第28話 幕切れ

 連れ込まれたのは給水塔の陰だった。

 そっと顔を出して、入り口の方を見る。といってもそれは正規なものではないが。


「ほら、な、言ったろ」


「ホントだ—」


 現れたのは、一組の男女。窓を抜け出てすぐ密着したあたり、恋人同士なのかもしれない。

 風貌からして、1年生ではなさそうだ。同学年かどうかは自信がない。見覚えはないが、同じクラスじゃない限りは俺には判別できない。


「どれどれ……あー、5組の杉岡すぎおかか。また乗り換えたのねぇ」


「……知ってるんですか」


「ええまあ。有名ななのよ、彼」


 先輩は後ろから小さくおどけるような声で教えてくれた。向こうもまた身を乗り出すようにしているため、非常に距離が近い。さすがに、連中みたく密着状態とまではいかないが。


 改めて覗き込むと、確かにいかにもモテそうな容姿ではある。背は高く、髪型はばっちりと決まり、いわゆるイケメンの部類には入りそう。

 女子の方もまあ派手な感じ。化粧っけがあって、かなりの美人ではある。

 総じて、お似合いのカップルといったやつ。そして、とても仲が良さそう。


「この間、たまたま鍵空いてるの見つけてさー」


「えー、なにそれ、警備ザルすぎっしょ」


「まあでもそのおかげで2人きりになれるわけだしな。誰も知らないだろうから、邪魔も入らないし」


「……あっ」


 親しげに言葉を交わし、男の方が相手をぐっと抱き寄せる。とてもいい雰囲気だ。一瞬ここが学校だと分からなくなるほどには。


 しかしまあ、なんとも間抜けな発言だことで。

 いっそのこと、今すぐ奴らの前に飛び出して行ってやろうか。その方がよほど健全かもしれない。

 だが、こちらも罪人。どうしようもない結末しか見えてこない。


「お相手の方は……美術部の小川おがわかな。なるほど、歳下に手を出した、と」


「どんだけ生徒の個人情報把握してんだ、アンタは」


「情報収集能力が高い、と言って欲しいな。で、何しに来たんだろ」


 興味深そうに言うと、真後ろの女先輩がぐっと寄りかかってきた。おかげで、無理やりかがまされた。

 身体がピタリとくっついて、甘い匂いが鼻を衝く。やわらかい感触を背中に感じ、垂れてくる長髪がこそばゆい。

 ……この状況、色々とヤバイ。盗み聞き、覗き、女子との密着――どうしてこんなことになったんだろう。


 どぎまぎしながらも、少しだけ前に詰めてみる。かなり狭いスペースだが、なんとか自分の居場所を確保するしかない。

 そんな些細な抵抗は全く無駄だった。後ろの女は、即座に距離を詰めてくる。


「……ちょっと、近いんですけど」


「仕方ないでしょ。こうしないと見えないんだから」


「じゃあ場所代わり――」


「しっ! 今いいところ!」


 囁き声だったが、有無を言わさない迫力があった。

 仕方なく、闖入者カップルの方に視線を戻す。

 至近距離で抱き合って、甘々な雰囲気が確かにこちらまで伝わってくる。まさに見てはいけないものだ。


 こういう覗き見は人生2度目。まだ16年の人生なのに、だ。我ながら、なんだかひどくうんざりしてしまう。


 それ以上直視できなくて、俺は目を閉じた。ついでに耳も塞いでおく。

 よそのカップルの密会現場なんて、ひたすらに興味がない。なにより、相手に対して申し訳ない。

 もっとも、連中はすっかり自分たちだけの世界にいる気分のようだが。給水塔に、覗き魔が2人もいるなんて、夢にも思ってないだろう。


「わーお、とっても大胆。こんなところでなんてねぇ」


「…………あの、黙っててもらえます?」


「耳塞いでるのに、聞こえるんだ」


 それくらいアンタが近いんだよ、と心の中で言い返しておく。

 もともと、体勢的にうまいこと耳を抑えられていないのもある。


 その後も、先輩による実況は続く。

 直接的な表現ではなかったものの、聞いているとやはり情景は頭に浮かんでしまう。これでは全く目を瞑っている意味がない。


 あいつらも、あいつらだ。どれだけイチャイチャしてるんだ。一向に終わる気配がない。


 考えてみれば、屋上は格好の場だ。立ち入り禁止だから、誰かが入ってくる心配はほとんどない……実際には、奴ら自体が侵入者なんだが。

 それでいて、ちょっとしたスリルや背徳感はある。さぞ気分が盛り上がることは間違いない。


 地獄の時間が終わったのは、昼休みギリギリのことだった。

 キスや軽いスキンシップに終始していたようだが、本当に気が気ではない。さすがに、こんなところでおっぱじめる勇気はなかったということか。


「いやぁ、凄いものを見ちゃったねぇ」


 形ばかりの平穏が戻って、おずおずと給水塔の陰から出ていく。

 しかし、未だに心臓はバクバク言っていた。本当にとんでもないイベントだった。

 まあ、生徒会長殿は平然とした表情を浮かべているが。


「俺は何も見てねえけどな」


「仙堂って、意外と初心うぶなんだ」


「アンタも意外と野次馬体質なのな」


「しょうがないわ。不可抗力です」


 そんなことはないと思う。俺みたく、外界の情報をシャットアウトすることはできたはず。

 それをしなかった時点で、間違いなく会長自身の意思による行動なのだ。

 言ったところで、わけのわからない反論が返ってきそうだけど。


「で、止めなくてよかったんですか。不純異性交遊だー、みたいな」


「まさか。生徒会長といえど、そんなことはノータッチです。まあ、服とか脱ぎ始めたら、出ていくつもりだったけど」


 至極まじめな顔で、先輩は言い放った。


 同じような危惧は抱いていたらしい。客観的に見ても、あれは危ない雰囲気だったということか。

 ただその時点で水を差すっていうのは、なかなかハードルが高いと思う。少なくとも、俺には気まず過ぎてそんなことはできない。

 向こうも赤っ恥過ぎて、逆上とかしてきそうだし。


「しっかし、あの2人も何もこんなところで……少しは我慢できないもんかねぇ」


「いいじゃない。誰かを愛するということは素晴らしいわ」


 冗談のつもりで言ったようだが、この人の場合、なぜかそれなりの説得力がある。わざとらしいしたり顔でも。


 しかし、そんなことを言われるなんて不思議な気分だ。

 過去の経験上、後ろ向きに受け止めたくなる。

 けれど、今はあまり嫌な気はしなかった。幸せそうなカップルの姿など。もっとも見たくないもののひとつだったのに。


「アンタは哲学者かなにかか」


「あはは、そうかも」


 軽快な笑みと共に、ちょっとずれた答えが返ってきた。


「でも困ったね。明日からどうしよっか」


「何がですか」


「もうここでご飯食べられないでしょ。またあの2人が来ても困るし」


「……ああ、そのことですか」


 あんまりな出来事に、少しも意識がなかった。

 そういえば、そうか。こうなっては、気軽にこの場所を訪れることはできない。すぐにでも、不法侵入がバレる。


「しょうがないですよ。もともとは使えなかったはずの場所ですし。真っ当な生徒会長に戻れっていう神の助言じゃないすかね」


「その言葉、そっくりそのまま返すね。真っ当な学生になりなさいね、仙堂」


 自覚はあるので、黙って微妙な表情で誤魔化した。授業サボりの常習犯なのは、とっくの昔に知られている。


「でも残念。こんなことで、この時間が終わるなんて。ちょっと寂しいかも」


「何言ってるんですか、今生の別れでもあるまいし」


「たしかに、ちょっと大袈裟すぎたか」


 またね、仙堂。

 そう言って、生徒会長は先に出ていった。


 いつもと変わらない終わりだったのに、相手はどこか浮かない顔をしていた。

 

 あまりにも印象的だったからか、午後の授業は散々だった。

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