奥様はパパ活女子高生

ミソネタ・ドザえもん

出会い

脅迫

 三浦誠二は、樹脂部品の金型メーカーに勤める二十六歳。

 十八歳の時、大学進学を期に親元を離れ一人上京し、それなりの大学生活と就職活動を経て今の職場に二十二歳の時に新卒で入社した。


 誠二は、勤勉な男ではなかった。真面目な男でもなかった。

 それでも夜、いつも一番最後まで会社に残り、朝、誰よりも早く会社に来て、パソコンを開き作業を開始していた。

 深い理由はない。ただ、納期に追われていたからだ。

 昨晩も、受注先のメーカーからストーカー染みた五月雨の連絡が営業ではなく設計担当である誠二の元に電話が寄せられた。

 電話の内容は、今の金型の追い込みの設計の進捗はどうなのか。


 それを一時間おきに、誠二はメーカーから問い質されていた。

 毎時間の電話は、おおよそ十五分。これだけで貴重な一時間の内の十五分を奪われていることに辟易としながら、誠二はメーカー対応の合間に設計の仕事を続けた。度々、誠二は上司からもお叱りを頂戴していたので、それも加味すると彼の実務の時間はより多量に削られていた。


 営業は早々に、これは部品のせいなのだから、と誠二に面倒なメーカー対応を押し付けてオフィスの隅で業務時間中に休憩したり、次買う車の吟味をしているらしい。


 部品のせい。

 営業の言うその言葉は、まあその通りだったから、誠二は文句の言葉を付けることも出来ず、仕方なくメーカー対応もこなしていた。

 

 別に、今回に限った話ではないのだ。

 樹脂部品の金型設計に携わり、まもなく四年が経つ。

 その四年の経験の末、誠二は樹脂部品はまるで愚図り出した子供のようだと思うようになっていた。ただ、型の形をなぞって成形されるわけではないのだ。微かな隙間にも樹脂はまわってバリになり、逆に隙間が小さいとショートする。少しでも思い通りにならないとヘソを曲げる子供のように、揚げ足取りのように樹脂部品は誠二の思い通りの形になってはくれなかった。


 受注先のメーカーは、中国系の大手電子機器メーカーだった。


 誠二の所属する設計部署は、各設計者が受注先のメーカーに専属して業務に当たる。誠二の先輩は、みなが国内の有名メーカーの相手をしていた。

 誠二は部署内で一番の下っ端で一番経験を積む必要があるから。かつ先輩達は皆国内の有名メーカーと仕事をしていて余裕がないから、と言う理由で、経営が芳しくない会社が打ち出し行動している新規開拓メーカーの相手全てを誠二一人で担わされることになった。


 先輩達は、皆が定時に帰宅していく。

 国内メーカーは、顔馴染みも多くそれなりに融通が効くし、何より頭打ちで衰退していく他ない国内メーカーには、かつてのような活気はなかった。


 それに対して中国メーカーは、真逆だった。


 分刻みのスケジュールで仕事をする連中は、衰えた国内メーカーとは違い活気があり、何より他者を殺そうとせん勢いで煽ってくるのだ。

 誠二は、精神的にすっかり参ってしまっていた。それでも何とか仕事は終わらせなければ、と深夜まで仕事をし、早朝に仕事に向かう日々を過ごしていた。


 勘違いして欲しくないのは、誠二としては今はまだこれでも余裕のある方だった。繁忙期か閑散期かと言えば間違いなく繁忙期であるが、誠二がこの会社に入社して以降、閑散期らしい閑散期など一度もなかった。

 むしろ、今は一社しか相手にしなくて良いのだから気楽なものだった。


 一番誠二が絶望的だった時期は、入社二年目の夏だった。

 あの時は、新規メーカーとして中国メーカー三社を同時に営業が引っ張って来て、その仕事全てを誠二がすることになったのだ。


 結果、当然首は回らず、早々に仕事は破綻した。


 誠二は、覚えている言葉があった。

 繁忙期の中、上司が無理やり入れてきた目標面談での時の話だった。


 長ったらしくて中身のない話を聞かされた後、仕事の失態の数々をまず上司は叱責した。


 そして告げられた誠二の評価は、五段階評価最低の一。なんでも、仕事を失敗しすぎたことがその評価の理由らしい。

 仕事が忙しくそれどころではなかったので、その時誠二はその評価に対して何の感情も沸くことはなかったが、後になって思うと日頃暇そうにしている同期より低い評価なのは納得がいかなかった。仕事をして目を付けられただけ損をするとは、出る杭を打つなんとも悪しき日本文化らしいなと皮肉的なことも内心で思った。


 ただ、その時上司が誠二に叱った言葉を誠二は繁忙期にふと思い出したのだ。


 上司は言った。

 忙しかったから仕事が回らなかったは通じない。そう言うなら、まずは上司に仕事が回らないと相談しろ、と。


 誠二は、今の状態を上司に相談した。


 結果は……。


『人に相談するだなんて余裕がある証拠だろ。さっさと仕事しろ』


 それ以来、誠二は上司に相談を持ち掛けることを一切やめた。話すだけ時間の無駄と悟ったからだ。


 夜、誠二はようやく図面を書き終えた。早速金型の加工の棟に足を運んだ。加工場の棟は、扉に入る直前に油の匂いが微かにしていた。最初は鼻がむず痒くなったものだが、最近では誠二はこの匂いに感情が揺れることはなかった。

 事務室には、既に加工責任者しか残っていなかった。

 事務室の扉を開けると、加工責任者は露骨に誠二に向けて眉をひそめた。


 四年も同じ会社に勤めると、誠二は他社員に自分がどう思われているのか分かり始めていた。

 

 イジメを好む日本人。陰険な性格をしている故、彼らの態度の豹変ぶりは明白だった。


「お疲れ様です。金型の追い込み、お願いします」


 最初は、まだ新卒だからと優しそうな態度で接していてくれたのに、最近では図面を一枚持って加工を頼むだけで舌打ちをされる始末だった。


「どうして図面に判子がない」


 加工責任者は言った。図面には、担当、照査、承認の三つの判子の欄があった。押されているのはいつも、担当の判子のみ。


 上司は定時に帰ったから判子をもらえなかったと誠二は説明した。メーカーだったり上司の対応のせいで、誠二の製図が完了するのはいつも残業の時間帯だった。


「明日、図面に判子をもらってからもう一度来い」


 加工責任者は言った。


 誠二はそれだと間に合わないからと食い下がったが、無駄だった。

 加工責任者は結局図面は受け取らず、挙句誠二の上司にクレームのメールを入れるのだった。翌朝、誠二が怒られたのは言うまでもなかった。

 そして、腹いせに上司は誠二の図面を一蹴。


 設計し直しとなり、最早日程は間に合わない。


 誠二はメーカーに電話をかけた。大目玉だった。言うまでもない。


 それを上司に報告した。再び怒られた。


 メーカーと上司の相手をした。

 金型の製図をした。


 時刻は、夜の十一時。

 上司はもういない。加工責任者はいるかもしれない。でも図面は受け取らないだろう。


 誠二は、図面を上司の机に置いた。


 そして、会社を出た。

 日付が変わる前に帰れるのは久しぶりのことだった。


 ただ最近、日頃の仕事疲れからか誠二は感情の起伏が乏しくなってきていた。

 誠二は自分のことを、まるでロボットだと思っていた。プログラミングされた通り。センサーで感知した通り。

 アームを動かし、物を掴む。モーターが回り、プッシュする。


 自分はそんなロボットのようだと、誠二は思っていた。


 夕食を買うために、コンビニに立ち寄った。

 最近はすっかり食も細くなりつつあった。おにぎり一個で、夕食は事足りていた。

 いつもならこの馴染みのコンビニで物色などしないのに、気が向いたから誠二は弁当コーナーに寄る前に店内を散策することにした。




 ふと、誠二は文具コーナーで足を止めた。

 



 目に付いたのは、シャープペンシルの芯だった。

 浮かんだのは、邪な感情だった。


 これを盗んだら、死ねるだろうか。


 盗んで、店員に見つかれば、誠二は罪人となる。

 社会的に死ぬのだ。


「……ハハハ」


 乾いた笑いが、誠二から漏れた。


 シャープペンシルの芯はたった百円。


 自分の価値は、たった百円で失われるだけの価値しかないんだ、と誠二は気付いた。


 人としての機能が低下していっていることは、誠二としてもわかっていた。それだけの対価を支払ってきて仕事に邁進したのだ。

 なのに、人としての機能を投げ売り、尊厳と自分の価値を上げるための時間を投げ打った結果。

 それだけの対価を支払った結果、自分は百円で死ねることに、誠二は笑うことしか出来なかった。


 コンビニでは何も買わず、気付けば出ていた。


 それからは当てもなく歩いていた。


 どこへ行くわけでもない。

 どこを目指しているわけでもない。


 ただ、歩いていた。


 家に帰ることもなく、環状道路の脇の歩道を歩き、住宅街の中を歩き、誠二はどこかの裏路地に辿り着いた。


 街灯もない。

 人気もない。

 傍には、見れば墓がある。


 異様な空間だった。


 でも、居心地は悪くなかった。


 このまま幽霊に食われてしまえれば、どれだけ楽だろうか。


 誠二は、そんな退廃的な思考に陥っていた。




「ねえ、おじさん?」




 歩き疲れて、墓の前の縁石に腰を下ろした時だった。

 高校の制服に身を纏った少女が、誠二に声をかけてきたのは。




「……ねえ、おじさん?」




 スカート、夏服の先から伸びる白い柔肌。

 肩くらいまで伸びた艶やかなショートボブの黒髪。

 暗闇の中、吸い込まれそうな仄かに藍色をしている瞳。


 遂に、幽霊に遭遇してしまったのか、と誠二は思った。生憎そういうオカルティズムに興味はなかったが、実体験してしまったのであれば認めざるを得なかった。


 だが、どうやら彼女は幽霊ではないらしいことは、それからまもなく気が付いた。


「おじさん、聞いているの?」


 少女が、誠二の肩を掴んで数度ゆすった。


「……聞いてる」


 不思議な子だった。

 藍色の瞳を見ていると、そのまま吸い込まれてしまいそうな気がしていた。


「良かった。こんなところで何をしているの?」


 少女は、おっとりとした喋り方だった。

 

「座ってる」


「そうなんだ」


 少女は、あまり興味なさげに返事をした。


「隣いい?」


「いいよ」


 少女が、隣の縁石に腰を下ろした。


「縁石、座りづらくない?」


「うん」


「服、汚れちゃうよ」


「うん」


「……聞いてる?」


「うん」


 誠二の空返事に、少女はあまり困った風ではなかった。むしろ、どこかこの状況を楽しんでいるように見えた。

 

「おじさん、もしかして疲れてる?」


「……どうだろう」


 疲れているのか、疲れていないのか。

 長時間労働の後なのに、不思議と体は重くなかった。


 だが誠二は、否定しかけて口をつぐんだ。


 朝起きた時、誠二はいつも会社に行きたくないと思う。体温を測り、熱がないかと些細な抵抗をしたりした。一度体調不良で会社を休んだ時、上司に叱責されてから、それ以来は熱が出ても会社に行くようになったにも関わらず。些細な抵抗は、止めることは出来なかった。


 思えば誠二は、社会人になってからそんなことばかりだった。


 無理をして、色々なものを投げ売り続けてきていた。


 しかしその結果が実を結ぶことは、これまで一度たりともなかったのだ。


「……うん。凄い疲れてる」


 自分の状況を鑑みた末、誠二の声はどんよりとしたトーンとなって紡がれた。


「良かった」


 少女は、誠二の不幸を手を叩いて喜んだ。

 誠二は少しだけムッとした。疲れているのに、良かったとはないのではないだろうか。




「……じゃあ、今から休憩しようよ」




 その誘いの意味がわからない誠二ではなかった。

 驚いて、誠二は少女の顔を見た。


 そして、満面の笑みの彼女を見て、なんだか全てがどうでも良くなった。


「わかった」


 向かった先は、少女が引き連れたラブホテルだった。この辺にホテルがあることを、誠二は知らなかった。


 いの一番に、誠二はベッドに飛び込んだ。


「疲れてたの?」


「ううん。疲れてない」


 いつもならまだ仕事をしている時間だからか、眠気はやってこなかった。


「もし寝てしまったら、勝手に財布から金を抜き取って行ってくれ」


「え、なんで?」


 聞き返してきた少女に、誠二は久しぶりに微笑んだ。

 性的な誘いをしてきて、金銭を要求してこないだなんて、おかしな話だと微笑んだのだ。


 少し前では援助交際と呼ばれた行為が、今ではパパ活と呼ばれていることを誠二は知っていた。彼女も、所謂その類なのだと信じて疑っていなかった。

 一緒に歩きながら、恐らく彼女がまだ未成年であるだろうと誠二は検討を付けていた。話し方にまだ幼さが残っているところと言い、考え方の要領の悪さだったり、どこか少女は高校生の従妹に似ていた。


 ……もし、彼女との関係が明るみになれば、自分は社会的に死ぬことが出来るだろうと誠二は思っていた。

 実際に行為はしなくて良いと思っていた。そこまでの性欲は、今や誠二には消え失せていた。


 だから、金銭要求の果てに警察沙汰にでもしてくれれば良いと思っていた。

 そうなれば、誠二は未成年淫行で確実に死ぬことになるのだ。


「シャワー浴びてくる」


「ごゆっくり」


 ベッドにうつ伏せに倒れたまま、誠二は目を閉じた。両耳に、シャワーの音が微かに聞こえていた。

 気付けば、眠気もないのに誠二は眠ってしまっていた。


「おじさん」


 誠二が目を覚ましたのは、バスタオル一枚の少女が誠二の体をゆすったからだった。

 

「おじさん。今度はおじさんがシャワー浴びてきなよ」


「……いい」


「眠い?」


「……眠くない」


 ただ、立ち上がる力は湧いてこなかった。


「……別にしたくないから、そのまま寝ていると良い」


 誠二は言った。


「悪いが今、持ち合わせがあまりないんだ。出来れば警察沙汰にはして欲しくない」


 そして、誠二は思い付きでそう言った。そう言えば、少女が逆上して余計に警察沙汰にしてくれるかもと思っていた。

 さっき財布から勝手にお金を抜いていけと言ったことなんて、誠二はすっかり忘れていた。


「え、お金ないの?」


「うん」


「ホテル代も?」


「それくらいはあるかも」


 ホッと少女は胸を撫でおろしていた。


「良かったー。実はあたしも今月あんまりお金なくて、それならチェックアウト出来るね」


「……お金目的じゃないの?」


 少女の態度に、誠二が少女がお金目当てで自分に近寄ったわけではなさそうなことに気付いた。さっきまでの発言を加味しても、少女の反応は明らかにそれとは違って見えた。


「え、当たり前じゃん」


「……そう。じゃあ、どうしてこんな真似を?」


「……したかったから?」


 困り顔で、少女は言った。


「……淫乱なんだ」


「うわわっ、違うよ。そんなんじゃないもん」


 少女はヘソを曲げたようにそっぽを向いた。


「……ただ、した方が話が進みやすくなるかなって」


 そして、少しだけ楽しそうに言った。


「……結局、お金?」


「違うよ。……でも、まあ脅しみたいなものかな」


「そっか」


「うん。……怒らないの?」


「怒らない」


 むしろ、彼女に自分の全てを奪って欲しいと、誠二は思っていた。

 そうすれば、誠二はもう思い残すことはなくなるから。


「……おじさん、しないの?」


「うん。そんな元気はないね」


「……そっか」


 ふと、誠二は思った。

 少女が自らの体を捧げてまで自分にしたい脅しごととは、一体何なのか、と。

 水商売に近い行為をしてまで、他者から何かを得たい。

 もし誠二がそう思ったのなら、やはり一番にはお金になるのだろう。物欲があるわけではないが、逆に自分の体を捧げてまで相手から得るものが、安いものであることは許せなかったのだ。だからシャープペンシルの芯を盗むだけで無くなる程度の自分の価値を呪ったのだ。


 きっと少女が欲しいものは、大金にも勝るとも劣らない、そんな価値のものなのだろうと思っていた。

 自らの体を捧げても惜しいと思わないものなのだろう。


 ……お金でないとするなら、あとは命、か。


 少女は、意を決したように誠二に真剣な眼差しを向けた。




「あたしと結婚してください」




 おっとりとした少女から放たれた一言に。


「……ハハ」


 誠二は、微笑んだ。


 自分の全てを奪って欲しいと、誠二は少女に思っていた。


 でもまさか、本当に全部を奪ってくれる気だなんて、笑うしかなかったのだ。

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