散髪
家を出て、二人はしばらく道を歩いた。朝のこの時間は、丁度高校生くらいの子供達が通学をする時間帯になっていた。
この場所に住み始めてから、この時間に家を出ることも珍しくなっていた誠二にとって、高校生に交じっての散歩は少しだけ気恥ずかしいものがあった。
しかし、まだまだ若い高校生を見ていると、かつて同じくらいだった頃の自分の姿が瞼の裏に浮かんでは消えていくのだった。
高校生達をよく見ていると、誠二は彼らが身に纏う制服が、隣を歩く少女が着ている物と似ても似つかないことに気が付いた。
今更ながら誠二は、彼女がこの辺の学校に通っているわけではないことを知ったのだった。
「ねえ」
そんな感じで高校生達に目を奪われていると、冷たい声が誠二の隣から聞こえてきた。
誠二は、声がした方をゆっくりと見た。そこにいたのは、勿論少女だった。
「どうした」
何やら目を細めている少女に、誠二はどうして彼女が今そんな素振りをしているのか皆目見当もつかなかった。ただ何となく、不機嫌そうなことは辛うじて察することが出来た。
「なんだ、お腹でも痛いのか?」
聞き返しても返事がない少女に、誠二は再び尋ねた。しかし、やはり少女の返事はない。
「……わからないの?」
ようやく話した少女の言葉に、誠二は首を傾げるのだった。
「若い女の子に目を奪われてさ」
見当がついていない様子の誠二に、少女は唇を尖らして言った。
「若い女の子? 君も若いだろう」
「そうだけど……」
言い返されたことに少女は言葉を濁した。
「なんだ。嫉妬でもしたのかい」
図星かのように目を見開いた少女を他所に、誠二は笑い出した。
「そんなわけないか。俺のこと好きになる奴なんてそうはいない」
「……何それ」
少女は不服そうに俯いていた。
しばらく、無言の時間が二人に流れた。生憎、誠二は少女の様子に気付いていなかったし、不貞腐れる少女が誠二に口を開く理由もなかった。
沈黙が破られたのは、誠二の一言からだった。
「で、どこ行く?」
まもなく駅に辿り着く、そんなタイミングでの発言だった。
「買い物に行くんでしょ?」
「そうだ」
買い物に行くことに同意して、誠二はふと気付いた。
「まず、コンビニに寄って良い?」
「何買うの?」
「いや、買い物はしない」
「じゃあ、何しに?」
「お金を下ろしに」
誠二の財布の中には、持ち合わせがあまりなかった。
さっきまでの威勢とは裏腹に、雲行きが怪しくなりつつあるお出掛けに、少女はため息を吐いていた。その隙に、誠二は駅前のコンビニに入店。ATMに立ち寄って、そこでお金を下ろして、誠二はふと気付くのだった。
「そう言えば、夕飯の食材の費用とかどうしてたの?」
コンビニを出て、外で待っていた少女に近寄って、誠二は尋ねた。
元々、誠二の冷蔵庫の中身はすっからかんだった。にも関わらず、彼女を匿ってから数日、誠二は深夜に家に帰るといつだってリビングには夕飯が準備されていた。
食が細くなりつつある誠二が、それを完食出来た試しは未だにないが、それはさておいて。
あの食材費。思えばさっきのコート、スーツのクリーニング代も。
その資金は、果たしてどこから出ているのか。
誠二の財布からではない。誠二はこれまで、仕事のことで頭が一杯でそんな大切なことを覚えてすらいなかった。
であれば、答えは明白。
「あたしの財布から出してた」
「えっ」
思い当たっていた答えなのに、誠二は驚いてしまった。
相手は未成年。高校生。かつパパ活をするような生活が困窮しているような子。そして、家出をしてきてどこの馬の骨かもわからない人の家で生活するような子。
そんな子供がまさか自分の生活費を肩代わりしてくれていたなんて、誠二は自らの情けなさ、甲斐性のなさに直面させられ、しばらくすると驚きも消え、ただ落ち込むのだった。
「……なんか、ごめん」
「いいよ。その、お部屋に勝手に住まわせてもらっているわけだし」
確かに、と誠二は思ったが、少女を部屋に招き入れたのは誠二からだったことを思い出すのだった。
「今返すよ。どれくらいかかったんだ?」
「い、いいよ。大丈夫だよ」
慌てる少女に、誠二はバッグに仕舞い直していた長財布を取り出して、諭吉を数枚掴んでいた。しかし、丁度そんな光景を通行人に見られていることに気付いた少女が誠二の腕を引いて歩かされたために、誠二は財布をバッグに仕舞い直すことを余儀なくされた。
「いきなり歩く出すのは危ないから、次から止めてくれよ?」
「あのままあそこにいたら、お巡りさん来てもおかしくなかったんだからいいじゃん」
唇を尖らす少女に、誠二は首を傾げるのだった。誠二には少女の言うことがイマイチ見当がついていなかった。
「……まあ、わかった。食材費の件は後で払うことにして、どこで買い物をしようか?」
強情な少女に、誠二は一先ず食材費の返金の件は引っ込めることにした。その代わりの話題は、お出掛け先のこと。
駅の券売機の方へ歩く少女に続いて、誠二は彼女の答えを待った。
「……買い物だけどさ」
少女は、券売機でパネルをタッチしながら続けた。
「思えば、こんな朝早くから開いてるお店ないよね」
ただいまの時刻、朝の八時。
「確かに」
誠二は、思い付いた。
「なら、少し遠くの駅に行くか」
それであれば、電車に揺られている時間を調整できる。遠出も出来て、気分転換にはもってこいだと思ったのだ。
「遠出するの、疲れるよ?」
少女の台詞は、誠二の身を案じていると言うよりは、今の誠二では無理だと言っているようだった。
「じゃあ、どこへ行く?」
誠二が尋ねた丁度その時、少女も切符を買えたらしい。誠二はICカード乗車券があるので、切符の購入は不要だった。
「まずさ」
切符を買った少女は、何故か誠二の目の前まで迫っていた。
少女はつま先立ちをして、誠二に顔を近づけた。
ぼーっと、現状を眺めていた誠二は、少女の顔が急接近したことで、我に返ったのだった。
少女は顔を止めた。
そして、腕を伸ばし、誠二の髪先を触るのだった。
「最後に髪切ったの、いつ?」
「……え」
色々な感情が渋滞していた誠二だったが、まもなく少女の問いかけの返答をしなければと思い至った。
しかし、回答は出来なかった。
それは、羞恥による緊張だとかではない。最後にいつ髪を切ったのか、の回答に目星が付けられなかったからだ。
早朝に会社に向かって、深夜に帰って来て。休日も仕事をして。
プライベートの時間が激減していた誠二は、思えば随分と髪を切っていなかった。
「髪、切りに行こうよ。早いところなら、もうやってると思う」
「……うん」
食材費の件と言い、散髪の件と言い。さっきから誠二は、少女にリードされっぱなしだった。
これでは自分は形無しだな。
そう思わざるを得なかった。
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