葛藤
近くのドラッグストアが、幸い十一時まで営業していたので、誠二はそこで必要なアイテムを揃えて家へと帰ってきたのだった。
家に戻ると、美空はぐったりと眠っていた。
今更ながら、朝美空が起きてこれなかったのは、具合が悪かったからなんだ、と誠二は悟った。
「どうしてもっと早く気付けなかったんだ……」
思わず、誠二は美空を見ながら呟いていた。
そうであれば、処置ももっと早く出来たのに。
とにかく、後悔していても彼女が快方に向かう事はないと誠二は思った。
一旦、気だるそうにする少女を起こした。
「食欲、ある?」
「……ない」
「そうか」
誠二はレジ袋を漁った。
「じゃあ、せめてこれ飲んで」
手渡したのは、ゼリー飲料。蓋を取って、誠二はそれを少女に渡した。
「……ゆっくりでいいから」
「……ありがとう」
少女は、細いノズル部に口を付けた。そして、ゼリーを押し出してはゆっくりとそれを飲んでいった。
おおよそ、十分。
ゼリーを完食した少女を見て、誠二はコップに水を注いで手渡した。次いで、薬も。
「これも」
少女は黙って頷いて、薬を飲んだ。
あとは、安静にしているように誠二は言った。
辛そうに微笑んで頷き、少女はベッドに横になった。
「ごめん」
忘れていた、と誠二は買って来た冷えピタを少女の額に張り付けた。一瞬、少女が顔を歪めたが、まもなく冷たいシートにリラックスを始めたようだから、誠二は安堵した。
後は、寝かせておくしかないだろう。
そして明日の容体を見て……、誠二はさっきまでの疲れがどっと体に襲って来た。
「ふう」
溜息を吐いて、誠二は壁に寄りかかった。そして今日は、そのままこの体制で誠二は眠りについてしまうのだった。
次に目を覚ました時、誠二は自分が地べたで眠っていることに気が付いた。
時刻は朝の三時。
誠二は真っ先に、少女の容体を見に行った。
少女の顔は、まだ赤かった。息も乱れていて全快には程遠そうだった。
もう少し早く気付けていれば、少女の容体も違ったのだろうか。
そう思うと、誠二は再び後悔をするのだった。
「後一時間で仕事、か……」
ひとしきり後悔をした後、誠二は思った。
いつも通りなら、誠二は朝の四時に家に出る。
しかし、この状態の少女を置いて、仕事へ向かって良いのだろうか。
そう言えばつい最近、同じ部署の浜田が似たような理由で有給休暇を取得していたことを誠二は思い出した。
嫁が熱を出したため。
浜田はそう言って、品質トラブルで特急対応を要求されるような状況だったのにも関わらず、会社を休んだ。そして、誠二にその特急対応を強いて、後日業務のやり方に文句を付けてきた。
その時、誠二は思った。
仕事が遅れれば、メーカーにも上司にもたくさん叱られる。
その結果、いつだって辛い目に遭ってきた結果……。
誠二にとって、仕事はトラウマになり……仕事の失敗は、ナイフで刃傷沙汰になるようなものであるのだ。
だから誠二は、仕事へ向かう決意を固めたのだった。
恐らく、少女であれば……美空であれば。
そんな誠二のことも、笑って許してくれることだろうから。
「……腹減った」
仕事の準備をしながら、誠二は思えば三日くらい何も食べていないことに気が付いた。
そう言えば、昨晩、美空がご飯は冷蔵庫にあるから、と指さしていたことを誠二は思い出した。
献身的な少女に感謝しつつ……誠二は、会社に行くまでの残り時間でそれらを頂こうと思ったのだった。
冷蔵庫を開けて……。
誠二は、目を丸くした。
冷蔵庫の中には、たくさんの料理が入っていた。十品くらいはありそうか。
作り置き、と言うには、あまりにも多いその料理の数。
「なんだよ、これ」
誠二は気付けば、笑っていた。
たくさんの手料理。どう見てもそれは、スーパーの総菜を買って来たわけではなさそうだった。
誰がこんなに作ったのか。
言うまでもない、美空だ。
どうしてこんなに作ったのか。
それもまた、言うまでもない。
「馬鹿な子だな」
誠二は、笑いが止まらなかった。少女を起こさないように、静かに笑い続けた。
「こんな量、気晴らしでは作らないよな」
皿を一つ取り出して、誠二はレンジにそれを入れた。
レンジが料理を温めだすと……誠二の心も、不思議と温かくなっていった。
少女は、献身的な人だった。
だけど、少し豪快で、抜けていて……。
「俺の妻。……家族、か」
家族が熱を出した時、仕事を取るか。家族を取るか。
仕事は……特急対応を要求される。さっさと進めないと、叱られ、心を病み、食もより細くなり……トラウマしか、誠二にはない。
美空なら、誠二が仕事を選んでも何も言わないだろう。笑って、今日の仕事はどうだった、と尋ねてくるくらいだろう。
だから、誠二はそれに甘えようと思った。
でも、果たしてそれで本当に良いのだろうか。
彼女は献身的で抜けている。食の細い誠二のために、たくさんの手料理を作ってしまうくらい、抜けている人だ。
日頃仕事で疲れている誠二のために、頑張ってくれる人なのだ。
そんな彼女が病気の今、仕事になんて行っていていいのだろうか。看病しなくて、良いのだろうか。
……誠二は。
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