美容室

 電車を十分くらい乗り継いで、辿り着いた駅は誠二が立ち寄ったことがないターミナル駅だった。田舎者丸出しのように、誠二は見慣れない駅構内をキョロキョロ見回していた。通勤ラッシュとほぼ同時刻のため、スーツ姿の男女が駅構内を足早に行き交っていた。


「こっち」


 誠二は、人波に呑まれそうになっていた中、少女に手を握られ引っ張られ後に続いた。

 まもなく改札を出ると、外には見上げてようやくてっぺんが見えるくらいの高いビルが何棟も並んでいた。少女曰く、この辺はビジネス街なのだそうだ。


 そんなビジネス街のどこに美容室があるのか。

 そもそも、千円カットで構わないのに。


 そんな疑問と不安を同居させながら、誠二は久々の外出を楽しそうにしている少女に何も言う事は出来ず、ただ後に続いたのだった。


 まもなくやって来たのは、誠二の目が一瞬眩んでしまいそうになるくらい、浮世離れした……または、誠二が入店するには些か似合わないような、オシャレな美容室だった。ガラス貼りの店内から見えるのは、シックな木の壁紙。髪をいじるのに使用する高そうな機材もいくつか見受けられ、座椅子、鏡は新品同然のように手入されている様子だった。


「ここ、通ってた美容室なの。忙しい時とか、頼めば開店前から髪切ってくれたから多分大丈夫」


「そうなの」


 幾ばくかオシャレな美容室に気圧されていた誠二は、曖昧な返答をしたのだった。


「ていうか、馴染みのお店になんて来ていいの?」


 が、すぐに気付いたのだった。

 眼鏡。マスク。最初は帽子まで被ろうとしていた癖に、馴染みの美容室になんて来て顔バレしても良いのか、と誠二は言いたかった。


 少女は、意味がわからないと言った感じに首を傾げるのだった。


 おっとりしている雰囲気は感じていたが、どうやらこの少女、かなり抜けているらしい。

 仕方なく誠二は、少女に自らの状況とこの美容室に来店した場合のリスクを説いた。


「あ、そっか」


 少女は気付いた。少し慌てているようでもあった。オロオロとしながら、どうしたものかと狼狽えていた。


「……ここに入店するのは止めよう。俺も変な気疲れをしそうだ」


 その気疲れは、誠二にとっては日頃の仕事の辛さと双璧を成すくらい、嫌なことだった。


「そ、そうだね。そうしよう」


 同調した少女。二人は一緒に踵を返して、適当な散髪屋を探そうと決心したのだった。


「あれ」


 が、そうは問屋は卸されなかった。

 美容室の前の通りのゴミ捨て場。そこに立ち寄っていたであろう、ジーンズとワイシャツを身に纏ったスタイルの良い女性。

 その女性は、少女の顔を見るや否やそんな声を出したのだった。


「……あ、粟飯原さん」


 どうやら少女の顔馴染みらしい。

 誠二はその場で、乾いた笑みをこぼした。居た堪れない気持ちになっていた。


「どうしたの? また髪、切って欲しいとか?」


「えぇと……まあ、そうです」


「へえ、でも最後に来たの……二週間前くらいじゃなかった? あたし、なんか失敗しちゃった?」


「ああいや、切って欲しいのはあたしじゃなくて……」


 少女と粟飯原の視線が、誠二に注がれた。誠二は再び苦笑した。


「この人は?」


 粟飯原は、まず誠二の素性を気にしているようだった。

 当然の疑問だと、誠二は思った。


「え」


 しかし、少女にはそれが当然ではなかった。少女は、固まった。


「どうかした?」


 首を傾げる女性。

 居た堪れない誠二。


 誠二は、思っていた。


 少女は一体、なんと言うつもりなのだろうか。

 このまま、全てを話してしまうのだろうか。であれば、晴れて誠二は社会的に抹殺されることになる。まさかこんな形で悪行がバレるだなんて予想していなかったが、悔いはなかった。


 このまま、夫です、とでも言えば、誠二は恐らく社会的制裁を受けることになるのだろう。


 少女の出した答えは、




「兄です……」




 嘘をつく、だった。


 いやそれは無理がある、と誠二は思った。とてもじゃないが兄妹には見えないだろう。客観的に見て。

 誠二は行く末を見守った。全ては粟飯原の裁量に委ねられていた。


「あ、そっかー」


「認めるんかい」


 思わず誠二は口に出して突っ込んでしまった。


「え?」


「ああいや、こんなズボラな格好の僕と妹だと、一旦突っ込みそうなものなのになあって思って」


 慌てて、誠二は釈明に走った。顔を引きつらせながら、弁明の言葉を並べた。

 弁明に効果がなかったのか。


 粟飯原は、一歩一歩誠二に近寄って来た。

 カツカツ、とヒールの音が誠二の鼓膜を揺さぶった。


「へえ、確かに。随分と髪長いですもんね」


 粟飯原は、誠二を断罪するわけではなく、誠二の髪をひとつまみしそう言うのだった。


 整った粟飯原の顔が間近にあること。

 なんだかよい香りが粟飯原から漂っていること。

 そして、前後の展開。

 

 誠二の心臓は一つ跳ねて、顔に供給された血液が湯沸かし器のように熱を注いで。


 誠二は、顔を真っ赤にして硬直していた。


「いつから散髪していないんですか?」


「……ああと」


 照れて、誠二は上手く言葉を紡げなかった。


「三か月前だってっ」


 答えたのは、少女。適当な日数を怒りながら言っていた。


「仕事が忙しくて……」


 苦笑しながら、誠二は言った。


「身だしなみは整えないと駄目ですよ。それだけで相手の印象が随分と変わるんですから」


「あ、はい」


 誠二は普通に怒られた。


 ただ、誠二としては頷ける話でもあった。

 誠二はいつも、こうしてたまの休みを手にしても、部屋の掃除にしか時間を割けずにいたのだ。身だしなみは二の次にしてきたが、それは見る人から見たらズボラ、と言われてもおかしくはないのだ。

 もしかしたらそれが、誠二の上司の琴線に触れて怒りを買っていたのかもしれない。


 と、思ったが。


 身だしなみ一つでオーバーワークを与えられ、ダブルスタンダードで叱られていたら、溜まったもんじゃないな、とすぐに気付いた。


「とにかく、お兄さんの髪を切りましょうか」


 すっかりやる気の粟飯原さんに、誠二と少女は最早断る言葉を見つけられなかった。ここで断った方が、話としては不自然なのだ。


「よ、よろしく」


「こちらこそ」


 二人は、粟飯原に続いて美容室に入店した。

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