仕事か家族か

 浜田の尻拭い。自分の業務。

 二つを終わらせるため、誠二は一徹をした。

 誠二は、徹夜は好きではなかった。寝不足でいつも気だるい体が、より一層重く感じるから。


 ただ、仕事を終わらせないわけにはいかない。


 そんな責任感のためだけに体を投げ打って、得られるものは罵声のみ。

 幾分か苛立ちもあったが、今は何よりも休みが欲しかった。


 が、まもなく翌日の始業時間がやってくるのだった。


 今日も今日で、休むわけにはいかない程度の仕事が誠二には溜まっていた。だから、帰ることも出来ず、誠二はいつもの朝礼のため、立ち上がったのだった。


 おはようございます。

 あまり活気のない設計部署から、ポツポツと声が漏れた。


 そしていつもの、上司のためだけの今日の作業の連絡、を部署メンバーがしていくのだった。


「今日は、昨日の事後処理をします」


 聞き慣れた声に、誠二は顔を上げた。

 サバサバした口調で、悪びれもなくそう言ったのは、昨日休暇を利用した浜田だった。


 昨晩……と言うか、今日の朝三時頃。

 金型の修正を終えて、寸法が出たことを確認して、成形現場では部品の量産が始まっていた。後は、梱包して出荷するだけ。

 果たして、浜田は何を事後処理するのだろうか。


「もう全部終わって、量産も始まってますよ」


 何も言おうとしない上司に代わり、誠二は現状報告を浜田にした。


「おっ、それじゃあ客先に連絡しないと」


 お礼の言葉もなく、浜田は一件が解決していたことを喜んでいた。


 勿論、それを咎める人は、いなかった。


 早朝のデスク。

 浜田の席から、談笑の声が漏れていた。量産がそろそろ終わり、今日にもタイ向けに出荷出来る旨を話しているようだ。


 誠二は、浜田の二の舞にならないように、自分の仕事に集中するのだった。


「三浦ちゃーん」


 しばらくして、誠二は浜田に呼ばれた。


「なんです?」


「修正後の金型の測定、した?」


「いいえ、していません」


「えー、困るよー」


 浜田は言った。多分、客先に改善報告書を送るように言われたのだろう。完全に金型はもう問題ありません。そう言い切るためには、金型の修正前と後の測定結果を並べて見せるのが一番手っ取り早くわかりやすい。


「自分でしてくれば良いのでは?」


「だって、今量産中じゃーん。修正終わってすぐしかタイミングなかっただろ?」


「自分の設計もあったので。そもそも、それなら昨日の内に測定部署に依頼しておけばよかったんじゃないですか?」


「いや俺、昨日休みだから」


 だったら自分は部外者だ。

 誠二は言葉には出さずとも、浜田を睨みつけるのだった。


 さすがに言い過ぎたと思ったのか、浜田は態度を翻した。


「だって、嫁が熱出したんだもん」


 そして、釈明を始めるのだった。

 急ぎの仕事があったとして、仕事を取るか。家族を取るか。


 そんなの家族に決まっているだろう。


 浜田はつまり、そう言いたかったのだろう。


 家族思いな人だが、同時に仕事に不誠実な人だ。

 誠二は思った。


「まあ、とにかく後はお願いします。量産終わって金型を成形機から降ろしたら、金型バラシてもらって測定したらどうです?」


「えー、でも今日出すって言っちまったんだよー」


 知ったことか。

 誠二は、自分の仕事に戻るのだった。


 まもなく、誠二は浜田から告げ口された上司に叱られた。


 どうして修正が終わった後に測定をしなかったのか、と。


 そもそも、測定は誠二の仕事ではないし、あの金型を測定する手番もなかった。誠二はそう反論した。


 誠二は、お前には責任感が足らない、と上司にそう言われるのだった。


 それを言うなら、量産部品の品質トラブルを出した浜田の方が責任が重いだろう。更に言えば、誠二達を統括する上司の方が、責任が重いだろう。


 胸糞悪い気持ちだった。


 ……ただ、ふと思うのだった。


 暗黙の了解として、家族の看病のために仕事を放棄して休んでお咎めなしの浜田を見て、誠二は思ったのだった。


 仮に誠二に気の置けない家族がいたとして。

 その家族が、熱を出したとして。

 誠二が会社を休んだとして。


 果たして上司は、誠二を責めないのだろうか。


 そもそも自分は、会社を休むのだろうか。


 家族と仕事と、どちらを優先するのだろうか。


「……なんだかんだ、仕事な気がする」


 仕事が遅れたツケを、誠二は何度も味わってきた。

 客先に叱られ。上司に叱られ。

 心を病み。食も細くなり。人間としての機能も薄弱になり。死んでも良いとさえ思っている。


 誠二にとって仕事とは、つまりはトラウマなのである。


 仕事の失敗とは、鋭利なナイフでめった刺しにされるようなもの、なのである。


 だから誠二が、命を賭してでも、家族を選ぶはずなどないのだ。


 少なくとも誠二は、そう思っていた。




 確認する術は、ない。




 生憎誠二には、都合よく熱を出してくれるような家族はいなかった。

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