第25話 発見
その部屋は、俺から見てもものすごく殺風景だった。
必要最低限度の家具しか置かれておらず、そのどれもがシンプルなデザイン。可愛い小物のひとつもない。
持ち主の個性が表れているはずだが、あまりにもイメージと違い過ぎた。
女子の部屋と言われて、一番に思い浮かんでしまうのは、やはりあいつのだ。
山ほど通い詰めた。忌々しいが、鮮やかに記憶を呼び起こすことができる。
ああいうのが、たぶん平均的なこの年代の女子の部屋だろう。飾り気が多くて、派手で、物が雑多で……どれも今から思えば、というやつだ。
逆に良かったかもしれない。
がらんとしたリビングは、それ以上思い出すことを止めてくれた。あいつの部屋を最後に訪れたときのことを。
それでも、少しだけ胸が詰まった感じがする。
「どうしたの」
「いや、なんでもねえ」
「……そうですか。まあ、テキトーに座ってて」
言われて、俺はカーペットの上に直に腰を下ろす。
白い革のソファは新品みたいに綺麗で、少しだけ座るのに気が引けた。
部屋の主はキッチンの中にいた。
カチャカチャと何らかの作業中。こちらからでも、その姿がよく見える。
「何か飲む」
「いや、お構いなく」
「コーヒーでいいね。あたしのついでだから、遠慮せずどうぞ」
素っ気なくいって、桐川は電気ケトルのスイッチをオンにした。
カップを2つ用意すると、スプーンでそれぞれにインスタントの粉を入れていく。
――ふと目が合った。
なんとなく気まずくて、こちらから目を逸らす。
座り直し、完全に相手に背を向ける。
失礼だとは思いつつも、部屋の中を改めて見渡してみた。
今日の服装と同じように、家具は白いものがおおい。好きな色なんだろうか。あるいは、こだわりがないだけ。どちらにせよ、学校内の桐川ひめのからすれば違和感しかない。
無言の時間が終わりにしたのは、カチッという小気味いい音だった。
その後、コポコポとカップにお湯が注がれる音が聞こえてくる。
「お待たせしました」
「どうも」
「砂糖と牛乳は……要らないね」
「おう、ありがとう」
きっちりソーサーに載せて、家主はカップを運んできた。これまた白い陶器で、どこか値が張りそうに見える。
テーブルに静かに置くと、奴はキッチンに戻っていった。
湯気が上がり続けるのをぼんやりと見ながら待つ。
誰かの家でこんな待遇を受けるのは、本当に久しぶりのことだ。正直、先ほどからずっと気持ちは落ち着かない。
ようやく現れた桐川は、こちらが要らないと言ったものを持っていた。
……容赦なく黒い液体に異物を投入されていく。
カフェオレというにはあまりにも暴力的過ぎるような。
「なにか」
「いや。甘いのが好きなんだな」
「苦いのが嫌なの」
すげなく言うと、偏屈女はコーヒーカップに口を付けた。
にしても、だと思う。
いっそのことコーヒー牛乳でいいのでは、と心の中で呟いた。
「そうだ、これ」
突如始まったコーヒーを飲む時間も半分ほど過ぎて、俺はこの家に来た当初の目的を果たすことにした。
「……別によかったのに」
「そういうわけにはいかない。それにこれは、前にしてもらったことをし返しているだけだ」
鞄から取り出したスーパーの袋をそのまま、病気(仮)のクラスメイトに渡す。
中身は、以前こいつが見舞いに来たときにくれたものと同じもの。
ただし、果物はなんとなくバナナにした。栄養価が高いとどこかで見た覚えがある。
「ありがと。あと、わざわざ来てくれて」
「これで少しは借りも返せたな。まあでも、本当に必要なかったかもだけどな」
「……ううん、申し訳ない」
珍しく仰々しい言葉を吐いて、桐川は首をちょこんと曲げた。
何か事情があるんだろう。
さっきは冗談めかして言っていたが、あまりにも芝居がかり過ぎていた。
ちょっと行くのが面倒くさくて、なんてレベルの話じゃなさそうだ。
隣席の立場から見て、転校生の学校生活は非常にうまくいっているように見えた。
クラスメイトとの付き合いも円滑で、人間関係には困っていなさそう。今朝だって、こいつを心配する奴が確かにいた。
でもそれは、表向きにはなんて枕詞がつくのかもしれない。
本当にいつも通りだった。何の異変も、兆しなかった。
恋人からは変わらない愛を感じたし、親友からは確かな友情を感じた。
でも、一方的なものだった。そう見えていただけだった。
裏では酷い裏切りが進行していた。
偶然がなければ、きっと今も気づいていなかったとさえ思う。
人と人の繋がりなんて、複雑怪奇。表だけでなく、裏まで把握してそれでようやくスタートラインに立てる。
波風経っていない穏やかな海でも、水面下では獰猛な何かが
連中のことを知って感じたのは、怒りだけじゃなかった。
――恐怖だ。
どこまで他人に踏み込めばいいのか。そこに果てはあるのか。
今までの生き方が一気に揺らいだ。正しいことがわからなくなった。
結果として、中途半端な人間関係を築くことにした。
他人と深く向き合うことを避けた。
目の前には扉がある。
その俺が、おいそれと扉を開くわけにはいかない。
訊けば、答えてくれるかもしれない。あるいは、拒まれるかもしれない。
その不確かさはどうでもいい。問題は、その前提となる勇気を持てないでいることだ。
短い会話が終わって、部屋の中にまた沈黙がやってくる。
俺のカップにはまだ黒い液体が残っている。すっかりと冷め、覗き込まないとその存在は確認しがたい。
そのまま飲み干せば、この時間は終わりだろう。
顔は見たし、渡すものは渡せた。
だが、身体は自分のものではなくなったように動かない。
「聞いたよ、藤代さんから」
結局、均衡を破ったのはあいつだった。
「……何を」
「葵ちゃんって呼んだ方がよかったか」
「別にどっちだって構わねえよ」
「気づいてないんだ。アンタ、藤代って名前を聞いたらちょっと嫌な顔になる」
あっさりとした指摘に、思わず顔に手をやった。
全く自覚はなかった。だが、言われて妙に納得してしまう。
俺にとって、藤代と言われれば、それが指す人物は一人だけ。自分をこんな人間にしてくれた元凶の片割れ。
「仙堂って、意外と素直なところあるね」
そう言って、唐突に同級生は笑い出した。
何か微笑ましいように、つい頬が緩んだように。
「……カマかけたのか」
「半分はそう。でも、初めてのときはそうだった。何かあるなとは思ってたけど――元カノって、葵ちゃんのお姉さんだったんだね」
真剣な表情で、しっかりとこちらの目を見つめて、桐川ははっきりと告げた。
こいつって、こんなに綺麗な瞳をしてたっけ。つい、場違いな感想が頭に浮かぶ。
「……聞いたのか」
「聞いたというか、あれは……自爆?」
「そっか。――隠すつもりはなかったんだけどな。でも、話す必要もないかなって。俺が親友に彼女を寝取られたマヌケだって事実は変わらねえから」
「そんなことない」
静かな、でも力強い声だった。
相変わらず、視線はこちらを向いたまま。堅固な想いがひしひしと伝わってくる。
俺は思わず背筋を伸ばした。
「どんな事情があれ、浮気する方が悪い。された方が卑屈になるのなんて、そんなのおかしい。それは仙堂の価値を下げることじゃない。責められるべきは当人だわ。」
その口調には、珍しく熱が籠っていた。そして、確かな怒りを感じる。
実際、眉間には皺が寄り目元は厳しい。その目は俺を見ているのではなく。何か違うものに向いているようだった。
それは、自分の中でとっくの昔に導き出した結論だ。今更、目新しいことはなく、感銘を受けることもない。
でも、誰も言ってくれなかったことでもあった。
だからか、その言葉はスーッと胸の中に落ちていった。思ってなかったはずなのに、どこか心が軽くなったような。
最近よく実感する。
俺は結局、あの日の出来事に――あの2人に決着を付けていない。
臭い物に蓋をして、立ち向かうことを避けたんだ。
改めてそのことを、突き付けられたような気がした。
「なんて、ごめんなさい。無関係なあたしが好き勝手言って」
「いや、気にしねえよ」
「――あたしね、両親が離婚してるの。母親の浮気が原因で。それで、そういう話は特に許せなくって」
恥じ入るように、桐川は言った。視線を落とし、ちょっとだけ拳を握りしめて。
当たり前だが、全く想像もしていなかった。
学校で見るこいつは、いつも明るくて周りを元気にして、俺とは違う華やかな人物だった。極めつけは、アイドルまでやっていた。
何かあるとは思っていた。あのファミレスの日以来、少しだけ親近感と興味を持っていた。でもまさか、こんなこととは……。
言えることなんて、何もなかった。どういう顔をしていいかもわからなかった。
俺にできるのは、口を閉ざしてそっと目を逸らすことだけ。
「軽蔑するでしょ。そういう血があたしにも流れてる。アンタを深く傷つけた人たちと、同類の血がね」
「……なわけないだろ。そんなことしたら、俺は葵ちゃんまで恨まなくちゃいけなくなる。桐川は桐川だ。母親のことなんて関係ねえよ」
相手は静かにこちらの言葉に耳を傾けているようだった。
こいつのそんな弱々しい表情を、俺は初めて見た気がする。年相応に不安定な雰囲気で、すっかり目が離せなくなってしまった。
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