自己紹介

 お昼ご飯はアウトレット傍のデパートに入っている有名チェーンファミレスにて済ませた。注文したドリアを、誠二は半分ほどしか食べることは出来なかった。

 それから二人は、デパートを後にした。


 これからどこに行こうか。

 誠二はてっきり、少女がそんな提案をしてくるものだと思っていたが、意外にも少女は誠二にその言葉を投げかけることはなかった。


「これから、どうする?」


 だから誠二は、少女に尋ねた。まだまだ午後は長いから。だから、まだまだ遊べるだろうと、そう言いたかった。


「うーん」


 少女は笑顔だった。しかしその笑顔に微かに戸惑いが見られた。

 誠二はその戸惑いに気付かなかった。

 それは、誠二が他人に思慮深い人でなかったから。




 そして、二人がまだ他人だから。




 実に、二週間もの時間を二人は同居してきた。始まりは邪なものだった。誠二に身を売ろうとする少女と、それに応じ……応じた上で、何も奪わず、むしろ奪って欲しいと誠二は少女を匿った。


 あれから、二週間。


 二人は未だ、互いのことを何も知らない。




「じゃあ、海に行こう」




 ただ、知らないからこそ、誠二は少女にそう提案出来たのだった。


 ただ、自分が海を見たいだけだった。

 海岸沿いのこの商業街。たった数キロ歩けば、見えてくるその海のことを、誠二はこよなく愛していた。


 母なる海。

 生命の誕生源と言われるそこのことを、そう呼ぶ人は少なくない。


 でも、誠二が海のことを好きなのは……波音が好きだったから。ただ、それだけだった。


 ここまで来たのだから、海を見て帰るのも悪くない。

 そうすれば、明日からもまた頑張れる。


 海を見終わって、帰りの電車の中ではそんな気も忘れていようものなのに。

 翌朝、体が重くて、行かなければ良かったと思いそうなものなのに。




 今。




「海に行こう」




 誠二は、海に行きたいと思った。




 少女は、戸惑った。


 さっき、ランジェリーショップから出て来て、ベンチで寝ている誠二を見つけて。


 少女は、遠くまで誠二を連れ回したことを後悔していたから。




 少女は、献身的で抜けていて……そして、他人を慮れる人だった。


 だから、後悔をした。

 日頃、辛そうな顔をしている誠二を連れ回し、疲労を蓄積されるような真似をしてしまったことを、後悔したのだ。


「いいの?」


 だから、誠二にそう尋ねた。




 二人は、まだ相手のことを、何も知らない。




 だから誠二は、首を傾げるのだった。




「どうして、駄目なのさ」




 日頃、辛い思いばかりをしてきた誠二だからこそ、今を……楽しい今を、楽しまないでどうするのだ、とそう思っていた。


 楽しい時間がいつ訪れるのかはわからない。

 辛い時間がいつ訪れるのかはわからない。

 辛い時間が、いつ終わるのかもわからない。


 ただ、一つ。


 誰もが知っていること。




「時間は有限なんだからさ」




 失った時間は取り戻せない。

 時間は、限られている。




「今を楽しまないと、損だろう?」




 少女が見てきた誠二の顔は……いつも、死にそうな顔だった。


 死にそうで。

 目を離すとどこかへ行ってしまいそうで。


 別に、いなくなって困るような人ではないのに。




 なのに、少女は誠二が心配だった。


 


 理由はわからない。


 でも、思ってしまったものはしょうがなかった。


 だから、少女は誠二より遅く寝て、早く起きようと決意した。多分、始まりはそんな感じだった。




 ……そんな誠二が見せた、その笑顔。

 抜け殻のような失笑ではなく。

 自嘲するような苦笑ではなく。




 今を楽しんでいる、誠二の笑顔。




 それは、少女が初めて目にする誠二の顔だった。




 二週間目にして初めて目にする、新たな誠二の一面だった。




「うん」


 少女は頷いた。


「じゃあ、行こうか」


 二人は、海岸までの道を歩き出した。


 穏やかな昼下がり。

 平日昼間の、休日よりも車が少ない道路。

 ガラス張りのテナント。


 まもなく見えてきた、防災林。


 その向こうにある海岸を想い、誠二は心が躍った。




「おじさん、二十五歳って言ったよね」




 少女は言った。


「うん? うん。言った」


 ……それは。




「じゃあ、粟飯原さんと同い年だ」




 二人の、初めての相手を知る時間。




「へえ、そうなんだ」



  

 二週間を経て、二人はようやく相手を少し知る。




「粟飯原さんとは、どこで知り合ったの?」




 きっかけは、相手の新たな一面だった。




「……お仕事関係、かな?」




 知らない一面を知り。

 相手のことを知りたいと思い。


 そうして、二人は互いのことを知っていく。




「へえ、モデルとか?」




 その過程を経て、互いは互いに惹かれていく。




「まあ、そんなところかな」


「へえ、凄いんだね。まあ、君可愛いし、それくらいしてても違和感ないよ」


「そうかな? えへへ」




 それはまさしく、これから愛を育む夫婦のそれだった。




「そんな仕事してたんだ。あはは。凄いなあ……えぇと」




 ……ただ結局、結ばれるか否かは正しい過程を築けるかによる。




 互いに寄り添っていけるのか。

 互いに向き合っていけるのか。




 互いに、理解し合っていけるのか。




「……そう言えば」




 ただ、幸いにも。




「僕、二週間も経つのに、君の名前、知らないや」




 誠二はようやく、気付くのだった。




 少女は、目を丸めていた。


「今更?」


 そして、笑った。気付いてくれたことを嬉しそうに、笑うのだった。


「ごめん。うっかりしてた。本当に」


 気付けば、誠二は謝っていた。


「今からでも、教えてくれない?」




「嫌」




 少女の言葉に、誠二は驚いた。




 しかし、どうやら少女は……心から誠二に名前を教えたくないわけではないらしい。




「まずは、おじさんの名前から教えてよ」




「僕から?」


 そう言えば、誠二もまた、少女に名前を告げていなかった。


「うんっ」


 少女は、微笑んだ。


「レディーファーストだよ」


「それ、意味逆だね」


「良いから、教えてよっ」


 少女は、怒った。




 誠二はいつか思った。


 たった数百円で終わる人生にも関わらず、まるでロボットのように人間としての機能を投げ捨てる自分を見て、思った。

 何てくだらない人生なのだ、と。


 少女の見せた微笑みは、まるで自分とは真逆の人生を歩いていると言っているように見えた。

 

 笑って。喜んで。楽しんで。怒って。


 人として大切な物を持つ少女は、自分とは真逆だと思ったのだった。




 そんな少女のことを、誠二は少しだけ羨ましいと思うと同時に……、


「三浦誠二」


 その大切な物を、失って欲しくないと思うのだった。


「三浦誠二さん」


「うん」


「じゃあ……誠二さん」


 少しだけ、背中がむず痒かった。


「うん。……それで、君の名前は?」




 少女は、少し照れくさそうにしていた。




「西園寺」




 そして、静かに呟いた。






「西園寺美空」






 さざ波が、二人を迎えた。

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