第29話 意外な場所で
「仙堂君、食堂行かない?」
昼休みを教室で過ごすようにして数日が経った。
週どころか月も新たになったある日の昼下がり、隣席の女がにこやかに話しかけてきた。
少しも予期してなかった言葉に、悠然を心がけ相手の方へ身体を向ける。
4時間目が終わったばかりで、教室はまだそこまで騒がしくない。
「弁当派じゃなかったか」
「うん、それは、まあそうなんだけど」
真横にいるわけなので、その姿が視界に入ってくることは割と多い。授業中しかり、休み時間しかり。後者の方は、すぐに人が集まってきてお隠れになってしまうものの。
それで、昼は弁当を作って持ってきていることを知っていた。一人暮らしながら、大したものだと思う。いや、だからこそ、なのか。なんにせよ、俺には無理だ。
ただ、今日は違うらしい。
言いにくそうにした姿に、察しがついた。
「寝坊でもしたのか」
「……はっきり言うなぁ、仙堂君は。ちょっとやることが多くて、時間がなかっただけだよー」
「まあ、朝はいろいろとばたつくもんな」
「あ、信じてないでしょ!」
元アイドルはわざとらしい怒ったような顔を作った。こういうところが親しみを感じられるポイントなのかもしれない。
本当に、学校にいるときは表情豊かなことで。これが外で2人きりになると、途端にやさぐれ感を出してくるなんて、たぶんクラスの誰も信じないだろう。
「いや、そんなことはないが」
淡々と言い返して、俺は素直に立ち上がった。
すると、なぜか不思議そうに相手は首を傾げる。さらりと、その綺麗な黒髪がベールのように揺れた。
「どうしたの、いきなり」
「いや、それはこっちのセリフだ。行くんじゃないのか、食堂」
元々誘ってきたのはそっちだろうに。いったいこの反応はなんだ。
まさか、冗談のつもりだったのか。ただ単に俺を担いだだけ……なことはないらしい。小難しい表情で向こうも立ち上がった。
「……わかりにくわね、アンタ」
なんて、すれ違いざまに低い声でどやされた。
お互い様だ――そう思いながら、そのまっすぐに伸びた背中を追いかけた。
◆
食堂を利用するにあたり、出遅れることはかなりの痛手だ。大げさな言い方をすれば、死を意味する。
入学してすぐに、早い者勝ちという絶対のルールを叩きこまれた。この争奪戦において、学年が上がることに有利になるということも。
俺たちが到着したときには、すでに長い列が形成されていた。あの程度の会話すら、ロスだったわけだ。
トレイを手にして、うんざりしながら最後尾へと並ぶ。当然のように、横には連れが続いた。
後の祭りだが、もっと早く言って欲しかった。ここを使うのには、それなりの覚悟が必要なのだ。
薄れてきたとはいえ、相手は転校生。そのあたり、無理があるのはわかっているけれども。
小さくため息をつくと、隣りの女もそれに倣った。
「……すごい混んでるわね」
「地声、出てんぞ」
「出してるの。別に、誰も聞いてはいないでしょ。――ところで仙堂君」
ものの数秒もしないうちに、奴は自分の言葉を翻していた。
まあタイミングよく、後ろに人がやってきたのでわからなくもない。
ただ、こちらとしては少し心臓に悪い。ジェットコースターみたいな高低差だ、といつも思う。
「ついてきてくれてありがとう。本当はね、断られるかと思ってた」
「俺だって、昼飯を食べないとやってけないからな」
「でも、いつも持ってきてるでしょ。パンとかおにぎりとか」
こちらの食糧事情を、見事に言い当ててきた。
相手の事情を知っているのは、お互い様ということらしい。
本当は今日だって、すでに買ってあった。
いつものパン屋には、最近毎日のように寄っている。生徒会長に教えられたその場所は、いつしか貴重な昼飯の補給場所になっていた。
――あの日以来、先輩には会っていない。
そもそも、学年が違うのだから、学内で偶然すれ違う可能性はほとんど低い。わざわざ会いに行かない限りは、ずっとこのままだろう。
本当になんて不思議な繋がりだったんだ。今にして強くそう思う。
「……あ、もしかして今日は買い忘れとか」
「まあそんなとこだ」
「そっか。じゃあちょうどよかったんだ」
呟くように言って、桐川は少しはにかむように笑った。
その笑みに、いったいどういう意味があるのか。本物なのかどうかさえ、判別ができなかった。
ともかく、納得できたのならいいことにしよう。無理やり付き合った、なんて思って欲しくない。
それがこいつの誘いを断らなかった一番の理由だ。
せっかく申し出たのに、あっさり
そんな思考が働いた。自分にしては珍しく。
もっとも、俺が行かなかったところで、相手はいくらでもいそうだが。その意味おいて、少し迷ったのは事実だ。
その後も他愛ない話をしているうちに、ようやく注文の番が回ってきた。
ランチセットというこれ以上ないくらいらしいものを頼んで、今度は出てくるのを待つ。
この待ち時間が非常にくたびれるから、あまり使いたくないのだ。空腹が辛い。しかもすぐそばから、香ばしい匂いが漂ってくるため、これはある種の拷問だ。
「座る場所ある?」
会計を済ませたところで、うまく相方と合流できた。
しかし、本当によく人の目を惹く奴だ。さっきからずっと周りの視線が痛くてしょうがない。
「どっかには、な。先にとっておけばよかった」
「入り口に大きく場所取り厳禁って書いてあるの、みたんだけど」
「有名無実と化してるぞ、あれ」
ぱっと口にした四字熟語を、桐川はなぜか小さく復唱した。そして、何度か瞼が上下する。
謎のリアクションは見なかったことにして、そっと周りを見てみた。
時間帯もあって、もう席はずいぶんと埋まっている。
これは長い放浪の旅が続きそうだ――ちょっと遠い想いをしていると、後ろから声が聞こえてきた
「やっぱり、桐川がいたのね。なんか賑わってるから、もしかしたらと思って」
振り向いたら、そこには生徒会長がいた。
相変わらず、姿勢がいい。制服の着こなしも、おそらく規則と寸分の違いはないんだろう。
「ここは先輩、お久しぶりです! でも、仙堂君もいますよ」
「もちろん、わかってるってばー。ホントよ?」
「別に気にしてないですから」
「あら、素っ気ない反応。2人とも、もしよかったらこっち来ない? 席はちょうど空いているから」
「いいんですか!? ほら、いこ、仙堂君」
これは助け舟か、それとも――
先行きの不透明さを感じながら、先を行く2人の人気者についていくのだった。
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