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 朝、誠二を見送って六畳の部屋に、独りぼっち。

 

 誠二はいつも、出掛けた日の内に家には帰ってこない。いつも、日を跨いで少しした頃、彼はようやく家に舞い戻る。ご飯を食べて、僅かな時間眠りについて、疲れ切った顔で家を出ていく。


 彼と美空が会話出来る時間は、休みの日でもない限り中々ない。ただ、その休みの日だって、先日の休業日を最後に彼に巡ってきた試しはない。


 ようやく名前を知り合えたのに、それ以上の前進はない。

 まもなく、二人の出会いから三十日。つまり、一月が経とうとしている頃のことだった。


 プライベート用のスマホに、誠二からの業務連絡のような一徹宣言をされたのは、お昼ご飯を美空が食べて、少しした頃だった。


 激励の連絡こそしたものの、果たしてそれが誠二にどの程度救いになったのか、美空は推し量ることが出来なかった。


 所謂、ブラック企業。

 誠二の勤める会社がそれだとわかるのに、美空はそう時間を要することはなかった。


 誠二に求婚をしたあの時は、もっと生活が退廃的なものになると美空は思っていた。退廃的で、肉欲にまみれ、召使いのように都合よく利用されるだけの生活になると思っていた。

 恐怖はなかった。

 知らない男の家にノコノコ付いていき、その男の欲求の捌け口にされようが、別にどうでも良いと思っていた。




 むしろ、そうなれば良いと美空は思っていた。




 ただ生憎、人としてギリギリのところで生きている誠二にはそんな余裕などありはしなかった。

 寝て、起きて、仕事に行く。


 単純かつ明快な誠二の一日。されど、辛い一日。


 その一日に巻き込まれ、美空は彼の人生はなんとつまらないのだろうと思った時期もあった。

 彼の元から、去ってしまおうかと思ったこともあった。


 それをしなかったのは何より、いつか自分の元から去るだろう、と誠二に指摘されていたことが大きな要因だった。

 つまらない人生を歩む誠二に見透かされるのは、ただ癪だった。


 ただ、心変わりしたのはいつ頃だったか。


 破滅的な思考をしている自分より死を望む男を見て、どうにか出来ないだろうか、と見返してやりたくなったのは、いつ頃からだっただろうか。


 自らのルーティンであるヨガに勤しみながら、美空はここ一月の自らの気持ちを整理していたが、答えは見えそうもなかった。




 ただ、明確なことがある。

 初対面の時、バスタオル姿を晒しても襲うこともなかったこと。

 ダブルスタンダードな上司に文句こそあれ指示に従うこと。

 そして、疲弊しきっている時の彼の思考力の低下具合。


 美空は誠二のことを、まるで機械のようだと思っていた。人間の指示通り動き、人間の無茶な指示を叶え、人間の指示が叶えられなくなれば廃棄される、そんな鋼鉄の塊だと思っていたのだ。

 だから美空は、そんな機械のような誠二に初対面で、自らの無責任さを指摘され敵視の感情が湧いたのだ。


 契機があるとしたら、それはやはりあの休業日。


 あの時の誠二の素直で愚直な微笑みを見て、美空は彼が血の通った人間であることを理解した。




 彼が血の通った人間であると知ったからこそ……美空は、少しでも彼をサポートする術はないのか、と思ったのだった。見返すのではなく、サポート出来ないのか、と思ったのだった。


 一徹し、そうして誠二はまた通常業務もこなすこと。その後、深夜まで残業することは、想像に難くなかった。

 そうであるなら、帰ってきた時に、彼に何か出来ることはないのだろうか。


 ヴルクシャーサナを止めて、息を整えて、美空は思考を巡らせた。

 そして、思い付いた。


 超長時間労働を終えての帰還。

 恐らく、帰宅してきた時の誠二の疲労具合はこれまでの比ではないだろう。


 寝る時間も限られているし、それを妨げるようなことはしたくない。マッサージのようなリラックス行為であっても、だ。


 誠二が寝るまでにする行いは、何なのか。


 それは、シャワーとご飯を食べること。


 シャワーは手短に済ませる。

 ご飯も食が細くそこまで目一杯食べることはない。


 ただ、目一杯ご飯を食べることはなくても、好みの食べ物の一つくらいはあるだろう。


 生憎美空は、誠二の好物が何かは知らない。


 ただ、明日まで時間があるのだから、数うちゃ当たる作戦の一つくらいなら、している暇はあるだろう。

 もし一品でも誠二の好みの食べ物があり、二日かけて溜め込んだストレスを多少でも和らげることが出来るのなら、それに勝る喜ばしいことはなかった。


 早速、美空は考えた。果たして、何品くらい料理は作れば良いのだろうか。

 そう思って美空は、抜けている豪快な一面を覗かせた。


「よし、十五品作ろう」


 美空は財布の中身を確認した。

 休業日以来、誠二からは食費として毎週一万円を手渡されていた。食の細い二人の料理を賄うには、十分な額だった。


 しかし、十五品料理を作るには足りない額だろう。


 であるなら。


 美空は、自らの貯金からお金を出すことを決意したのだった。


 そうと決まれば、行動あるのみ。


 ルーティンのヨガも終えて、美空は買い物に繰り出した。

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