二つ返事

「いいよ、しようか」


 二つ返事。

 まさしくその言葉通り、誠二は名も知らぬ少女の申し出を聞き入れることにした。


「……え」


 少女は、まさかあっさりと聞き入れてもらえると思っていなかったのか、目を丸くして驚いていた。


「しようか、結婚」


 聞き間違いだったかもしれない、と思っているような少女に、誠二は敢えて聞き間違いではないと伝える意味でそう言った。


 少女は、しばらく驚いたように呆けていた。


「……どうして?」


 ようやく正気に戻った少女は、驚きの表情は消え去っていたものの、疑問は尽きていないようだった。

 その言葉短い台詞で、誠二には少女が疑問に思った意味を理解していた。何故ならそれは、至極当然だったから。


 今日、誠二と少女は初めて出会ったのだ。

 そんな二人が結婚をする。

 そんな非常識な申し出をしてくる方もどうかしているが、受け入れる方もどうかしているのだ。

 そもそも、少女は果たして結婚出来る年齢なのだろうか。倫理的にではなく、法的に。二つ返事をしておきながら、誠二はそこが少しだけ心配だった。


「どうして、結婚してくれるの?」


「結婚、しなくていいの?」


「……駄目」


 ならば、敢えて聞いてくる必要なんてないだろう、と誠二は思っていた。相手がわかった、と言っているのだから、深堀するのは相手の気持ちを翻す隙になりかねない。そのことを誠二は、自分の日々の業務から知っていたのだった。

 だから、今の少女の言葉に愚かなことをするものだと思った。


 ただそれでも、誠二の気持ちは変わる気配はなかった。


「別に大した理由はない」


 そして誠二は、彼女の疑問にも答える気だった。

 ベッドにうつ伏せになったまま、誠二は目を瞑って続けた。


「……自棄になっているだけだ」


 誠二は、自暴自棄になっていた。

 休みもなく働かされている仕事のせいで。

 どれだけ頑張っても評価されることがない仕事のせいで。

 どうして続けているかもわからない仕事のせいで。

 

 もう、なんだか全てがどうでも良くなっていた。


 少女の結婚の申し出を受け入れることは、死にたいと思ったことの延長線だった。

 破滅願望のある誠二にとって、まだ幼気な少女と結婚することは、周囲から冷たい目をされるだろうことも含めて、自殺行為に近かったのだ。

 

「逆に僕から言わせれば、君は僕を相手に結婚だなんてしない方が良い。未来ある君と違い、僕には何もない。もっと経済力のある人か、はたまた甲斐性のある人か。考え直すことをおすすめするね」


「どうして、あなたには何もないの?」


「それを聞くのは野暮ってものだ」


 どう見てもホテルに来てするようなことをしていない誠二を見て、そもそもそんな疑問を抱く方がおかしな話。

 

「僕は構わない。君と結婚するの。でも君は良いのかい、僕で」


 少女の疑問はさておいて、誠二は再び彼女の意思を確認した。

 正直誠二は、もう一度言えば少女はさっきの結婚の申し出を翻すと思っていた。自棄になった誠二を見て、明らかに異常な誠二を見て、所謂地雷と思わずになんだと思うのか。


 地雷な誠二との口約束程度の結婚の約束なんて、さっさと翻してくると思っていた。


 誠二としては、やはり別にどちらでも良かった。

 結婚の申し出を翻さないか、翻すか。


 少女の今後の動向なんて、最早今誠二を襲い始めた強烈な眠気に比べたら、どうでも良かった。


 誠二は思っていた。

 このまま、この場で寝て……。


 朝起きたら、少女と自分の持ち物全てが消えていやしないだろうかと。


 そうなったら、今の誠二の自棄な感情も相まって、ホテルの帰り道電車に飛び込むことは疑う余地はなかった。


 そして誠二としたら、そうなってくれた方がマシだと思う気持ちがあった。


「良いよ」


 誠二の眠気が、少し覚めた。

 少女の言った台詞に驚き、自棄になっていた感情が少しだけ正気に戻った気がした。


 今、なんと言ったのか。


 誠二はようやく、重い体を起こした。隣に座っていたバスタオル一枚の少女を睨んでいた。


「なんだって?」


 さっきまでと違い、重い声で誠二は少女に聞き返していた。


「良いよ。結婚しよう。……ううん、結婚してください」


「……僕の話、聞いてた?」


「うん」


 こくりと頷く少女は、風呂上りだからかどこか火照って見えた。


「ちゃんと聞いて尚、その選択をしたのか。正気じゃないね」


「おじさんだって、出会ったばかりの女の子と結婚するのは正気じゃないと思うよ?」


 誠二に返す言葉はなかった。


「僕は構わないんだよ。君が結婚詐欺師でも。君が僕の保険金目当てだろうと、なんでもね」


 結局誠二は、未だ最後の一歩を踏み出せない自分の背中を押して欲しいだけだった。

 死、へ最後の一歩をどうしても踏み出せない自分を、崖から突き落としてくれるようなそんな邪悪な悪魔を求めていた。


「そんなことしないよ? だっておじさん、あたしの夫なんだから」


 夫、と言われたことで、少しだけ誠二はむず痒さを感じて少女から目を離した。


「……どうして、僕なんだ」


 誠二は再び疑問を投げかけた。

 ここまで初対面の少女に固執される理由を、誠二は自分に見つけられずにいた。




「運命だと思ったから」




 少女は言った。


「……はっ」


 論理的でない少女の言い分に、誠二は思わず鼻で笑ってしまった。


「……君が良いならそれでいい。じゃあ今度の休み、君のご両親に挨拶に行こう」


「……それは大丈夫」


 どうして、と聞きかけて、少女がパパ活女子であることを誠二は思い出した。

 パパ活だなんてくだらないことで生計を立てているだろう少女に対して、両親へのこの口振り。誠二は、少女が家庭事情を抱えてこんな真似をしていることを悟った。


「君、まだ未成年だろ?」


「うん」


「未成年者の結婚には両親の同意がいる。結婚出来ないね、僕達」


「え、そうなの……?」


「そうだよ」


 少し世間知らずらしい少女の相手も疲れて、誠二は再びベッドにうつ伏せに倒れた。


「少し寝たらここを出よう」


「え?」


「ウチに案内する。そこに寝泊まりすると良い」


「……ありがとうございます」


 少女は深々と頭を下げたが、誠二は目を瞑っていたから気付くことはなかった。


「僕は明日……もう、今日か。今日も仕事だから、それまでは好きに家で寛いでいると良い。何なら、家の物を持ち逃げしても構わない」


「しないよ、そんなこと」


 してくれれば良いのに、と誠二はぼんやりと思った。


「……そう言うことだから、おやすみ」


「……あ、おじさん」


 少女の言葉に、誠二の返事はなかった。


「……自己紹介。まだしていない」


 誠二はやはり、少女の素性に対してそこまで深い興味を示すことはなかった。

 この少女を匿うことの一番の理由は、自分を破滅に導いてくれるからに違いないという考えからに尽きたから。


 だから、結婚の約束までしているものの、特別な感情なんて一切なかった。


 そして、それは少女も変わらない。


 政略結婚に近い間柄の二人。


 そんな前途多難な夫婦は、これからどんな人生を歩んでいくのか。

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