信頼関係

 久しぶりの晴れの日は、折角持ってきたパーカーを思わず脱いでしまうような暑い日だった。

 三日前から通い始めた不動産屋。初めは物件紹介。二日間で誠二は、様々な条件を不動産屋から聞いていた。


「うぅん」


 そう頭を捻っていたのは、不動産屋会社で誠二の物件紹介を担当してくれている砂田、という女性だった。

 何に頭を捻っていたのか。

 それは勿論、誠二の出した条件に合致する物件探し。大抵こういうのは、初めに依頼者から承った条件を基に折衷案とも、折り合いとも言える条件を探していくのが不動産屋の仕事であるのだが……生憎砂田はまだこの職に就いたばかりの人だった。


 誠二の出した条件は、駅から徒歩十分。鉄筋コンクリート製。近くにスーパーあり。風呂トイレ別。


 そして、一LDKで家賃は六万円前後。


「もう少し家賃が出せれば、この条件に合致しそうなお部屋を紹介できるのですが……」


 砂田は困ったように呟いた。

 生憎ここは、押しも押されぬ都内。そんな場所でこの条件に完全に合致する物件は、そうはなかった。


「隣県に出たらありますか?」


「うぅん。隣県と言っても、都内の近く、ですもんね?」


「えぇ、まあねえ」


 隣県とは言え、都内に近くなるほど家賃が高くなるのは当然。

 砂田はもう一度、困ったように唸っていた。その様子を見て、誠二は砂田に対して真面目な人だ、とそんな印象を受けた。

 かつての自分と重なるような、そんな気持ちになっていたのだった。


「砂田さん、ありがとうございますね。この三日、ずっと悩みっぱなしでいてくれて」


 本題を切り出す前置きとばかりに、誠二はそう切り出した。


「いえいえ、それがあたしの仕事ですものっ」


 言葉を続けようとする誠二に、砂田は得意げに微笑んでいた。そんな砂田の調子に、誠二は苦笑した。


「ただ、ね。申し訳ないですが、僕、来月には今の社宅を出ないといけないわけで。あんまり長らく迷っている時間もないんです」


「あ、そうでした。そうでしたね。仕事辞めたんですもんね」


「アハハ。まあ、ねえ……」


 苦笑する誠二を見て、砂田は自分が失礼な物言いをしたことに気が付いて、慌てて頭を下げた。

 誠二は砂田に手で謝罪はいらないと制して、再び苦笑した。

 

「砂田さん。条件はあくまで条件。全てを叶えられるだなんて、初めから毛頭思っていませんので……例えば、どれを抜けば好条件の物件に出会えるか、それを教えてください」


「あ、はい。そうですね。じゃあ、間取りを変更するところから、でしょうかね」


「間取り……ですか」


 誠二は口ごもった。

 砂田は、誠二が間取りを変更したくない理由でもあるのか、と首を傾げた。


 しばらくして、


「わかりました。じゃあそれで」


 苦笑する誠二に、砂田ははい、と頷いた。


 砂田は、対面に座っているなんとも形容しがたい顔をしている誠二の顔を時折見ながら、良さそうな物件を四、五見繕って一度裏に消えた。

 印刷機からプリントされた紙を持って、砂田はもう一度誠二の元へと戻った。


「お待たせしました」


「いえ、全然です」


 誠二の物腰は、とても落ち着いていた。たくさんの仕事をこなし、失敗し、多少の他人のミスならば許容出来る程度に、誠二の器量は大きくなっていた。

 ただそれもあるだろうが、多分一番は精神的に今が落ち着いているから、と言うのが最大の要因なのだろう。


 砂田はそんな誠二の相手が、非常にやりやすいと思っていた。

 折衷案を快く提案してくれたり、失礼なことを言っても目くじらを立てなかったり。


 不動産屋に訪れる顧客、と言うものは、基本的に数年単位の買い物をしに来る人である。それが故、基本的にここに訪れる顧客は、物件だったりお金だったりに、神経質になっている人が多い。


 誠二はまもなく無職になる。だからお金に余裕があるとは微塵も思っていなかったが、それでもこれまでの顧客と違い、砂田の態度一つ取って文句を付けたり、そう言うことはしてこない。


 だから砂田は、誠二の相手をしていることが苦ではなかった。

 新卒で採用され五か月。初めてする仕事。初めて伴う責任。そう言うものに日々押しつぶされそうになりながら得た誠二、という顧客は、砂田にとってオアシスに近い存在だった。




 だからこそ砂田は、誠二の望む条件に近い物件を紹介出来るようにと奮起していた。




 多少仕事をしていく内に、人の目は眩んでいく。出世していくにはたくさんの利益を生まないといけない。そうしないと功績が残せないから。だから、誠二のようにたかが知れている相手への対応はおざなりになるケースだってある。


 ただ幸い、砂田はまだ入社したて。出世に目も眩んでいないし、金しか頭にない人間でもないのだ。


 誠二が砂田に対して怒りが沸いてこないのは、砂田がそういう邪な感情を誠二に抱いていないことを彼自身が感じ取ったからだった。

 つまり、信頼関係。


 仕事をする上で最も必要な要素であり、まもなく辞める会社で誠二が一度も他人と築けなかったそれ。


 それを、この二人は早くも得始めていた。


 だから、誠二は砂田の提案した間取りの話も応じたのだ。


 勿論、最終的に今回提案される物件を選ぶかどうかは誠二次第。とりあえず話を聞いてみようと、そう軽はずみに思ったこともまた事実。




 ただそれと同時に、あまり大きな間取りでなくても大丈夫だろう、とそう考えていたのも、また事実だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る