夫婦

大丈夫

 引っ越しも終えて、美空とのひと悶着も終えて、ようやく誠二は新居にて落ち着いた時間を送っていた。

 久々に食べたピザは、とても美味しかった。美空もチーズを伸ばしながら、その味に舌鼓を打っていた様子だったから、さっきまでの事はもう気にしていないとわかって、余計誠二は楽しくその時間を過ごせた。


「へえ、それじゃあ誠二さんは、生まれは田舎だったんだ」


 誠二達は、談笑交じりに夜の時間、会話を楽しんだ。

 こうして二人が談笑し合うのは、思えば先日の休業日以来だった。


「そうだよ。君はこっち生まれ?」


「うん」


 楽しそうな美空だったが、住所までは教えてくれないんだなと誠二は思った。


「子供の頃から都会かあ。良いなあ」


 それはさておいて、誠二はそう思った。思わず羨望の声が漏れていた。


「どうして?」


「だって、遊ぶところいっぱいあるだろ? 僕の地元なんて、駅前でも閑散としていた。カラオケ一つ見つけるのに車が必要だったんだ」


「えー、そんな場所あるの?」


「あるよ。いっぱいある。さすがにそれはちと、世間知らずすぎる」


「えー、そうかな?」


 少し残念そうな美空に、誠二は苦笑した。そうだよ、と言うのは、少し酷だと思わされた。


「……じゃあ、誠二さんの実家の傍には何があるの?」


「畑」


「他には?」


「川」


「……他には?」


「山」


「もうっ、一文字で済ませないで」


 え、怒るところそこ?

 怒りの沸点がわからない美空に、誠二は困惑した。ただ彼女の気分を害したことは悪いと思った。しかし、他に伝えようがないことに誠二は気が付いた。


「畑。川。山。そっちこそ良いじゃない。羨ましいよ」


「まあ、僕も上京してからはそう思うようになったよ」


「誠二さん、海好きだもんね」


 休業日の日、そう言えば美空を連れて海まで歩いたことを誠二は思い出した。そして、覚えていてくれたことが、少しだけ心を温かくした。


「自然が好きなのかな? 田舎暮らしだから?」


 しかし、少しぞんざいな言い方をする美空に、誠二は怒る……こともなかった。それは事実だし、そこまで誠二は心が狭い男ではなかった。


「そうかもなあ。アハハ」


 だから誠二は、苦笑して同意した。


「……君は、どんなことに興味があるの?」


「あたしの好きなこと?」


「うん。思えば……君の趣味とか、あんまり知らない」


 美空は、宙を仰いだ。


「確かに」


 しばらく考えた末、美空はそれに同意した。別に考える必要がなかったくらい、この一月誠二との対話の機会は少なかったのだが、美空は考えてから結論付けた。


「そうだろう。で、君の趣味は?」


 美空は、誠二の質問に答えようとして、微笑んだ。


「なんだか、旅館の一室にいるみたい」


「……ん?」


「お見合いするのって、旅館の一室でしょ?」


「んおぉう」


 誠二はなんとも言えない声を出した。

 つまり美空は、今誠二とお見合いをしているような気分、と言いたかったのだと誠二は気付いた。


 まあ確かに、ご趣味は、なんて質問、出会ってまもない会話に間違いない。少なくとも、出会って一月経った男女がする会話ではない。


「ヨガ」


 言葉少なく、美空は答えた。


「へえ、そんなこと出来るんだ」


「うん。見る?」


 得意げに、美空は提案してきた。


「おー、見せてよ」


 しばらく誠二は、美空のするヨガのポーズを拝見することになった。様々なポーズをする美空だが、イマイチ誠二はそれの難易度がわからず反応に困った。しかし、美空はそれなりにヨガを楽しんでいるようだった。


「エヘヘ。誠二さんが会社に行っている間も、しょっちゅうやってたの」


「へえ、そりゃあ良かった」


 誠二の業務時間と言えば、それはもう長い時間を占めている。その間、美空がただ暇を持て余していなくて良かったと誠二は思った。


「……あ」


 しばらくして、美空は眉をひそめた。


 誠二は美空の異変にすぐ気付いた。今の美空は、まるで地雷原にある地雷を踏み抜いてしまったような、そんな顔をしていた。


 少し考えて、誠二は気付く。


「別にもう良いよ。今週末には辞めるんだし」


 美空が気にしたことは、誠二の仕事のことを図らず口に出してしまったこと。誠二のトラウマを掘り返すようなことをしてしまったことだった。


「……ごめん」


「だから、大丈夫」


 誠二はもう一度、美空に自分は問題ないことを伝えるのだった。


 退職届を出してから二週間。

 社宅から退去して、新たな新居も見つけて、後は次の職場を探すだけ。


 着々と誠二は、会社を去る準備を進めていた。


 四年にも及ぶ期間を、誠二はあの会社で過ごしてきた。抱えたトラウマは数知れず。失敗した仕事の数も、数知れず。

 しかし、全てが全て失敗だったわけではない。


 得られたものが一つもなかったわけでもない。


 だから、時が経つほどに誠二はそのトラウマを克服しつつあったのだ。


 それに何より、


「ありがとう。心配してくれて」


 美空に、こうして自分の身を心配されることが誠二は嬉しかった。


 だから誠二は、もう大丈夫だった。


 後は後腐れなく、あの会社を去っていくだけ。


 ただ、それだけ。


 それが少し難航するかもな。誠二は、少しだけ不安があった。

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