3章 ふんぎり

第24話 立場逆転

 6月最後の日、クラスに桐川の姿はなかった。

 体調不良――朝のホームルームで担任が告げると、教室がちょっとざわついた。ムードメーカーな連中は、ここぞとばかりに大げさに嘆いていたっけ。


「心配だね。仙堂君、何か知ってる?」


「いや、何も」


 ホームルーム終わりに、斜め前の席の女子から話しかけられた。

 ちょうど桐川の前の席でもあるので、もしかしたらかなり仲がいいのかもしれない。あいつとは違う、少し大人なしめの人物だが。


「そうなの?」


 俺の答えに、相手は大きく目を丸くした。


 にしても大げさな反応だったと思う。そんなに意外だったか。

 クラスで、俺が一番知らないことだろうに。本気で訊きたかったんなら、人選を間違えている。


 俺が季節外れの風邪を引いたのは、もう数日前のこと。

 だから、あいつの欠席との因果関係はないはずだ……たぶん。

 そう思ってはいたけれど、一日中上の空ぎみだったことは否めない。


 というか、あの元アイドルの存在感があまりにも濃すぎるのだ。隣りの席はいつも賑やか。いきなりなくなったとき、気にするなという方が無理がある。


「……で、なんの用ですか」


 放課後、久しぶりに担任の呼び出しを喰らった。

 職員室は、いつ来ても非常に居心地が悪い。突き刺さるような空気が充満している。


 ざっくりしたショートヘアの担任は、呆れたようにため息をついた。

 すっと足を組むと、思いっきり椅子の背もたれに身体を預ける。


「心当たりは?」


「ないですね」


 さっと首を振った。

 自分で言うのもおかしいが、近頃は至極まじめな学生生活を送っている。遅刻も保健室エスケープもゼロ。提出物も抜かりなく。

 ただ、相変わらず大きな瑕疵かしは残ったままだが。週に2,3回は、昼飯のための屋上利用は継続中。


「桐川さんのことよ。あの子、一人暮らしだからちょっと様子を見に行ってくれる?」


「なぜ、俺に……。そういうの、そっちの仕事では?」


「まあ、そうだけど。あまり知らない大人より、知っているクラスメイトの方がいいでしょ」


「だったら、他にいくらでも適役が――」


「そう? でも仙堂、この間彼女にプリントを届けてもらったよね。だから、ちょうどいいかなって思うんだけどなぁ」


 ちらちらと上目遣いで、もったいつけたような言い方。

 借りを返せ、ということか。そこまで強い感じではなさそうだが。


 ……いい機会かもしれない。担任のろくでもない提案を、前向きに受け止めようとする自分がいた。

 まあ、あいつには山ほど恩があるのは確か。このままだと雪だるま式に膨れ上がりそうだ。


「わかりました。行けばいいんでしょ」


「そうこなくっちゃ。――はい、これ、桐川さんの住所ね」


 担任から手渡されたメモを一瞥してから、ズボンのポケットに捻じ込んだ。

 見慣れない場所だが、まあ何とかなるだろう。どこかの誰かとは違って、迷子スキルは持っていない。


「以上ですか?」


「うん。――にしても、あっさりと受け入れたわね。もっとゴネるかと思ってたわ」


「別に、ただの暇潰しですよ」


 意味深な担任のにやけ面に、すげなく吐き捨ててから、俺はこの場を後にした。



    ◆



 途中スーパーに寄ったが、まだまだ夕暮れには程遠い。

 最近はずいぶん日も長くなった。夏の存在もすぐ間近に感じる。


 桐川の家は、なんの変哲もないマンションだった。その7階の一室が、あいつの部屋だ。

 当然のようにオートロック。エントランスで、目的の部屋番号を打ち込んでいく。間違えないように慎重に。


「え、仙堂? どうしたの」


 機械を通してだからか、その声はいつもと違った風に聞こえた。

 ただ、そこに調子の悪いような感じはない。


「それはこっちのセリフだ。具合、悪いんだろ」


「様子を見に来てくれたのか」


「ろくでなしな担任に頼まれただけだ」


 素直じゃない、と意味不明な言葉が聞こえた気がする。ただの聞き間違いだろう。黙って呼び出し機を睨みつけておく。


 微妙な気持ちで待っていると、間もなくオートドアが開いた。


 つくづく、おかしなことをやっていると思う。

 エレベーターの中で、ふと自分の行動を振り返る。


 もっともらしい大義命名分を自分から背負って、こんなところまで来てしまった。

 以前の自分なら、決して考えられないことだ。

 いや、今もなお信じられないでいる。


 あれだけ他人と関わるのは面倒だと思っていたのに、最近はそれが改善傾向にある。ただそうせざるを負えない状況が続いているだけだが。

 それでも、選択しているのは常に自分だ。桐川ひめのが転校してきてから、は山盛り。そのときのツケを、今払わされている。


 部屋の前について、俺はインターホンを押した。


「開いてる」


 短い言葉のあと、通話があっけなく切れる。


 もしかしたら、まだ体調がすぐれないのだろうか。

 声を聞いた感じはとても自然だった。けれど、こいつの場合それはあまり当てにならない。なにせ、演技の達人だ。


 仕方なく、ドアを開けて中を覗き込んだ。

 短い廊下の突き当りが、リビングになっていそうだ。開いたドアから、それっぽい空間が見えている。


「なあ、大丈夫か」


 中には入らず、ちょっと大きく呼びかけてみる。

 この状況で、ずかずか上がり込めるほど、図太い神経はしていない。

 そうでなくても、2人きりになるのは目に見えている。それはさすがに、気が重たすぎる。


「なにが?」


「体調。アレだったら、すぐ帰るけど」


「平気、平気」


 軽快な声が聞こえて、奥から家主が姿を現した。


 当然だが、私服姿。

 薄手のシャツに、白いロングスカート。いつもとは違い、長い髪はオシャレに結んである。

 こうして見ると、本当に高校生離れしているというか……普段の制服姿とのギャップは凄まじい。


 それにしても、とても病人の姿には思えない。顔色は問題なく、肌は相変わらず瑞々しい。

 わけがわからなくて、ちょっと呆然とした。


「どこか変?」


「……いや、全然。驚いただけだ」


「そっか」


 格好が変わっても、俺に対する接し方はいつもと同じ。愛想がなくて、話し方もかなり簡素。

 こちらとしても、すっかり慣れてしまった。


「とりあえず、上がって」


「いや、ここでいいって。顔見に来ただけだし」


「近所迷惑なんだけど」


 ……確かに。その言い分には一理ある。

 話を続ければ、それはまあ丸聞こえになるだろう。

 そこまで安普請な造りには見えないが。


 ということで、お邪魔することに。

 後ろ手で扉を閉めて、玄関の中へと潜り込む。


 靴脱ぎには靴がひとつもない。いちいち靴箱にしまっているんだろうか。結構几帳面なところがあるようだ。


「さっきからなに? そんなにもの珍しい」


「戸惑ってんだ。――で、具合はよくなったのか」


「おかげさまで……と言いたいところだけど、もともとそんな心配されるようなものじゃない。わざわざ来てくれて、本当に申し訳ないけど」


 桐川は少しだけ顔を歪めた。どうやら本心からそう思っているらしい。

 そんな風に言われると、さすがに気になる。この服装の不自然さも相まって。


「どういうことだよ」


「嫌なことがあると具合悪くならない? たとえば――体育の時間とか」


 明るくわざとらしい声で言って、元アイドルは笑顔で首を傾げた。

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