第20話 一難去って

「この間、葵ちゃんにも謝られたよ」


「え、あおが? そう、あの子も……」


「おばさんも、葵ちゃんも、謝る必要なんてない。悪いのは全部」


 さすがに言えなくて、目を逸らした。自然と顔が曇ってしまう。

 しまい込んだ言葉の代わりに、一つ長く息を吐きだした。


 俺にとっては、最低最悪の相手。それでも、この人にとっては大切な娘なのだ。だからこそ、こうして謝ってくれているわけで、それは理解している。

 でも子の不始末は親の責任なんて、ある程度の年齢までだろう。少なくとも、俺はそう思う。


「はっきり言ってくれて大丈夫。間違いなくあの子が悪い。人として、やってはいけないことをしました。でもね、それでおしまいってわけにはいかない。私はあの子の母親だから、一緒に償わないといけないし、過ちを正さないといけない。見捨てて、突き放すことなんてできないのよ」


 おばさんが重々しく話すのを、俺はただじっと聞いていた。その痛々しい姿から決して目を逸らさずに。息苦しさを必死で堪えながら。

 眉間に刻まれた皺はとても悩ましく、真摯さがひしひしと伝わってくる。最後に会ったときよりもめっきり老け込んだ……なんて、思ってはいけないだろうが。


 基本的には、おばさんはおっとりとして寛容な人だ。でも、締めるときは締める。的確な厳しさを持っていた。

 俺もあいつも葵ちゃんも、3人揃って何度も怒られてきた。付き合っているときにもよく愚痴も聞かされたから、それは健在だったんだろう。


 親以外で最も頼りにしてきた大人。子供のころからの付き合いだから、お互いに遠慮はなかった。

 第2の母親みたいにさえ感じていた。特にあいつとの付き合いにおいては、いろいろと相談に乗ってもらったりもした。


 その人が、今目の前でこんなにも申し訳なさそうに娘の罪を謝っている。未だに、苦しんでいる。

 ただやるせなくて、もどかしくて……悲しかった。


 あいつはそれだけのことをしでかしたのだ。その重大さが、最近になってよくわかった。だからこそ、どれだけ経っても許すことはできない。押し込めたはずの想いは、完全に解き放たれていた。


 そもそも、あの女にそこまでの自覚はあるのだろうか――


「もう、いいよ。おばさんの気持ちはよくわかったから。頼むから普通にして欲しい。これ以上、おばさんのそんな姿は見たくない」


「凱君……ありがとうね。なんであの子は、こんないい子を裏切っちゃうかな。なんていうか、ホントどうしようもない」


 おばさんは肩を落としながら、深いため息をついた。そして、小さく頭を振る。心の底から、呆れているようだ。


 さすがに、なんて言えばいいかわからず黙り込む。居心地が悪くて、つい視線もぎこちなくなってしまう。


「2人はずっと仲良くやって行けるって思ってたのに、どこで育て方を間違っちゃったのかなぁ」


 独り言のように呟く幼馴染の母親。

 その寂しげな表情は、ひどく印象的だった。ずっと忘れられないと思えるほどに。


 静まり返った部屋の中、俺はまた粥を食べ始めた。もうすっかり冷めてしまって、より味気なく感じてしまう。


 それでも、美味いことには変わりない。ひと口ごとに、心がじわっと暖かくなる。全身に染みわたっていくような感覚。

 なんだか、無性に懐かしい気分になってくる。おばさんの手料理は、いつだって美味かった――


「ごちそうさまでした」


「はい、おそまつさま。おいしかった?」


「ああ、とても」


「よかった」


 ほっと息をついて、ようやくおばさんの表情が和らいだ。初めからずっとどこかぎこちなくて、正直違和感しかなかった。


「いいよ、おばさんやるから」


 食べ終わった食器をもって立ち上がろうとしたら、すっと手で制された。


「いや、さすがにそこまでは……それにほら、もうだいぶよくなったし」


「ダメダメ。病人は黙って寝て居なさい。なんて、あんな重たい話を持ち込んでおいて、何言ってるんだろうね」


「いや、それは全然。むしろ、話せてよかったから」


「そう? だったらよかったのだけれど」


 少し微妙そうに笑って、おばさんはキッチンへと向かっていく。

 ほどなくして、水が流れる音が聞こえてくる。


 もっと早くに会えればよかった。

 それこそ、あの日、ちゃんと向き合えば――


 空白の期間を想うと、少しだけ心が曇る。

 今日という機会がなかったら、一生すれ違ったままだったかもしれない。だからこそ、心の底からよかったと思っている。

 もしかしたら、母さんは……いや、ないか。偶然こうなっただけだろう。


 俺もまた立ち上がる。部屋へと戻る途中、風邪薬を補給しながら。

 ああは言ったが、まだ少し身体の不調は残っていた。お言葉に甘えて、静養に努めよう。


「凱君、あおとは昔みたいに仲良くしてあげてくれると嬉しいな。最近よく連絡とっているらしいじゃない。こんなこと言うべきじゃないのはわかってるんだけど」


「いいえ、全然。俺にとっても、葵ちゃんは妹みたいなものだから」


「……ああ、なるほど。じゃあ、お大事にね」


 一瞬、妙な表情に見えたのは気のせいか。

 とにかく、リビングの入り口で言葉を交わしてから、俺は自室へと戻った。

 リズミカルな、食器を洗う音を聞きながら。



    ◆



 ピンポーン。


 インターホンの音で、意識が覚醒した。目覚めとしては、なかなか最悪の部類……ともかく、いったん起き上がる。


 少し待ってみたが、家の中に動きはなし。どうやら、おばさんは帰ってしまったようだ。ちょっと様子を見に来てくれただけだから、当たり前か。


 時間を確認すると、もう16時を過ぎている。それなりに眠りは深かったらしい。

 宅配便かなにかだろう。面倒だなと思っていると、もう一度インターホンが鳴ってしまった。


 半日近く寝ていたせいで、どうも身体が重たい。おかげで、朝感じた身体の不調は、もうほとんどなくなってはいるが。


 風邪とは別の気だるさに苦心しながら、まっすぐに玄関へと向かう。軽く身だしなみを整えつつ。

 サンダルを履いて、扉を静かに開けた。

 

 そして視界に飛び込んできたのは――


「あ、ごめんください。あたし、凱君のクラスメイトのきりか……」


 いつもより高い、完全に余所行きの声。相変わらずの丁寧な礼。文句のつけようのない着こなした制服姿。

 頭を戻すと、訪問者は完全に凍り付いた。浮かべたままの笑みは、次第に引き攣っていく。


 数秒、静寂の中で視線が交差する。


「なにしてんだ、お前」


 声をかけると、の雰囲気が一気に変わった。作り物めいた感じが消えて、ちょっと気だるげに。そして、どことなく不機嫌そうだ。


 でも、それはたぶん俺も同じ。一気にやるせない気分に襲われた。


 飛んでくるべきではなかった。

 せめて、一度インターホンの受話器を確認しておくべきだった。


 意味のない後悔。次があれば、必ずそうしよう。

 うんざりしながら、俺は大きく扉を開けた。

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