第27話 密会に差す影

 あまりにも心地よくて、欠伸がでそうになった。

 けれど、隣りに人がいたのを思い出してなんとか噛み殺す。それでも、眠気は強く残ったまま。


「眠そうね~、仙堂。どうせ、昨日も夜更かししたんでしょ」


 が、そんな俺の努力は無駄の終わった。

 屋上の主はばっちりと衝撃的瞬間を目撃していたらしい。その顔には、勝ち誇った笑みが浮かんでいる。


 初夏の昼下がり。これがもう少し季節が深まれば、暑さに苦しめられることだろう。実際、その片鱗は今もわずかに感じられる。

 まあ、そのときには日陰に移動すればいいだけの話。だだっ広いこの場にも、入り口近くと、反対側にある給水塔がその役を担ってくれていた。


「も、ってなんすか。俺の寝る時間なんて、先輩知らんだろ」


「そうね。でも、見るからに不健康そうですよ、仙堂」


「……失礼ですよ、それ」


「あら、お気を悪くした? ごめんあそばせ」


 うふふ、とフィクション感満載の笑みを生徒会長は付け加えた。傍目には上品だが、話してみれば意外とそんなことはない。むしろ気さくで、親しみの持てるのが実情。ゆえに、なんだろう。


 ほんの気まぐれだった。せっかくだから一度くらいという軽い好奇心。

 別に教室や食堂で昼飯を食べるのが嫌だと思ったことはない。場所を変えようなんて発想、それこそ屋上の秘密を知るまでは頭になかった。


 初めて来たときも、この人はここにいた。真ん中付近に堂々とシートを敷いて、我が物顔でサンドイッチを食べていた。闖入者の存在を少しも気に留めずに。

 気まずさを感じたのは、逆にこっちの方だった。なんとなくいないだろうと思ってたのだ。鍵が壊れているのを知った次の日だったから。


 その日はなにも言葉を交わさなかった。

 お互い壁を張って、自分の世界に籠っていた。

 少なくとも俺の方はそうだ。あの時点では、先輩はほかのクラスメイトと変わらなかった。


 やめようかとも思ったけど、翌日も足は屋上へと向いていた。

 先客のことは気になったけれど、それ以上に居心地がよかった。周りから隔絶され、喧騒も遠い。昼を過ごすのには絶好の場所だ。


 無言の関係はしばらく続いた。

 そのうちに、相手のことはあまり気にならなくなった。

 いるのが当たり前。その姿が見えない日なんかは、少しだけ意外に思ったほどだ。


 だが、今現在はこうして与太話をするくらいの関係にはなっている。

 あれはそう、向こうから話しかけてきたのだ。


『おいしいパン屋さんがあるの。知ってる?』


 と、さも平然と、まるでずっと前から知り合いだったような口調で――


「あら、相当ご立腹。ごめんね、軽いジョークのつもりだったんだけれど」


「……いや、ちょっと考え事をしてて」


「へえ。このあと、憂鬱な授業でもあるのかな」


「なんなら全部が全部、憂鬱ですよ」


「仙堂はこの学校が嫌い?」


 冗談めかした言い方だったけれど、殊の外真剣そうだ。少なくとも、その眼光は力強い。


 いきなりの質問に、ただ当惑してしまう。

 でも少し考えてみると、自然だったように思えてくる。授業には学校の特色が表れるものだから。

 けれど、わざわざそんなことを訊くかね。やはり、納得はいかない。


「好きも嫌いもないですけど」


「そうなんだ。私はね、好き。みんなにも好きになってもらいたい。せっかく、わざわざここに通ってきているわけだから」


「はあ。そういうもんすか」


「そういうもんすよ」


 茶目っ気たっぷりに言って、生徒会長は涼しげに笑った。年上らしい、精神的余裕が感じられる笑みだった。


 しばらく目が合っていたが、やがて俺の方から視線を外した。

 よくもまああれだけのことを、恥ずかしげもなく言えると思う。

 真摯な想いなんだろう。それでいて、自分に正直で堂々。集会なんかでは、特にその姿は顕著だ。


 静寂が戻ってきた屋上は、ひたすらにのどかで心が落ち着く。

 ぼんやりと金網越しに、街の風景を見渡す。1年以上通っているのに、未だ土地勘はない。

 隣りにいる人物なら、ある程度は把握しているのだろうか。


 そんなことを考えながら、今度は素直にあくびをした。今日は本当に眠い。慣れないことをしたせいだろう。あの女との長話は、さすがにくたびれた。

 ところで、あいつのマンションはどの辺りだろう。あくびを開放しながら視線を巡らせてみる。


「そんなに眠いのなら、少し横になったらどう? 今度はちゃんと起こしてさしあげますから」


「しねえよ。アンタを信用してないわけじゃないが、それなりにトラウマなので」


「あら、そう。じゃあ授業中、居眠りしないように!」


「どっかの誰かさんじゃあるまいし……」


 呆れながら、ボソッと呟いた。


 言ったところで、向こうの方は全くピンと来ていない様子だ。我がクラスに眠り姫がいることは、さすがに生徒会長の耳にも届いていないらしい。

 たぶん、クラスでも気づいている人間は少ない。俺だって偶然発見しなければ、今もわからないままだっただろう。それと思ってみないと、見破るのは難しい。


 どうでもいい心配を打ち消すように、ぐっと身体を伸ばしてみた。

 痛みと気持ちよさが一気に全身を駆け抜けた。それでもなお、あちこち大げさにほぐしていく。


 そんな俺のけったいな様子を、先輩は微笑ましそうに観察していた。実際はどうかはわからないが、その目ははっきりこちらに向いている。


 本当にふとしたことだった。

 とある疑問がいきなり頭に浮かんできた。

 自然と口が動く。我がことながら、その円滑さは不思議だ。


「あのひとつ訊いてもいいですか」


「うん、もちろん。なんだろう、ちょっと緊張するな……仙堂からの質問なんて、初めてじゃない」


 ちょっと目を開いて、先輩は少しだけはにかんだ。


 知らなくてもいいことだ。他人の事情に踏み込む行為だ。

 でもしてみたくなってしまった。思いのほか、昨日の余波が身体に、心に残っているらしい。


「どうして、先輩は屋上に来るんですか。教室でも、食堂でも、それこそ生徒会室でも、いくらでも居場所はあるだろうに」


「それはたぶん仙堂とおんなじよ。――癒されたいの」


「癒し……」


 予期しない回答に、思わず小さく繰り返す。


「誰かといるのは楽しいし、誰かのために働くのは好きだけど、それでもたまに疲れちゃうのよ。そういうときに、ここでのんびりする。疲れる要素が一切ないからね。――さっきはおんなじだって言ったけど、もしかして違ったかな」


 敷嶋先輩は、にっこりとした笑顔で首を傾げた。優しい包容力のある感じ。たまに年齢詐称してるんじゃないかと思う一因。


 訊き返されて、今度は心の中で反芻する。

 どうなんだろう。相手の発言は理解できる。立場も鑑みれば、もっともだとも思う。

 でも俺の場合は、別に日々に疲れてなんかはいない。だからそもそも、癒しを求めるなんてお門違い。

 そのはずなんだが。


「俺は――」


「しっ! 静かに。誰か来るわ」


 小さく言うと、生徒会長は俺の口元を手で覆ってきた。

 口元にちょっとひんやりとした柔らかい感触を感じて、ドキっとしてしまう。


 こっちよ、とわけがわからないままに俺は強く腕を引っ張られた。

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