっていた。
かつて。
少女と出会う前。
誠二は、死を望んでいた。
たった百円で自分を社会的に抹殺できること。
たくさんの物を投げ打ってきたのに、その程度の価値しか自分にはないこと。
人として、自分はもうポンコツであること。
そんな状況を鑑みて、破滅願望を持った。
その時、一人の少女に出会った。
パパ活、だなんて援助交際まがいのことをする少女に求婚され、誠二はそれを都合が良いと思ったのだ。
だから少女を部屋に招きいれた。
自らを破滅に貶めてくれ、と願いを込めて。
結果、少女が誠二に与えてくれたもの。
それは、ただ寝るためだけに存在していた部屋に。
少しでも早く、帰りたい。
誠二に、そんな欲求を与えたのだった。
部屋に帰れば、ご飯がある。
部屋に帰れば、清潔に保たれた環境がある。
部屋に帰れば、美空がいる。
誠二はいつの間にか、あの部屋での生活が唯一の憩いの場になっていたのだ。
会社ですり減らした精神を快復出来る、そんな場所になっていたのだ。
『僕は構わない。君と結婚するの。でも君は良いのかい、僕で』
でも、そうなることは初めからわかっていたのだ。
誠二は、初めから。
自分は百円で社会的に抹殺出来る。
自分は人間的機能が失われつつある。
そんな無価値な自分の前から、いつか少女は愛想を尽かして立ち去っていく。
誠二はそのことを、最初から。
彼女に出会い求婚されたその日から、予見していたのだ。
「……最初に、思った通りになるだけだ」
そう思うと、誠二は歩き出していた。
虚ろな瞳で。
おぼつかない足取りで。
最初に思ったこと。
それは……。
少女が持ち物を持ち去って自分の前から立ち去る。
少女が、誠二の最後の一押しをしてくれる。
そんな、絶望的状況。
一月同居して、恐らく少女が誠二の部屋の物を持ち逃げしていくことはない、と誠二は思っていた。
しかし、生きる希望を。
最後の一押しを、確実に少女はしてくれたのだった。
明日早朝。
いつもの時間に家を出て、会社に向かわず……どこかの山中に向かおう、と誠二は思っていた。
電車を乗り継いで、どこかの駅から近場のホームセンターに立ち寄って、アイテムは入手すれば良い。
そうして、誰にも見つからない山中で、最期を迎えよう。
そう思った。
部屋の鍵を回した。
扉を開けた。
聞こえてきたのは、寝息。
誰もいないはずの部屋の中から、誠二は寝息を聞き取ったのだった。
しばらく誠二の思考は……再び停止した。
「……まさか」
先ほどまでの自棄は、吹き飛んだ。
代わりに誠二は、慌てた。
リビングの灯りを灯した。
「おいっ、大丈夫か」
気付けば、声を大にしてベッドに近寄っていた。
そこには、美空が気だるそうに眠っているのだった。
顔が赤い。
息も苦しそうだった。
誠二が美空の額を触ると、驚くくらいに熱かった。
「……あ、おかえり」
額に触れられたことで、美空は目を覚ましたのだった。
「おかえりって、君……」
誠二に付き合う、と言って、美空は誠二より早く起きて、遅く寝ていた。一月も。
無理が祟ったんだ。
そう誠二が気付くのに、時間はかからなかった。
無理をさせてしまった。
そして誠二が、そう後悔を抱えるのにも、時間はかからなかった。
そんな誠二を他所に、美空は布団から手を出して、ゆっくりと冷蔵庫の方を指さした。
「……夕飯、入ってるから。温めて食べてね」
「……馬鹿言うなっ」
気付けば誠二は、家を飛び出していた。
生憎誠二の部屋には、解熱剤などの備えがなかったのだ。だから、近くのドラックストアでも、コンビニでも、どこでも良いから何か買ってこないと、と誠二は思ったのだった。
誠二は、夜道を駆けた。
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